長生きするといい事もある。まったく思ってもいなかったのに、UAE(アラブ首長
国連邦)ドバイ首長一族から僕あてに招待状が舞込んできた。46年前の昭和37年、
僕は新聞社の移動特派員として、ドバイを訪れたことがある。UAEが独立する前で
休戦海岸(Trucial States)と呼ばれ、英国の保護領だった頃だ。
昭和37年といえば、日本は「三丁目の夕陽」の頃で、まだ渡航の自由化前「世
界の秘境」といったような雑誌が売れていた頃である。僕は同行のカメラマンと
一緒にドバイに1週間滞在した。その頃のドバイは、僕らにとってまさに"秘境”で
あった。町の女性は、異様な黒ずくめの衣装で顔までベールで覆っていた。僕ら
は町に一つしかなかった部屋数八つのAirport Hotelの二号室に泊まった。
ドバイの前に僕らは、エジプト、シリアなど中東5カ国を取材してきたが、ドバイは
まだ未開の地という感じで、クリーク(入り江)を挟んだ町は、カメラマンの目を輝
かさせるものがあったのであろう。1週間の滞在なのに300枚以上も撮り捲った。
時は半世紀近く流れ、彼の撮った写真がドバイ在住の日本人夫妻の好意で、ドバ
イ首長一族のシェーク・アフメッド殿下(エミール・グループ会長)の目にとまり、今
回の招待となった。ドバイにとって独立前の写真は貴重なもののようだ。
この13日から僕らは1週間、ドバイの旧地に滞在して”世界の奇跡"といわれる同
国の発展ぶりを、自身の目で見てその変容を取材してくる。できれば僕もこのブロ
グで写真だけでもと思っている。
(写真は46年前の僕が撮った写真)
国連邦)ドバイ首長一族から僕あてに招待状が舞込んできた。46年前の昭和37年、
僕は新聞社の移動特派員として、ドバイを訪れたことがある。UAEが独立する前で
休戦海岸(Trucial States)と呼ばれ、英国の保護領だった頃だ。
昭和37年といえば、日本は「三丁目の夕陽」の頃で、まだ渡航の自由化前「世
界の秘境」といったような雑誌が売れていた頃である。僕は同行のカメラマンと
一緒にドバイに1週間滞在した。その頃のドバイは、僕らにとってまさに"秘境”で
あった。町の女性は、異様な黒ずくめの衣装で顔までベールで覆っていた。僕ら
は町に一つしかなかった部屋数八つのAirport Hotelの二号室に泊まった。
ドバイの前に僕らは、エジプト、シリアなど中東5カ国を取材してきたが、ドバイは
まだ未開の地という感じで、クリーク(入り江)を挟んだ町は、カメラマンの目を輝
かさせるものがあったのであろう。1週間の滞在なのに300枚以上も撮り捲った。
時は半世紀近く流れ、彼の撮った写真がドバイ在住の日本人夫妻の好意で、ドバ
イ首長一族のシェーク・アフメッド殿下(エミール・グループ会長)の目にとまり、今
回の招待となった。ドバイにとって独立前の写真は貴重なもののようだ。
この13日から僕らは1週間、ドバイの旧地に滞在して”世界の奇跡"といわれる同
国の発展ぶりを、自身の目で見てその変容を取材してくる。できれば僕もこのブロ
グで写真だけでもと思っている。
(写真は46年前の僕が撮った写真)
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