
昨日、老妻に”連れられて”歳末の風景を見ながら近くのUNI-CLOへ正月の晴着を買いに行った。戦前昭和の時代、まだ日本日本全体が貧しかった頃、どこの家庭でも正月には子供に新しい一帳羅の晴着を買ってやったものだった。一帳羅という言葉自体もう死語に近いが、辞書によると”持っている衣服の中で一着しかない上等なもの”で、語源は「一挺蝋」(いっちゃうろう)=一本の大きな蝋燭=が訛ったものだという。昔、蝋燭が照明として高価だった時代の名残なのだろう。
子煩悩だった僕の亡父は、僕の誕生日ごとに近くの写真スタジオで記念写真を撮ってくれた。写真は満3歳から6歳のものだが、一帳羅の盛装である。アルバムには昭和18年、僕が12歳までの一帳羅姿が載っているが、その後は戦争で、それどころではなく中止されている。この時代は食糧難だけでなく衣服にも事欠いた。最低限度の衣料は配給切符で買えたが、成長期の子供を持つ家庭では、母親たちが色々と対応に困った。古くなった自分のセーターの糸をほどき、子供のために編み直したり、古着を裏返しにして着たりさせた。子供の半ズボンのお尻の部門には猿のおケツのような補強の布が縫われていた。
80歳をすぎて今さら正月の晴着でもないが、結婚58年の老妻の好意を有り難く受け、歳にしては派手すぎるセーターを一着買ってもらった。年寄りにとって、冥土の旅の一里塚にすぎない正月だが、やはり一帳羅のほうがよい。これで暖かく新年を迎えることができる。感謝。
子煩悩だった僕の亡父は、僕の誕生日ごとに近くの写真スタジオで記念写真を撮ってくれた。写真は満3歳から6歳のものだが、一帳羅の盛装である。アルバムには昭和18年、僕が12歳までの一帳羅姿が載っているが、その後は戦争で、それどころではなく中止されている。この時代は食糧難だけでなく衣服にも事欠いた。最低限度の衣料は配給切符で買えたが、成長期の子供を持つ家庭では、母親たちが色々と対応に困った。古くなった自分のセーターの糸をほどき、子供のために編み直したり、古着を裏返しにして着たりさせた。子供の半ズボンのお尻の部門には猿のおケツのような補強の布が縫われていた。
80歳をすぎて今さら正月の晴着でもないが、結婚58年の老妻の好意を有り難く受け、歳にしては派手すぎるセーターを一着買ってもらった。年寄りにとって、冥土の旅の一里塚にすぎない正月だが、やはり一帳羅のほうがよい。これで暖かく新年を迎えることができる。感謝。
お陰様で、今年は此処でいろいろと勉強をさせて頂き有難うございました。
インドネシアの話題などを読ませて頂くと、懐かしくって、つい昔話をしたくなってしまいます。
お子様時代の写真を拝見させて頂きました。
小生の誕生後の写真を、厚かましくもサイトに載せてますので、宜しかったら・・・
(割合と可愛い子供だったらしいけれど、こんな糞爺になるとは~・・・。)
http://homepage2.nifty.com/bup/84-2.htm
恥ずかしながら生き長らえて米寿とやらを迎えます。
来春も宜しく、ご指導方お願い申し上げます。
良いお年をお迎えください。
敬具
早速、HP拝見させてもらいました。本格的なHPで羨ましい限りです。不器用な僕には、その技術がありません。
昔の写真には、写真館の名前が入っていましたね。それだけ撮影に責任を持っていたのですね。「大森町」から戦前の大森の賑やかさを懐かしく想い出しました。
よいお年を。来たるべき年もよろしくお願いいたします。
明るい色は、気持ちまで明るくさせますから、どんどん着て下さい。
私はノロにやられて昨日まで寝込んでおりました。年末の総決算という感じです。
kakekさんもお気をつけください。
お見舞い申し上げます。まさに年末にきての総決算ですね。昔はあまり聞いたことがありませんでしたが多分、”お腹の風邪”ぐらいで片付けられていたのでしょう。年寄りは気をつけなくてはなりません。
かってはお正月を前に、日本髪を結う女性で髪結いさんが混雑した風景がありましたが、今は第一髪結いさん自体ありませんね。時の流れを感じます。