岩手県沖のスケトウダラの底引き網漁業が被災後、やっと再開されたが津波による瓦礫で漁獲はへり、価格も1キロ30円と例年の半値以下だそうだ。その原因は、スケトウダラをちくわや蒲鉾の原料としていた地元の水産業者の7割が被災して買手がなく、獲れたスケトウダラは、ほとんどタダ値同然で養殖用のエサになっているとのことだ。
戦後のあの食料難時代を体験した僕らの世代にとって、スケトウダラの名前はなつかしいし、おおげさにいえば生命の恩人でもあった。当時、NHKのラジオ番組に「配給だより」というのがあった。地域ごとに各市場の配給できる野菜や魚の入荷量を消費者に知らせる番組だったが、なぜか魚は毎日スケトウダラであった。戦前の流行歌”今日もコロッケ”をもじって”今日もスケトウダラ”と歌ったものだ。
あの時代、東京では台所から魚が消えた。あっても高嶺の花で庶民の口には入らなかった。新橋など国鉄(JR)駅前の焼け跡の闇市には、進駐軍の残飯を処理したスープなどに混じって、なぜか大振りの鰯がどこでも売られていたが、目の飛び出るような高値だったのを覚えている。
配給になったスケトウダラを、どのようにして食べたのか覚えていない。醤油やソース、食用油など手に入らなかった時代である。多分、塩焼きか塩汁にして食べたのであろう。その塩さえ、なかなか入手できなかった。あの時代に比較すれば、まだ食に関しては今は恵まれているのかもしれない。スケトウダラは養殖用のエサにまわされているのだから。
戦後のあの食料難時代を体験した僕らの世代にとって、スケトウダラの名前はなつかしいし、おおげさにいえば生命の恩人でもあった。当時、NHKのラジオ番組に「配給だより」というのがあった。地域ごとに各市場の配給できる野菜や魚の入荷量を消費者に知らせる番組だったが、なぜか魚は毎日スケトウダラであった。戦前の流行歌”今日もコロッケ”をもじって”今日もスケトウダラ”と歌ったものだ。
あの時代、東京では台所から魚が消えた。あっても高嶺の花で庶民の口には入らなかった。新橋など国鉄(JR)駅前の焼け跡の闇市には、進駐軍の残飯を処理したスープなどに混じって、なぜか大振りの鰯がどこでも売られていたが、目の飛び出るような高値だったのを覚えている。
配給になったスケトウダラを、どのようにして食べたのか覚えていない。醤油やソース、食用油など手に入らなかった時代である。多分、塩焼きか塩汁にして食べたのであろう。その塩さえ、なかなか入手できなかった。あの時代に比較すれば、まだ食に関しては今は恵まれているのかもしれない。スケトウダラは養殖用のエサにまわされているのだから。
しかし一番心配なのは海洋汚染です。実際のところ、政府は何も調査をしていないそうです。放射能に汚染された魚を食べた場合の健康不安も、汚染された余った魚や人が食べた魚のゴミを焼却した場合、煙となって再度また放射能が空中に拡散することに政府や役人は無関心です。これによりますます放射能汚染が広がることを国民は知りません。海洋と魚を徹底調査し、その間は漁師の方には生活保証をするべきです。政府はろくに調べもせずに安全だとか生産重視ですが、事実を国民に知らせるべきです。
大事なことは調査せず、調査しても隠蔽する。本当に民主は日本を滅ぼそうとしています。
国会中継をテレビで見ましたが、隠蔽というより、管をはじめ閣僚が、まったく放射能禍について無頓着なのに驚きました。そのうえに民主党の変な体質が重なって、どうにもならなくなっています。閣僚の一人が、不信任案をけん制して、管が好きだか嫌いだかの問題ではない、といっていましたが、そんな認識ではない。このまま居座られれば、沈没です。民主党の議員は不信任賛成票を投じなければだめです。