安倍晋三総理が”世界に勝つ”をモットーに成長戦略の第二弾を発表した。その戦略の一つとして、外国人教員の倍増と並んで小学校での英語教育の必修化を打ち出した。小学校での英語の必修化は第一次安倍内閣の頃から言われており、、僕はとっくに実施されていると思っていたがそうではなかったのだ。ネット情報だが、現在小学校での英語教育は、全国で7割以上が実施されているが、時間数は年間(月間ではない)10時間だという。それも英語の学習か国際理解が目的なのかはっきりしない授業が多いという。また、民主党政権下で例の”仕分け”にあい、何故か一度決まった副読本まで変更されている。
今回”世界に勝つため”の理念のもとに実施されるのだから、従来のような”あいまい”のものではないだろう。しかし実際の効果はどうだろうか。外国人が学校に来て簡単な会話をかわす程度のものでも国際理解には役立つ。ぼくもこれを否定しない。しかし、本格的なTOEFL何点といった教育にはつながらないのではないだろうかー。
外国語教育についての僕の持論は、外国語は短期間に集中的に学習することである。現在日本の中学校では英語はせいぜい週に3時間程度だと思うが、成果はご存知の通りだ。自分の体験で恐縮だが、50歳の時、僕はサラリ―マン生活を止めて一念発起、1年間インドネシア語漬けの生活をしてみた。専門の語学学習のテープを購入、毎日これを聴き声に出して学習した。春秋二回の在日大使館主催の講習会にも参加した。この結果、日常のインドネシア会話には困らない程度になった。歳をとってからの学習で、入れ歯のため発音は悪いが、現在でもインドネシア語で現地とEーメールを交換できるまでになった。
今回”世界に勝つため”の理念のもとに実施されるのだから、従来のような”あいまい”のものではないだろう。しかし実際の効果はどうだろうか。外国人が学校に来て簡単な会話をかわす程度のものでも国際理解には役立つ。ぼくもこれを否定しない。しかし、本格的なTOEFL何点といった教育にはつながらないのではないだろうかー。
外国語教育についての僕の持論は、外国語は短期間に集中的に学習することである。現在日本の中学校では英語はせいぜい週に3時間程度だと思うが、成果はご存知の通りだ。自分の体験で恐縮だが、50歳の時、僕はサラリ―マン生活を止めて一念発起、1年間インドネシア語漬けの生活をしてみた。専門の語学学習のテープを購入、毎日これを聴き声に出して学習した。春秋二回の在日大使館主催の講習会にも参加した。この結果、日常のインドネシア会話には困らない程度になった。歳をとってからの学習で、入れ歯のため発音は悪いが、現在でもインドネシア語で現地とEーメールを交換できるまでになった。
語学は本気を出さないと喋れないと思います。外人講師を呼んで、異文化交流の目的なら良いですが、週に数度の英会話の授業で喋れることを期待したら間違いです。学生のうちに喋らせるなら、学校内では日本語禁止くらいにせねば、いつまで経ってもお遊びの域から出られません。語学は、強い探求心、興味、必要に迫られるなどないと、ダラダラ教えても意味がないと思います。どうせやるなら中学校は完全英語化くらいにすれば良いのです。
テレビの外人タレントで日本語の上手な人がいますはが、たいてい日本人と同棲しています。必要に迫られれば語学は上達するものです。小学生でもTPEFLで高得点をとるものが出てきたそうですが、それはそれでよい事です。しかし、小学生全体に英語を必修にしても効果は上がらないと思います。それでも子供の時から外国人と接触することは好いことです・
このdebateする能力こそ、英語の力の根本ですので、小学校・中学校において、実際に議論する力を強化する必要があると感じます。
英会話さえ流暢になれば、英語力があるというわけではないと思います。社会のなかで、会話の相手と対立する事態に遭遇するのが、一番、語学が必須となるときです。たとえば、海外に言ったときに、交通事故、医療過誤などを経験した際に、英語力の最高の試練の現場となります。
侵略や従軍慰安婦など史実検討や歴史(解釈)認識にかかわる多様な考えがある事を、相い対立する立場で、英語で議論・発信することは、小学校や中学校でも、有意義だと感じます。
理想的にはdebate出来る英語力だと思います。最近の英語学習には疎いのですが、大学入試問題をみると必ずしもそうではないみたいですね。しかし「Jack and Betty」で学んだ戦後世代を含めて日本の英語教育は何かおかしかったですね。小学校で英語を必修したとしても完全なものは望めません。しかし、外国人と接触するだけで効果はあると思います。少なくとも橋下代表みたいな政治家はいなくなるでしょう。Dwbate以前の国際理解力です。
全く大賛成です。全国一律に、多少、英語の授業時間だけ増やしてもあまり効果があると思えません。
borderless競争に時代になったといっても、日々の暮らしや職業生活にほとんど英語を使わなくてもすむ人も多いと思います。日本人全員に英語を一律強化する必要もないのではと思います。
全教科と部活も含めて、友人との会話も含めて、日本語使用禁止状態で、すべて英語で話し、読み、書くことができる全英語制の高校を複数実験的につくってみてはどうでしょうjか?
また、日本の有名受験校の大学入試問題は、基本は英語版のみにしてはどうでしょうか?
夏目漱石が自作した英語の詩などをみても、凄いなと思います。明治時代では、自学自習に近かったのだと感じます。
敗戦後の英語義務教育も、まずまずだったと思いますから、欠点も多いので訂正や補えばよいと思います。全国中学校に対面教育のできる英語nativeの教師を充実するのは不可能だと思います。InterNetの時代ですから、TVモニターを使った遠隔学習ならできるかもしれませんが。将来必要な時期がきたら、再度勉強し直せばよいと思います。再度勉強する社会人を支援する公的補助があってもよいかもしれません。
debate教育といってもそれほど難しいことではないと思います。
たとえば、
米国の歴史を題材にとって、
欧州で生活困窮者や政府からにらまれた人々が、米国大陸へと渡航した<欧州人の立場からの新世界>
当時、米国に数千年と居住していたインデイアンが六百万人ほどいたが、欧州から移住した人々は、強力な兵器と軍隊組織をもっていたので、欧州移住者に抵抗するインデイアンを虐殺しながら、西部へと西部へと侵略し、領土を拡大し、移住してきた白人が植民として活用し、実行支配し続けてきました。また、当時、工業分野では欧州に比べて圧倒的に後発国であったので、経済基盤を確立するために、アフリカ大陸から千万人をこえる黒人奴隷を米国へ大量に輸送して、南部綿花の農業作業をやらせて搾取しつづけました。数百万人の黒人奴隷が輸送途上と過酷な労働で死亡した。当初はアフリカ大陸から強制連行してきた黒人を輸送しつづけるのができにくくなると、家畜のブリーダーと同様に、黒人奴隷を生ませて、販売することも増えました。南北戦争は、綿花・砂糖・コヒーなど欧州への輸出で外貨を稼いでいた裕福な南部諸州、一方で、工業が勃興し始めていたものの輸入赤字のもとであった北部諸州とが、対立し数十万人の戦死者のでた内戦である南北戦争がおきた。
英国植民地であった米国が独立戦争で勝利してから発効した米国憲法の条文を例示する。
ここで、
学級を2つのグループにわけて議論させる。
議論のテーマ
テーマ①「米国は侵略と虐殺の国家であったのか、否か?
副題:米国はホントに自由民主主義の国だったのか?・・・独立当時に米国民であったインデイアンと黒人たちの人権は、数百年にわって、なぜ剥奪され続けたのだろうか?」
テーマ②「広島と長崎に原爆投下し、欧州では原爆投下しなっかった理由に、黄色人種に対する蔑視はあったと思うか?なかったと思うか?」
などです
英語を学ぶ理由が、欧州や米国への羨望や劣等意識だらけのGHQマッカーサー洗脳が持続する限り、無意味だと思います。
日本の義務教育で充実すべきは、国語力と論理力ではないかと思います。英語でのコミュニケーション力は、その次のステップだと思います。
私の言う論理力とは、
「課題発見力と課題解決力」であり、国力の礎となるものだと思います。すなわち、『世界に勝つ力』のもとは、
『自分で考える力』・・情報の収集、整理・加工、活用
・答えの未だない問題に自発的に立ち向かう 【問題発見力】
・当事者として、固定観念を疑い、現場の実態をつぶさに調べて、事の本質に迫れるように、多面的な見方で、自分なりの筋道[仮説]を考え、少しづつ確認[検証]しながら、構想を練り上げる 【課題設定力】
2 『考えた事を実行する志(勇気)』
・知識だけでなく、優先順位をつけて行動に移せる。リスク も判断し、その結果責任も引き受ける 【課題解決力】
3 『目的とする結果が出るまで続ける粘り強さ(戦略)』
・知識や制度を巧みに使い、他の人と粘り強く関係しながら変化に対し柔軟に全体の仕組みを作り上げる 【課題解決力】
これらを下支えるのは、
国力の源:『愛国心』だと思います。
専門の立場からご高説有難うございます。漱石の英語について昔、本で読んだことがありましたが、彼の上達のコツは多読だったそうです。また作家として有名になってからの随筆の中で、最近の学生の英語力は低いと書いていました。漱石の時代の大学予備門では、外国人教師が英語で教えていたのでしょう。戦前の旧制高校では、必ず外国人の語学教師がいたみたいです。地方の旧制中学でもいたところもあるようです。僕は旧制高校入試最後の世代で、入試の参考書といえば小野圭でした。あの本が果たして、英語力の向上に約だったのでしょうか。しかし、昔の国立旧制大学
を出た先輩世代は、英語の読解、作文力は新制大学の僕らよりはすぐれています。ただ戦後とかく言われている「会話力」は劣っているみたいですね。昔、語学といえば文学部でしたが、これもdebateと関係があるのかもしれませんね(笑い)