東京足立の111歳男性の白骨遺体事件発覚をきっかけに全国各地で戸籍上は”生存”
している超高齢者が続々と見つかっている。山口県防府市では、なんと186歳の男性
が戸籍上、生存扱いされていた。文政7年(1824年)生まれで、坂本竜馬よりも12歳も
年上だというから驚きだ。
今年は僕の祖父の生誕180年である。とくに有名人でもなく歴史上の人物ではないが、
幕末の文久2年(1862年)横浜の写真館で撮った写真が残っている(小ブログ2009年6
月5日所載)が、持っている扇子に当年32歳と書いてある。これから逆算して祖父は文
政13年(1830年)生まれで吉田松陰と同じ年、竜馬より6歳年上の同時代人であった。
昭和生まれの僕らの世代で、祖父が江戸時代を生きた”さむらい”だったケースは稀だ。
普通は明治初年の生まれなのだが、僕の場合、父の48歳の時の子供、またその父も祖
父の44歳の子供だったため、普通は4世代なのが3世代だからなのだ。
最近の竜馬ブームで、幕末の歴史がクローズアップされているが、自分の祖父(徳川幕
府の幕臣)が竜馬と同時代人であったことを知り、幕末史に興味が湧いてきた。しかし、
わが家には、写真以外には、祖父がこの時代に何をし、何を考えていたかを知る文書は
何も残っていない。祖父は明治32年に亡くなっているし、父も昭和43年にこの世を去って
おり、調べようがない。しかし、竜馬の時代に横浜で写真を撮っているところからみて攘夷
の士ではなかったようだ。
している超高齢者が続々と見つかっている。山口県防府市では、なんと186歳の男性
が戸籍上、生存扱いされていた。文政7年(1824年)生まれで、坂本竜馬よりも12歳も
年上だというから驚きだ。
今年は僕の祖父の生誕180年である。とくに有名人でもなく歴史上の人物ではないが、
幕末の文久2年(1862年)横浜の写真館で撮った写真が残っている(小ブログ2009年6
月5日所載)が、持っている扇子に当年32歳と書いてある。これから逆算して祖父は文
政13年(1830年)生まれで吉田松陰と同じ年、竜馬より6歳年上の同時代人であった。
昭和生まれの僕らの世代で、祖父が江戸時代を生きた”さむらい”だったケースは稀だ。
普通は明治初年の生まれなのだが、僕の場合、父の48歳の時の子供、またその父も祖
父の44歳の子供だったため、普通は4世代なのが3世代だからなのだ。
最近の竜馬ブームで、幕末の歴史がクローズアップされているが、自分の祖父(徳川幕
府の幕臣)が竜馬と同時代人であったことを知り、幕末史に興味が湧いてきた。しかし、
わが家には、写真以外には、祖父がこの時代に何をし、何を考えていたかを知る文書は
何も残っていない。祖父は明治32年に亡くなっているし、父も昭和43年にこの世を去って
おり、調べようがない。しかし、竜馬の時代に横浜で写真を撮っているところからみて攘夷
の士ではなかったようだ。
続々と江戸時代生まれの戸籍が発見されていますが、
本当に生きておられたら色々と興味深い話が聞けたのにと思います。
長寿国となっても江戸時代まで遡ることは難しいですよね。
今の時代は、写真や映像を残すものがたくさんありますが、未来の人はどう見るのでしょうね。
祖父が横浜の写真館で写真を撮った文久2年は
尊王攘夷の志士が、京都に集まり物情騒然の時代、江戸でも英国大使館が焼き討ちされていますが、祖父は当時なにをしていたのか判りませんが、江戸から馬に乗って(多聞)横浜に出かけています。歴史は表だけではなく、裏もあって面白いですね。遅まきながら古文書を当たってみよおうかと思っています。