断捨離―やっとの思いで亡父の遺品の一角の整理に掛かったら76年前の昭和18年(1943年)父が古アルバムを利用して作った、写真で綴る自分史が出てきた。題して「流ひょう影譜」(写真参照)-戦前漢文教育を受けた僕でも正しい読み方と意味は分からない。浮き草のような自分の半生の写真記録とでもいうのであろうか。
亡父は当時59歳、仕事を辞め還暦を前に徒然なるままにこんな記録を思い立ったのだろう。物資が欠乏しかけてきた時代である。古アルバムに自分の生れてからの写真にキャプションをつけて時代順に編集している。1ページの「揺籃」には生後1か月と24日(明治17年)に撮影した“おちんちん”丸出しの写真や祖母に抱かれた2歳時のもの、それに11歳時祖父と上野の写真館で撮影したものなど。
祖父(1831年ー99年)は幕末時の文久2年(62年)、横浜で撮ったサムライ姿の写真があり、小ブログでも紹介しているが、維新後明治32年死去するまでの写真はこれ1枚しかない。やはり、明治時代、とくに初期は珍しかったのだろう。
父はこの写真集の後、84歳まで長生きしているが続編は作っていない。死後の写真を整理して父の一生を記録として残すべきなのだろうが、怠けて出来ない。IT時代、新しい技術を駆使すれば、活字でなくとも残せる。知人からも勧められるのだが一向に進まない。
歴史的な価値があると思います。
当時の生活がわかりますから。
ぜひぜひ纏めて下さい。
江戸博物館などに展示されても良い写真です。
庶民の三代にわたる”写真自分史”は珍しいのではないかとおもいます。残念なのはああ、やはり戦争中のものと戦後昭和30年代までが少ないことです。戦争中、男性に着用を奨励された国民服姿の写真など珍しいです。
僕の場合は、馬鹿チョンカメラの普及以来、写真の枚数が多くなり、アルバムが断捨離の”公害”になってきました。整理が問題です。
流石です
お見せできると思います。散逸しないでよかったです。