中部ジャワの旅にはトータルでインドネシア在住30年というSさんが先達として同行してくれた。言葉の面もさることながら最近のインドネシア事情に詳しいので勉強になった。僕は1966年以来、長期滞在を含めて30回近くは旅しているが、大概は2週間とか3週間の滞在だから、所詮、旅人の目での観察である。今回もシンガポールを含めて8泊9日の短い旅行での印象にすぎない。
インドネシア旅行は昨年についで2回目だが、旅人の目にもこの国がここ数年、着実に経済発展を遂げているように映る。今回は首都ジャカルタを離れた中部ジャワの旅だったが、どこのホテルも現地の人で一杯、ソロ市ではサッカー試合があるとの理由から予約がとれなかった、テマングンでは、折からの結婚シーズンもあって部屋は参加者で埋まっていた。ホテル代は日本円にして3千円位だが、現地の人の収入からみれば大金である。
車でソロからテマングンまで山の中の道を2時間走ったが、標高1,500㍍の小さな町にもモダンなミニスーパーが出現しているのに驚いた。インドネシアには昔から伝統的なToko serba serbi(よろず屋)があったが、ミニスーパーはそれに変るもので、生鮮食料品から日常雑貨まで扱い、燃料のプロパンガスや飲料水の配達までしている。
こんな山の中の小さな町にも韓国の繊維企業が進出してきていた。先達のSさんによると、日本人の半分ぐらいの給料でも韓国の若い人は辺鄙な場所にも働きにやってくるそうだ。かってソロの町にも日本の企業があり、日本食のレストランもあったが、今は撤退しかわって韓国の高級料理店が進出している。昨年の旅でも韓国企業のインドネシア進出に触れたが、日本人にはないエネルギーを今回の旅でも感じた。
ジャカルタ長期滞在の日本人の数が、やっと1万人台に復活、増えているようだが、Sさんによれば日本クラブは依然、大企業中心の組織のようである。日本から中小企業が出かけて商売したくとも、その受け皿がないという苦情もある。大企業の若い駐在員がコンドミニアムに住み、雇い人を使いながら休日にはゴルフ三昧という生活ははもうバブル時代の残滓のように思うがどうだろうか。(写真は標高1500㍍の小さな町のミニスーパー)
インドネシア旅行は昨年についで2回目だが、旅人の目にもこの国がここ数年、着実に経済発展を遂げているように映る。今回は首都ジャカルタを離れた中部ジャワの旅だったが、どこのホテルも現地の人で一杯、ソロ市ではサッカー試合があるとの理由から予約がとれなかった、テマングンでは、折からの結婚シーズンもあって部屋は参加者で埋まっていた。ホテル代は日本円にして3千円位だが、現地の人の収入からみれば大金である。
車でソロからテマングンまで山の中の道を2時間走ったが、標高1,500㍍の小さな町にもモダンなミニスーパーが出現しているのに驚いた。インドネシアには昔から伝統的なToko serba serbi(よろず屋)があったが、ミニスーパーはそれに変るもので、生鮮食料品から日常雑貨まで扱い、燃料のプロパンガスや飲料水の配達までしている。
こんな山の中の小さな町にも韓国の繊維企業が進出してきていた。先達のSさんによると、日本人の半分ぐらいの給料でも韓国の若い人は辺鄙な場所にも働きにやってくるそうだ。かってソロの町にも日本の企業があり、日本食のレストランもあったが、今は撤退しかわって韓国の高級料理店が進出している。昨年の旅でも韓国企業のインドネシア進出に触れたが、日本人にはないエネルギーを今回の旅でも感じた。
ジャカルタ長期滞在の日本人の数が、やっと1万人台に復活、増えているようだが、Sさんによれば日本クラブは依然、大企業中心の組織のようである。日本から中小企業が出かけて商売したくとも、その受け皿がないという苦情もある。大企業の若い駐在員がコンドミニアムに住み、雇い人を使いながら休日にはゴルフ三昧という生活ははもうバブル時代の残滓のように思うがどうだろうか。(写真は標高1500㍍の小さな町のミニスーパー)
日本は、中国韓国から脱却し、他に目を向けるべきです。中国や韓国は、一見経済大国になりましたが、日本に依存し、また日本人がバカみたいな善意で技術やお金を提供した結果、なし得た発展です。
しかし元々が怪しい経済発展ですから貧困層は、まだまだ多いです。
日本も貧困の問題が出てきましたが、住民票があれば最低限の生活保障があり、仕事も選ばねば食べることは出来ます。
日本も不景気で喘いでますが、中国韓国程の必死さがありません。
登り詰めた後は、何をしたら良いか分からない状態が今の日本です。それを平和ボケと呼ぶのでしょう。
日本は、インド、アフリカ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールなどの国と、もっと真面目に付き合うべきです。
日本の外交も企業も、外国はアメリカ、中国、韓国しか頭にありません。
情報収集が下手な上に、日本はスパイ天国で情報がダダ漏れです。
緩んだ日本を閉め直さなければいけません。
戦前子供のころ、日本は資源が少ない国だから一生懸命働かなくてはならない、と勤勉を叩き込まれて世代です。昭和37年、アラブ湾岸諸国を回った時代、関西の繊維商社がトランクに見本品を詰め商売しているのをよく見かけました。電気製品や自動車が世界的に有名になる前でした。戦前、インドネシアでも行商人がジャワの奥地まで薬や雑貨を売り歩いていた記録が残っています。やはり原点に返って、日本人の若い人も汗をかきながら働くことが必要な気がします。外国に行き、広いコンドミニャムに住んで、ゴルフをしていても相手国の理解にもなりません。
昔は「勤勉」が日本人の美徳でした。じゃがたら友の会の記録を読むと、戦前の日本人はジャワ、セレベス、スマトラの片田舎にまで「toko jepang」を開き、天秤棒をかついで商売していたそうです。資源のない国です。やはり勤勉でなければ他国に負けると覆うのですが。ジャカルタの大企業だけではインドネシアはわかりません。
NHKのラジオの特派員報告で、ジャカルタの飼い犬ブームを伝えていました。たしかに華僑を中心にした富裕層ではそうかもしれませんが、イスラム色の強い今回の旅では、僕は一匹の犬をみませんでした。木を見て森を見ぬ類の話です。