「脱捨離」の心から昨日手始めに古いアルバムの整理をはじめたら平成8年(1987年)1月、友人とスマトラ旅行をしたさい撮影した「hantu」(お化け)の写真が出てきた。マンダリン.コーヒーで有名な中部スマトラの山中を車で移動中、偶然でくわした断食明けのお祭りの主人公たちである。
沖縄の宮古島には旧暦の9月「パ―ントゥ」という奇祭がある。村の悪魔を木の皮の衣装を着け仮面をかぶった「パーントゥ」(お化け)が追い出すというお祭りである。前から僕は「パーントゥ」と「hantu」との発音の類似から、何か関係があるのではないかと思っていたが、昨日ネット掲載の「パーントゥ」とアルバムの「hantu」の写真を改めて見比べてみて驚いた。そっくりなのである。
沖縄の先島地方には、南方文化との関連を匂わせるものがある。例えば石垣島の民謡「安里屋ユンタ」のなかの繰り返し文句”マタハリヌチンタラカヌシャマヨ”について昔からマレー語(インドネシア語)の「matahari」(太陽)「cinta」(愛する)「kamu」(お前)ではないかという説がある。
15世紀から16世紀にかけて琉球王国と当時マレー半島を中心に栄えたマラッカ王国との間には通商関係があり、毎年双方の貿易船が往来している。マラッカとスマトラとは海峡をはさんで指呼の距離である。現在のマレーシアのネグり.センビラン州の住民は中部スマトラのパダンからの移民が多い。。宮古島の「パーントゥ」が、どのようにして海を渡り伝わってきたのか不明だが、調べてみると他にも類似があるかもしれない。
沖縄の宮古島には旧暦の9月「パ―ントゥ」という奇祭がある。村の悪魔を木の皮の衣装を着け仮面をかぶった「パーントゥ」(お化け)が追い出すというお祭りである。前から僕は「パーントゥ」と「hantu」との発音の類似から、何か関係があるのではないかと思っていたが、昨日ネット掲載の「パーントゥ」とアルバムの「hantu」の写真を改めて見比べてみて驚いた。そっくりなのである。
沖縄の先島地方には、南方文化との関連を匂わせるものがある。例えば石垣島の民謡「安里屋ユンタ」のなかの繰り返し文句”マタハリヌチンタラカヌシャマヨ”について昔からマレー語(インドネシア語)の「matahari」(太陽)「cinta」(愛する)「kamu」(お前)ではないかという説がある。
15世紀から16世紀にかけて琉球王国と当時マレー半島を中心に栄えたマラッカ王国との間には通商関係があり、毎年双方の貿易船が往来している。マラッカとスマトラとは海峡をはさんで指呼の距離である。現在のマレーシアのネグり.センビラン州の住民は中部スマトラのパダンからの移民が多い。。宮古島の「パーントゥ」が、どのようにして海を渡り伝わってきたのか不明だが、調べてみると他にも類似があるかもしれない。
驚いています。早速、宮古島の総合博物館にスマトラのhantuの写真を送りました。10数年前仕事で石垣島に3か月、滞在したことがありましたが、先島には独特の文化があります。どのような経路でhantuが宮古島に来たのか興味があります。一度機会があったら出かけてみようと思っています。
私事ではございますが、宮古島が大好きで、個人レベルですが今迄歴史や宗教、しきたり、食事、植物の事に興味深く触れてまいりました。それと同じくしてインドネシア、バリ島が好きで20年前くらい毎年3年ほど訪れておりまして、今年20年ぶりにバリ島に訪れどこか宮古島を重ねる場面が多く…さらに『これは!』と思ったのが新設されたデンパサール国際空港の壁面に見た島尻の『パーントゥ』に似たお祭りの絵でした。これは絶対何か交流があったに違いないと、調べていましたら貴方様のブログに辿り着かせて頂きました。興味がある一部の友人に紹介させて頂きたくURLを添付させて頂きたく思っていますが、ご承諾いただけますでしょうか?
何卒、宜しくお願い致します。
コメンと頂きながら、ご返事せず、申し訳ございません。宮古島のお祭りがユネスコに登録されたのを知り、2012年のブログを見直したらrenren様のコメントを発見しました。
徳川時代の琉球王国とマラッカ王国との関係から見てスマトラからの交易船が宮古島に漂流するのは考えれます。本格的に調べたいのですが、高齢(87)で現地へ行けません。(笑い)