「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

無政府状態だった3年前のあの頃

2014-03-17 05:20:11 | Weblog
次は3年前の平成23年(2011年)3月、東日本大震災が起きた直後の小ブログの標題である。▽後手後手の政府の震災対策(13日)▽しっかりしてくれ、政府の無計画な地震対策(14日)▽首都圏無政府状態にさせた政府の責任(15日)-と連日、菅直人内閣の無責任、無策を批判している。僅か3年前の出来事だが、年をとったせいなのだろうか、遠い昔のようにも思われてきた。

大震災直後は国民はみなテレビの画面にくぎ付けされた。自然災害の恐ろしさに驚き、恐怖を感じた。しかし、一方ではこれに対する政府の無策にもどかしさを感じた。大震災の直接被害は受けなかったが、遠く離れた首都圏でも、影響を受けて一部ではパニック状態におちいっいいた。僕の家の階下に住む在日アフリカ大使館の書記官氏は、放射能を怖れて、どこへとも行方を告げず言わず避難していった。

馬齢を重ねている僕ら老夫婦は落ち着いていたが、困ったのは突然,湧いてきたような首都圏の無計画な「計画停電」であった。はっきりとした理由の説明もなく14日早朝、枝野官房長官から発表があった。今でも僕は、あの「計画停電」とは、なんだったのか疑問に思っているが、発表の途端、街の商店やスーパーから、お米やパンが姿を消し、首都圏のJRや私鉄の交通網は乱れ、仕事にも影響が出た。

菅総理は、福島第一原発の現地視察のあと、やたらと対策委員会とか対策会議を設けたが、被災現場ではまだ救助活動が続いており、放射能被災地では避難すべきかどうかをめぐって混乱している地域さえあった。連舫さんが節電担当相に任命されたり、辻本清美さんが災害ボランティア担当総理補佐官に任命されたりしたが、菅総理をはじめ枢要閣僚の姿は国民の前から消え、枝野官房長官の”大本営発表”だけが唯一の情報源であった。考えると一種の無政府状態であったのだ。

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2 コメント

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大バカ集団 (chobimame)
2014-03-17 09:21:43
3年前のことは、もう思い出したくない程、怒りと不安でいっぱいでした。関東にいる妊娠がこれ程の感情を持つのですから、被災者の方はどれだけ大変だったか。
民主党は、あんな悲惨な現状を放置し、救済よりも党のパフォーマンスばかりを先行させ、状況を悪化させることしかしませんでした。
この議員たちにまともな思考を持つ人はいないのか疑問でもあります。
なのに野党になったとたん、与党の震災復興対策について文句を並びたてる姿は異常です。
そんなに立派な事が言えるなら、何故与党時代にやらないのか呆れるばかりです。
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国家の危機 (kakek)
2014-03-18 09:39:01
chobimame さん
テレビの画面であの大津波の惨状を見、いまだに沢山の方が行方不明だった震災直後に、原発事故現場へ出かけ、結果的には現場の作業を邪魔した菅総理の人間性を問います。何より人命救済だったと思います。そのあとの状況はご指摘の通りです。原爆事故の直接責任閣僚の一人が、反省もなく党の代表では、国会質疑もサマになりません。国家の危機だったですね。
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