「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              困った南京虫の再来

2012-07-21 05:33:44 | Weblog
NHKのニュースによると、トコジラミが東京、大阪など大都市のホテル、旅館を中心に復活しているという。僕らの世代にはトコジラミというより南京虫の名前で知られている。暫らくぶりで聞く懐かしい名前だが、困ったものの復活である。南京虫は昭和40年代には日本では絶滅されたと聞いていたが、最近欧米で増え始め、旅行者のバッグなどに潜んで日本に運びこまれてきた模様だ。

45年前、僕がジャカルタに在勤中、初めて覚えたインドネシア語の一つが”kutu busuk"(南京虫)であった。市内の一流映画館で「座頭市」を見にでかけたら、南京虫に手足を噛まれて見るどころではなかった。エアコンのなかったホテルのベッドの上にも南京虫が行列していた。否が応でも僕は”kutu busuk"という言葉を覚えた。

敗戦直後の東京の電車の駅では、進駐軍の命令により殺虫剤DDTの白い粉が乗客の頭の上から散布された。僕も体験しているが、それほど当時の日本では、南京虫を始めノミ、シラミ、ダニの類が跋扈していた。ハエや蚊もうようよしていて、どこの家庭でも蚊帳をつって寝ていたものだ。バリ島の高級ホテルでもエアコンはなく、高い天井につけられた大きな扇風機がゆっくりとまわり、その下の蚊帳の中で寝ていたことが想い出される。

南京虫に食われると、肌にいつまでも赤い跡が残って困った。最近、都会では南京虫どころか、蚊に刺されることもなくなってきた。まさか絶滅した南京虫が復活するとは思ってもいなかった。空港の検疫所でいちいち乗客に殺虫剤をかけるわけにはいかない。困った問題だ。

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4 コメント

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見たことない (chobimame)
2012-07-21 08:07:14
母や叔母などの口から南京虫との言葉を聞いたことがありますが、ずっとゴキブリの名称だと思っていました。違うのですね。南京虫もそうですが、最近は外来種の毒性の強い虫が荷物について入ってくるそうです。いま一番懸念されているのが赤蜘蛛だったか、小さいな赤い猛毒を持つ蜘蛛だそうです。あまりに小さくて人の意識に残らないくらいだそうですが、刺されたら解毒の方法がなく命も危うくなるそです。アメリカなどでは年間何人かが命を落とすそうです。便利になると考えもしなかったものが入ってきますね。
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Unknown (Ronny )
2012-07-21 09:21:21
久しぶりに”南京虫”を聴きました。
戦時中のことですが、スラバヤでは、刺されたことは在りませんが、任務でジャカルタに移動したとき、バックリと刺されましたよ。
終戦後は、収容所を毛布一枚持って移動してましたが、復員船で名古屋港で、バックリとDDTのを振り掛けて貰いました、東京の家に帰ってから、布団に家ダニがいるらしく痒くて寝られないので、持ち帰った毛布を敷いたら、安眠出来ました、DDTに今でも感謝してます。
(DDTは”毛じらみ”にも効果が在ったそうですよ)
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名前の由来 (kakek)
2012-07-21 12:07:34
choimame さん

何故南京虫といったのか判りません。多分戦前日本にやってきた中国人が南京からの人が多かっ宝でしょう。横浜の中華街も戦前は南京町と呼ばれていました。バブルの頃女性用の高級腕時計を南京虫と呼ばれていました。多分形が似ていたんでは。ゴキブリみたいに、すばやく捕まえるのが難かしかったです。
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Unknown (kakek)
2012-07-21 17:43:20
Ronny さん
友人の亡兄がRonnyさんと同学年で、戦時中教練で習志野で宿泊訓練をしたさい、南京虫で悩まされたと手記に残してあるそうです。”毛じらみ”は戦後の昭和28年、僕も洗礼をうけDDTのお世話になりました。
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