「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       「日本の穴」スマトラ虐殺虚報の独り歩きの恐ろしさ

2013-05-20 05:39:17 | Weblog
戦争中に西スマトラの高原都市、ブキティンギにあった第25軍司令部で防空壕築造のさい、労務者3千人が虐殺されたという虚報が10数年前、現地で流布され、日本でもW大学のK.G教授、K大学のI.K教授らが新聞や自分の本に書いた。これは全く虚報で、インドネシア政府もこれを認め、防空壕入口にあった虐殺を示す大きなレリーフも撤去した。

2004年12月、僕はこの経緯を産経新聞読者を中心に協力を得て、3千部をインドネシア語、日本語、英語3か国語のパンフレットにして現地を中心に配布した。(写真)これで一件落着とほっとしていたところ、先日小ブログに書いた”橋下代表慰安婦発言 帝国軍人も怒ります」に対して頂いた「Ryu太郎」さんのコメントの中で、いまだにこの虚報に半信半疑信の日本人がいて、この教授らを弁護しているのに、びっくり仰天。改めて虚報の独り歩きの恐ろしさを実感した。

「Ryu太郎」さんのコメントは、ブキティンギ市の観光局のパンフレットには”強制労働で多くの犠牲者が出た”と書いてあり、レリーフが撤去された後でも住民はまだ虐殺を信じているという。また両教授は”悪魔的、非人道的な日本占領時”を知っている当時の住民と多く会っており、それなりの理由があって書いたのだと二人を弁護し、これだけの事で二人の学問業績を批判するのはおかしいと書いている。

僕はこの件につき、現地を5回も訪れており、防空壕の築造を直接指揮した本庄弘直主計大尉(当時)とも直接会って取材している。そのほか第5軍司令部戦友会にも出席、当時司令部勤務だった台湾人の元軍属にもあっている。3か国語のパンフを現地で配布する際にはジャカルタの残留元日本軍組織「福祉友の会」の協力を得て現地に同行してもらっている。もちろん、パンフは現地の市役所をはじめ観光局にも配り、さらにブキティンギの近くにあるパダンのブンハッタ大学にも立寄り、学生たちにも話をしてきた。

推察でものを言ってはいけないが「Ryu太郎」さんは、この問題は右翼の煽動のように思っているフシがあるが、この問題が日本で明るみに出た時、W大K大の両教授が属していた「インドネシア占領期フォーラム」の会長中村光男千葉大学教授(当時)は僕らの問い合わせに対して”労務者の記述は正さるべきであり、、ご当人たちも適当な機会にそうされるだろう”との回答を頂いた。中村教授はいわゆる右翼学者ではない。それより、10年の月日が流れたが、両教授から虚報だったという訂正はない。訂正がないから、こういった「Ryu太郎」さんみたいなコメントがいまだに横行するのだ。

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16 コメント

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Unknown (Ryu太郎)
2013-05-23 22:31:19
私の書いたことで、まさかこのような記事にされるとは思いませんでした。私とあなた方とは従軍慰安婦問題、インドネシアをはじめとする日本軍の占領統治に関する捉え方等、根底から違いますが、とりあえず今ここで書くのはやめておきます。
一つだけ、私はスマトラ防空壕で日本軍が3000人を虐殺したことが虚報であることに一切疑いは持っていません。今までそういう話が生まれ広く信じられてきた背景には、日本軍の残虐なインドネシア統治があり、当時のインドネシアの国民が苦しみ、犠牲になってきた過去があるからというのを書きました。その虚報については既に決着がついていますし、インドネシア側も事実を認めてますし、オランダも公文書で否定するに至りましたから、それが虚報であることは揺るぎのない事実です。それと、2人の教授が訂正がないから、そういった書き込みが起こるという話ですが、それもおかしいと思います。私は2人の教授の方が訂正しようとしまいと、そういう認識は同じですし、同じよう名書き込みをしたと思います。
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ご教示有難うございます (ahmad)
2013-05-23 20:24:07
「こだわりのインドネシア30年 榎本武陽 小浜の象、日本の穴}は古本を購入して是非読みたいと思います。自分の不勉強を痛感いたします。

「スマトラの郁達夫 太平洋戦争と中国人作家」は私も読んでおります。本の記述を頼りにブキッテインギとパヤクンブを訪問しました。彼を主人公とした香港映画、台湾のTVドラマを見たこともありますし、陳舜臣さんの短編ミステリー「スマトラに沈む」も読みました。もっと注目されてもいい作家です。

梨の木舎の本はあまり読んでおりませんが、日系オランダ人の本には興味があります。

今後ともご教示のほどお願いいたします。
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再度のご返事 (kakek)
2013-05-23 16:20:45
ahmad さん
日本の出版事情は、残念ながら厳しいのです。僕は三冊本を出していますが、すべて自主出版です。そのうちの一つ「こだわりのインドネシア30年 榎本武陽 小浜の象、日本の穴}(三省堂1996年)の中で、パヤクンブの悲劇として郁達夫を書いています(p136)もちろん現地取材をしいています。「スマトラの郁達夫太平洋と中国作家}の鈴木正夫先生も好くぞんじています。
「日本の穴」は、戦争中パダンにあった「スマトラ新聞」記者だった先輩が上司におり、また「日本の穴」の建設が当時オンビリンにあった北炭の指導で行われたため情報が集まりました。
僕らの世代では、軍司令部で3千人も虐殺なんて、まずありえないことですかる信じません。二人の教授とも戦争を知らない世代ですから、インドンrシアの情報を鵜呑みにしてしまったのでしょう。マスコミの世界なら即刻クビです。
「大東亜戦争とインドネシア」2千部づつ二回再版しています。全国主陽都市の図書館にはおいてあります。
自分のインドネシアとの関わり合いは、9,30事件後から3.11のスカルノの政権移譲のインドネシア情勢
まで1年6か月ですが、1980年、フリーになってからは毎年数回、インドネシアの軍政を中心に取材しています。
学習院高校越田稜著「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」(梨の木舎1990)ほか。めちゃくちゃです。
僕のインドネシアに対する最大の功績。ブンガワンソロのゲサンを日本に紹介したこと.朝日新聞2011年別冊BE参照
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引き続き教えて下さい (ahmad)
2013-05-23 14:37:15
kakek様

早速のご回答有難うございます。

「大東亜戦争とインドネシア」はその昔ジャカルタの紀伊国屋書店で見かけ立ち読みしました。内容はそれほど覚えておりません。元産経新聞記者の方がなぜマイナーな自費出版社から出したのか不思議に思ったことを記憶してます。ちなみにこの本はジャカルタの国際交流基金図書館には入っておらず、ジャパンクラブ図書館の方も多分なかったと思います。当然というべきか倉沢さん後藤さんの著作は何冊も入ってます。日本の図書館ではこの本はどの程度購入され、また読まれているのでしょうか?

あと、上のコメントで「この二人の他にも皇族に関係の高校の教師」とありますが、お名前を教えていただけませんか?調べてみたいと思います。

ブキッティンギの「日本の穴」へは私も96年に行ったことがあります。当時はまだ例のレリーフがありました。今も「虚報」が現地で伝承されているのは後藤さんや倉沢さんの責任ではありませんね。インドネシア側の問題です。実際のところ、西スマトラにおける日本軍政の実情は私も疎く興味があります。

西スマトラ観光局が海外から観光客を呼びたいなら、あの近辺のパヤクンブーで敗戦後に日本軍憲兵に殺害された、20世紀を代表する中国人作家のひとり郁達夫の記念館でも作ればいいのになあと思います。中国人観光客誘致策としては悪くないと勝手に思ってますが、「漢奸」作家と見なされているから難しいのかもしれません。
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お答えします (kakek)
2013-05-23 08:20:01
ahmad さん

お答えします。倉沢愛子著「20年目のインドネシア」初版P169-171。後藤乾一「北海道新聞」(昭和61年12月13日)=この原稿は中部日本、西日本、北海道新聞三社で原稿をプールする三社連合の記事なので、他社にも連載されているかもしれません。
反日学者の原稿には進んで目を通しています。サントリー賞を受賞した本のなかで”日本が英米蘭三カ国に宣戦布告した”と誤術しているのも承知しています。彼女が名古屋大学時代監修した中京テレビの慰安婦番組にも目を通しています。
右翼が書いた本で厭でしょうが「大東亜戦争とインドネシア」(加藤裕著 朱鳥社2003年)に、日本の穴の真相糾明のために僕らが努力したかが書かれています。(p49-80)
アジ研の記述、有難うございました。観光地なので、ある程度覚悟はしていました。しかし、僕らとしては、出来るだけのことはしました。82歳の老骨では、もう現地へは行きません。次の世代にお願いします。パンフの版はまだあります。
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教えて下さい (ahmad)
2013-05-22 20:55:27
こんにちは。ジャカルタ在住のものです。

匿名にする意味がないと思うのではっきり書きますが、慶応大名誉教授の倉沢愛子さんと早稲田大の元教授の後藤乾一さんが件の虚報を書いたとのこと。いつの何新聞で、どの著作か教えていただけますか?

お二人の著作や論文にはある程度目を通しております。倉沢さんは確か「二十年目のインドネシア」だったか、私が持っている版では訂正されていたと思います。後藤さんの方はわかりません。私が忘れているか思い違いをしているかもしれないのでご教示していただければ幸いです。

なお、倉沢さんは「女が学者になるとき」でご自身の学生時代(大学生から博士論文を提出するまでの時期)のことを回想されてます。コーネル大で学位を取得されたことや全共闘世代であることをkakek様は問題視されているようですが、いささかピントが外れていると思われます。「反日学者」の書いたものは読まない、読みたくないかもしれませんが、一読を薦める次第です。

ところで、Ryu太郎さんがソースとしてあげたアジア経済研究所発行「ワールドトレンド」のエッセイを読む限り、どうも現地ガイドは以前と変わらない説明を続けているようですが、また現地へ行かれて抗議されますか?
http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Photoessay/200902.html
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連綿と今後も続くGHQ洗脳 (lordyupa)
2013-05-22 09:23:48
chobimameさん
書かれたとおり、敗戦後の学校教育、メディア報道などで強固に築かれていまのです。K教授のような全学連世代だけに特有ではなく、その後の世代も、また、その次の世代にも、史実と異なることが、日本社会に継続して積み重ねられていきます。
(1)学校で、日本人は戦前極悪なことをしたと先生が教え、教科書にもそう書いてある
(2)新聞、TVなどのメディアでも、それが常識だと報道し続けている
(3)周囲の皆も、そう言っている
しかも、
人道主義という非難されない立場に立って、他者を糾弾するので、反論する人は、道徳的にも卑劣だというわけです。



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アチェの町々 (kakek)
2013-05-21 09:47:01
911uca さん
貴重な写真ですね。ランさもロスマィユもマラッカ海峡に面したアチェの町です。1994年、僕も二つの町に宿泊しています。僕はアチェ人の気質が好きでメダンから車で首都のバンダアチェまで1週間の旅をしています。僕のもう一つブログ「1000都物語」(検索可能)に、その時の話や過去の日本とアチェとの関係を書いてあります。戦争中は近衛師団がメダンからアチェにかけて駐屯していましたが、占領直後ファナテイックな回教徒の間にトラブルがりましたが平穏でした。従軍世代がお元気だった20年ほど前まで「阿智恵会」といいう戦友会があり立派な会報を出していました。今ロスマイユ周辺はLPG景気で発展しています。ぜひ一度ご先祖の地を訪れください。
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戸川幸夫 (kaek)
2013-05-21 07:27:50
Wacin さん
戸川さんの「シンガポール物語」(上下)の中にバリ島の三浦さんとの交遊が出てきますが、何か思い違いからか事実と異なる記述がありました 。多作も作家で、書きとばす癖があるのかもしれません。心しなければなりません。
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寫眞は語る (911luca)
2013-05-20 22:11:56
先日、本ブログ"★スマトラへの郷愁「メダン会」"にコメさせていただきました(再コメ)
こちらの項目に,ぉ門がやや違うのですが、
手元にてファイルし始めたスマトラのアルバム寫眞(1912年~1950年、約180枚)を眺めつつ
当時の歴史なども不知ながら僕の先祖たちのインドネシア生活に想いを巡らせたりしております。
「唐ゆきさん、従軍慰安婦、虐殺」などというまことにやんごとない文語に現代に生きる僕の胸は痛むばかりであります。捲る寫眞のなかより長崎出であろう祖母が現地でオランダ人の妻となり父がそのスマトラで生まれ、
最近になって世間サマで騒々しくしている歴史問題というイビツな情報にルーツはどのようなライフスタイルで関わってきたのでしょうか
画像を徐々に整理始めて見ましたので、こちらに米入れてみます。

◆ (昭和9年)父と祖父の集会集合寫眞 J&B(?)クラブ 於;ランサ 1934年 http://yahoo.jp/box/1C4I6d
◆ 1937年4月10日(昭和12年) 祖母「トシ」の還暦祝い(日本人会?)於;ランサ http://yahoo.jp/box/HUuqk8  

父たちの生活圏が直接的な日本軍の禍の地ではない、
スマトラ島、メダンからアチュ方面の
Langsa ランサ
Lhokseumawe ロークスェマーヴェ
っといったエリアではありますが、掲題のオドロおどろしい「虐殺、従軍慰安婦」とは全く無縁であるような良き家庭の友好的な人たちが寫眞にはありますが。 … … ..

PS:画像はYahooボックスの短縮URLですが、ご覧いただけない場合はお手数です、お問い合わせくださいませ。
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聞き取り調査の信頼性 (Wacin)
2013-05-20 21:16:03
「従軍慰安婦」問題について ー戦時中マカッサルの実態を検証するー にも書きましたが、戦時中マカッサルに長期滞在、現地で取材した、著名な作家、戸川幸夫氏でも誤った記述をしています。一見直接生情報なので、信頼出来そうですが、、、戸川氏は女たちの法螺話を真に受けてしまったのでしょうか? 、どうやって確認を取るか。あらためて聞き取り調査の難しさを実感します。
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学会という不思議な世界 (kakek)
2013-05-20 17:16:50
chobimame さん
ブロ―ガ―のエチケットとして本名を出すなとい家人の勧告で仮名にしましたが、なぜこんな事実と異なることを書くのか正直言って僕にも解りません。二人とも70歳の前半で”全共闘”世代が共通しています。それから外国(米国)で教育を受けています。よい言葉でいえば”目立とう精神”かもしれませんが、k大の女性教授は、日頃の言動から見て”反日”の確信犯かもしれません。学会とはおかしなところで、普通マスコミの世界では、まったくの出鱈目を書いたら会社はクビにします。それが二人とも有名大学で定年まで勤めています。二人との謝罪の意向は内容で、一人は書いたものはエッセイだといっているそうです。この二人の他にも皇族に関係の高校の教師が、さらにひどい嘘を本に書いています。
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敵は内にもいる (chobimame)
2013-05-20 16:08:40
このような話を目にする度に、必ず日本人の学者や何らかの人権団体と称する輩が関わっている事実に驚きます。彼等は、自分たちの思想を広め、日本を糾弾する為には手段を選びません。
現地の人々には、日本人が関わることにより、信憑性が増し、また日本に対しては、戦争に関わる歴史を知らない人々が圧倒的な状況なので、加害者意識を涙とともに感情に訴える話をすれば、かなりの人が騙される事を知っています。
これらの反日学者がなぜこのような行動に出るのか理解出来ません。左翼教育の洗脳の賜物なのか、はたまた人権と叫ぶ正義感に酔いしれているだけなのか?今からの世界は、戦争体験者が少ないですから言ったもの勝ちです。この状況を奪回するには、真実をたくさんの目につくように語るしかありません。教育現場から作り変えていく事が近道なのだと思います。真実を語ることが右翼的となること自体が異常です。
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想い出 (大正生まれ)
2013-05-20 13:02:25
Wacinさんのコメントの中の”当時のマカッサル市内図”コレ見て、懐かしくって。
(主題からずれてゴメンナサイ)
左下に「民生部」と書いてある、上の三角地帯は公園です、三角の上の五叉路の左上角のペンション風の家が、当時(昭和17年)の小生の宿舎でした。
左に行くと、すぐに”東洋一の夕陽の見える”海岸に出ます。
此の道路でローラースケートで遊んでました。
道路を挟んで下の住宅がジョニー君(当時小学生)の家で、父親は民生部のお偉方でした。 (メナド人)
戦後、数年後プリオクに辿り着いたら、すぐにジョニー君が逢いに来て呉れました。
(オマエはカミカゼで死んだことになってるよ)って言われました。
ジャカルタの大学に居たんです。
卒業後”PELINI”の支店長を歴任、偉くなりました。
昭和55年に定年を迎えて、もう来ないよって言ったら、マカッサルのホテルで盛大な送別会をやって呉れました。
父母も姉たちも、皆、郊外のキリスト教の墓地に眠ってます。 (語りつくせませんので・・・)  失礼しました。
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虚報と実名 (kakek)
2013-05-20 11:27:41
Wacin さん
マカッサルの慰安婦についてのスラウェシ情報マガジン有難うございます。戦時中のインドネシアにおける慰安所の実態は、ほとんどマカッサルと同じです。従軍世代は”性”について、今の人たちのように、あからさまに語らなかったため、これが戦後誤解をよぶ原因になってしまいました。カリマンタンでも現地の女性は慰安婦に成り手がなく戦前からの邦人居住者が、軍の依頼をうけてジャワへ女性探しに出かけていますが、いわゆる女衒です。しかし、戦後の売春の実態を知らない若い世代が、騒ぎだし倉沢愛子が監修して中京テレビから放映したことがります。
人間には誰でも過ちがあり。個人攻撃を控えていたつもりですが、いまだに、こういった意見の日本人がいるので、あえて両教授の名前を出しました。
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従軍慰安婦も同じです (Wacin)
2013-05-20 10:01:23
いま再び国際問題となっている、いわゆる「従軍慰安婦」問題にしても、もともとは、国内左翼作家の造語で、政府に一撃を与えたい左翼政治家がこれにとびついた。太平洋戦争時点では従軍慰安婦なる言葉もありませんでした。

「従軍慰安婦」問題について
ー戦時中マカッサルの実態を検証するー
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makassar/mks/ianfu.html
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