カメルーンとモロッコのコヒー 2013-02-24 17:31:26 | Weblog 近所に住むカメルーン人が長期休暇ら帰り、お土産として焙煎のコヒーを貰った。ネット情報によれば、カメルーンのコヒーは85%がロブスタ種で、残り15%がアラビカ種だという。紙袋にはその表記がないので、どちらか判らない。偶然だが、つい最近モロッコ観光から帰国した孫の友人から、ラクダの絵が描かれたコヒーの袋を貰った。こちらは表記がアラビア語なので、どちらの種だか判らない。いずれにしても初めて飲むものなので楽しみだ。世界も近くなったものだ。アフリカのコヒーが東京でもこうして簡単に飲めるようになったのだ。 « 無花粉杉... | トップ | PM2.5... »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 反コーヒ主義者 (kakek) 2013-03-01 17:04:16 lordyupa さん反コーヒ主義者の話、おもしろいですね、初めて知りました。半世紀前、イエメンを訪問した時、モカ(モガディシュ)の語源を知りましたが、現地で飲んだモカはあまりおいしくありませんでした。エチオピアや対岸のアラビア半島は今は貧困地域で、原理主義者の巣窟みたいになっていますが、実際はどうなのでしょうか。若ければ出かけたいのですが、残念です。 返信する アラブ・イスラム原理主義者の贈り物 (lordyupa) 2013-03-01 15:22:15 コーヒーは、約千年前に原産地エチオピア高原にすむ遊牧民の戦士が食用していたそうです。この豆がイエメン高地でも栽培され、ワインの替わりに飲用され、特に、少数派のイスラム教原理(秘密)主義派スーフィの間で普及をみたそうです。(コーランでは、飲酒は禁止していたが、裏では「闇の居酒屋」があり、ワインを供していたようです。そのワインの替わりに、15世紀末にはメッカ、メディナ、カイロのモスクで礼拝の集まりで、差しつ差されつ、コーヒーが供用されだしたそうです)反コーヒー主義者の高官ベイは、1511年にコーヒーを全面的に禁止し、メッカの街路市場でコーヒー豆を焼却させ、コーヒーを売買した者は鞭を打たれた。・熱い料理に息を吹きかけて食べてはいけない(コーラン)・煎った豆は炭であり、炭を食してはならない(コーラン)・飲むと興奮したり、食欲をなくしたり、眠くなくなり「人間の心身に悪影響」(当時の医学的判断)がある・・・・・という3項目が、コーヒー禁止令の根拠だそうです。幸い、翌1512年、コーヒー推進派が巻き返して、ベイを辞職に追い込んで、以後、メッカは、「コーヒーのメッカ」となって、爆発的な普及をとげた。もし、イスラム教徒が、このとき、豚肉や酒のように、禁止していたら、写真のようなコーヒーも出回らなかったかもしれない。 返信する コヒーのウンチク (kakek) 2013-02-25 10:10:20 大正生れ さんアヤムの糞から排出したチレボンのコヒーが最高品だったことは初めて聞きました。kopi luak(ジャコウネコの糞からのコヒー)がいま世界的お最高品だといわれていますが、昔から同じような下地があったのですね。明日、先輩からの情報を入れて、コヒーについて蘊蓄(ウンチク)を書いてみます。 返信する カッチャン・コピー (大正生まれ) 2013-02-24 20:22:06 戦時中の話で恐縮ですがぁ~。コピーのカッチャン(豆)は、チェリボン(チレボン)の豆が最高とか、コピーの豆をアヤム(鶏)に食べさせて、糞で排出したコピーの豆が、最高のカッチャン・コピーとか、知ったかぶりの先輩から聞いたことを想い出しました。マカッサルの海岸通りの屋台でコピーススをコップで飲んでいたことを想い出しました。屋台でサティを食べたとき、漬け汁を間違えて唐辛子の壺に突っ込んで、食べて、死にそうになった記憶も御座います。 無駄話でした。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
反コーヒ主義者の話、おもしろいですね、初めて知りました。半世紀前、イエメンを訪問した時、モカ(モガディシュ)の語源を知りましたが、現地で飲んだモカはあまりおいしくありませんでした。エチオピアや対岸のアラビア半島は今は貧困地域で、原理主義者の巣窟みたいになっていますが、実際はどうなのでしょうか。若ければ出かけたいのですが、残念です。
反コーヒー主義者の高官ベイは、
1511年にコーヒーを全面的に禁止し、メッカの街路市場でコーヒー豆を焼却させ、コーヒーを売買した者は鞭を打たれた。
・熱い料理に息を吹きかけて食べてはいけない(コーラン)
・煎った豆は炭であり、炭を食してはならない(コーラン)
・飲むと興奮したり、食欲をなくしたり、眠くなくなり「人間の心身に悪影響」(当時の医学的判断)がある
・・・・・という3項目が、コーヒー禁止令の根拠だそうです。
幸い、
翌1512年、コーヒー推進派が巻き返して、ベイを辞職に追い込んで、以後、メッカは、「コーヒーのメッカ」となって、爆発的な普及をとげた。
もし、イスラム教徒が、このとき、豚肉や酒のように、禁止していたら、写真のようなコーヒーも出回らなかったかもしれない。
アヤムの糞から排出したチレボンのコヒーが最高品だったことは初めて聞きました。kopi luak(ジャコウネコの糞からのコヒー)がいま世界的お最高品だといわれていますが、昔から同じような下地があったのですね。明日、先輩からの情報を入れて、コヒーについて蘊蓄(ウンチク)を書いてみます。
コピーのカッチャン(豆)は、チェリボン(チレボン)の豆が最高とか、コピーの豆をアヤム(鶏)に食べさせて、糞で排出したコピーの豆が、最高のカッチャン・コピーとか、知ったかぶりの先輩から聞いたことを想い出しました。
マカッサルの海岸通りの屋台でコピーススをコップで飲んでいたことを想い出しました。
屋台でサティを食べたとき、漬け汁を間違えて唐辛子の壺に突っ込んで、食べて、死にそうになった記憶も御座います。 無駄話でした。