東日本大震災からもう3年になる。これを前に安倍晋三総理が昨日の記者会見で「震災4年目は復興を実感できる1年にしてゆく」と抱負を語った。今日はテレビも新聞も「大震災3年」一色である。しかし、正直言って震災から3年経った被災地の現状が伝わってこない。どこまで復興したのか、伝わってこないのだ。安倍総理も復興”道半ば”と言っていたがまさにその通りだ。大震災による避難者総数が26万7000人もいては復興の実感がないのは当然だ。
関東大震災の復興がなって、東京で復興記念祭が催されたのは震災から6年半経った昭和5年3月である。当初の復興計画案はだいぶ縮小されたが、東京は昭和通り、靖国通りなど大通りがめぐらされ、隅田川にも近代的な橋が架設された。昭和天皇が復興地を巡幸されて、東京の町には花電車が繰り広げられた。当時の画報を見ると、市民は心から復興を実感しているように見える。
震災4年目を迎え、政府は仮設住宅の住民を高地の復興住宅に移す計画をスピードアップさせるようだが、すでに住民との間に意見の食い違いが出てきて計画通り進んでいないという。それよりも、原発事故により強制移転された住民の今後の”青写真”が、依然描ききれいないでいることだ。恐らく来年度になっても避難者数は減らない。これでは復興の実感はない。安倍総理は2020年の東京五輪には被災地の子供を五輪に招きたい、と記者会見でいっていたが、それよりも避難者を故郷に返すことができるのか、もし返すことができないのならば、どうするのか―。それが片付かなければ、復興への実感は感ぜられない。
関東大震災の復興がなって、東京で復興記念祭が催されたのは震災から6年半経った昭和5年3月である。当初の復興計画案はだいぶ縮小されたが、東京は昭和通り、靖国通りなど大通りがめぐらされ、隅田川にも近代的な橋が架設された。昭和天皇が復興地を巡幸されて、東京の町には花電車が繰り広げられた。当時の画報を見ると、市民は心から復興を実感しているように見える。
震災4年目を迎え、政府は仮設住宅の住民を高地の復興住宅に移す計画をスピードアップさせるようだが、すでに住民との間に意見の食い違いが出てきて計画通り進んでいないという。それよりも、原発事故により強制移転された住民の今後の”青写真”が、依然描ききれいないでいることだ。恐らく来年度になっても避難者数は減らない。これでは復興の実感はない。安倍総理は2020年の東京五輪には被災地の子供を五輪に招きたい、と記者会見でいっていたが、それよりも避難者を故郷に返すことができるのか、もし返すことができないのならば、どうするのか―。それが片付かなければ、復興への実感は感ぜられない。
復興から3年経った被災地の人たちの今を扱った雑誌の記事を読みました。
復興の青写真が被災者の望むものではないそうです。また、震災から3年が過ぎても、震災のショックから立ち直れなかったり、東電からの補償金で働く気をなくして、いまだに無職の人も少なくないそうです。
お役所は、被災地が見ていないと思うくらい、現状を把握していないように見えます。
対応の初動の失敗があとを引いていますね。震災直後の復興構想会議はなんだったのか。あの時点では構想より人命救助であり、仮住宅の建設を急ぐべきでしたね。ふ菅内閣の復興大臣が岩手県知事とサッカーボールの蹴りあいをしていたのを想い出します。
関東大地震の時は国家権力がプラスに作用しましたが、今は違います。難しい問題ですが、それぞれに我を抑えなければならないかもしれませんね。