6月の第3日曜日は「父の日」である、いつごろから、この日が日本でも「父の日」として祝うようになったのか記憶がない。wikepedia で調べてみたら本家本元の米国でさえ、1972年、ジョンソン大統領の時、国家の休日に制定されている。僅か40年ほど前のこと。、そんなに古い話ではない。おそらく、真似好きの日本のことだ。商業イズムの後押しで「母の日」同様「父の日」も社会に定着させようという訳なのだろう。
「父の日」というと、何故か僕らの世代は「養老の滝」の孝子伝説を想い出す。戦前、修身の教科書で習ったのかも知れない。昔、奈良時代の天正天皇(女帝)の御代、美濃の国(岐阜県)に貧しい親孝行の男があり、毎日苦労して酒好きの父親にお酒を飲ませていたが、ある日山奥の滝の水をくんんで家へ持ち帰ったら、水が酒に変っていたという話である。
酒好きの僕にも昨年までは子供たちから、お酒のプレゼントが届いた。しかし、代わって今年は「御蕎麦」が届いた。昨年暮、入院後、健康を考えて僕が晩酌の習慣を慎んでいるのを知っての事だ。父親の健康を気遣ってくれて有り難いが、ちょっぴり寂しいことも事実だ。インターネットには「父の日」プレゼント.グッズが一杯だ。「母の日」同様、「父の日」も日本の社会に根づいてきたのであろうか。
亡父は1974年に亡くなっている。従って72年に制定された「父の日」の恩恵には浴していない。しかし、酒好きだった父親は息を引き取るまで病床で、吸い飲みで美酒を、老妻から飲ませて貰っていた。商業イズムに踊らされてもよい。年に一回ぐらい「母の日」と同様「父の日」があって、父親のことを想い出してくれれば有り難い。
「父の日」というと、何故か僕らの世代は「養老の滝」の孝子伝説を想い出す。戦前、修身の教科書で習ったのかも知れない。昔、奈良時代の天正天皇(女帝)の御代、美濃の国(岐阜県)に貧しい親孝行の男があり、毎日苦労して酒好きの父親にお酒を飲ませていたが、ある日山奥の滝の水をくんんで家へ持ち帰ったら、水が酒に変っていたという話である。
酒好きの僕にも昨年までは子供たちから、お酒のプレゼントが届いた。しかし、代わって今年は「御蕎麦」が届いた。昨年暮、入院後、健康を考えて僕が晩酌の習慣を慎んでいるのを知っての事だ。父親の健康を気遣ってくれて有り難いが、ちょっぴり寂しいことも事実だ。インターネットには「父の日」プレゼント.グッズが一杯だ。「母の日」同様、「父の日」も日本の社会に根づいてきたのであろうか。
亡父は1974年に亡くなっている。従って72年に制定された「父の日」の恩恵には浴していない。しかし、酒好きだった父親は息を引き取るまで病床で、吸い飲みで美酒を、老妻から飲ませて貰っていた。商業イズムに踊らされてもよい。年に一回ぐらい「母の日」と同様「父の日」があって、父親のことを想い出してくれれば有り難い。
父親は哀れなものだと思いますが、最近は商業的に盛り上げているので違いのでしょうか?お父さんには、昔の父親の貫禄みたいなものも必要です。
社会の変化でしょうね。昔の日本の社会における父親の存在はあり得ません。そういえば、給料袋がありましたね。昭和40年代、はじめ頃までだったでしょうか。給料日の日になると、飲み屋のおかみさんが、会社に押し寄せ、それを巻くのに苦労したことを想い出します。それでいて、父親はえばっていました。変な時代だったですね。