NHkラジオの深夜便を夢うつつイヤホーンで聞いていたら昔懐かしい子供の”隠れん坊するもの、よっといで””じゃんけんぽい、あいこでしょう”という遊び言葉が歌のバックコーラスで流れてきた。起きてから調べてみたら「今来たよ」(作詞掛橋わこう作曲幸斉たけし)という新沼謙治が歌っている新曲だった。
日本中の町中から”じゃんけんぽい”といった遊び声が聞こえなくなって久しい。僕が子供だった戦前昭和の頃は、東京のどこへ行っても外で子供たちは遊んでいた。表通りは舗装され交通量も多かったが、裏通りではまだゴムボールで三角ベース(ボール)もできた。長屋の路地もあり、すこし足をのばせば”広っぱ”もあった。男の子は定番の鬼ごっこ、隠れん坊、下駄隠し、ウマとび(ながうま)イッサン.バラリコ、チャンバラ.ごっこから時代を反映した軍隊ごっこなどして遊んだ。
”カチク、スイライ”という遊びもあった。何人かの子供が二組にわかれ、”カチク”(駆逐)は帽子のひさしを横に”スイライ”(水雷)”は後ろにかぶり、前にかぶった”かんちょう”(艦長)とりをめぐる遊びだった。駆逐は艦長に負け、艦長は水雷に負け、水雷は駆逐に負けるといったルールだったようだが定かではない。
女の子の手毬歌の一つに”一列談判破裂して日露戦争始まった”というのがあった。”一列”がなんの意味だか定説がないそうだが”カチク”が本来は駆逐であっても子供たちにはどうでもよかった。太陽が西に沈み、暗くなっても子供たちは、母親が”ご飯だよ”と呼びにくるまで家に帰らなかった。昭和も遠くなりにけり、である。
日本中の町中から”じゃんけんぽい”といった遊び声が聞こえなくなって久しい。僕が子供だった戦前昭和の頃は、東京のどこへ行っても外で子供たちは遊んでいた。表通りは舗装され交通量も多かったが、裏通りではまだゴムボールで三角ベース(ボール)もできた。長屋の路地もあり、すこし足をのばせば”広っぱ”もあった。男の子は定番の鬼ごっこ、隠れん坊、下駄隠し、ウマとび(ながうま)イッサン.バラリコ、チャンバラ.ごっこから時代を反映した軍隊ごっこなどして遊んだ。
”カチク、スイライ”という遊びもあった。何人かの子供が二組にわかれ、”カチク”(駆逐)は帽子のひさしを横に”スイライ”(水雷)”は後ろにかぶり、前にかぶった”かんちょう”(艦長)とりをめぐる遊びだった。駆逐は艦長に負け、艦長は水雷に負け、水雷は駆逐に負けるといったルールだったようだが定かではない。
女の子の手毬歌の一つに”一列談判破裂して日露戦争始まった”というのがあった。”一列”がなんの意味だか定説がないそうだが”カチク”が本来は駆逐であっても子供たちにはどうでもよかった。太陽が西に沈み、暗くなっても子供たちは、母親が”ご飯だよ”と呼びにくるまで家に帰らなかった。昭和も遠くなりにけり、である。
(東京府下荏原郡大森町生まれです)
小生の記憶では ”じゃんけんぽい” は ”じゃんけんぽん”
女の子の手毬歌の一つに”一列談判破裂して日露戦争始まった”
は、”日清談判破裂して・・・”と記憶・
”ウマとび(ながうま)” は”うまのり”。
”兵隊ごっこ”はやってました。
他に、当時、ガキの遊びは、メンコ、ベイゴマ。
小学校を卒業したら”小僧”に出されると聞いて、自転車に乗れるようにと、せがんで、子供用の自転車を買ってっ貰いましたが、池上の坂で転倒、大怪我を。
グローブ、ミットも買って貰い、近所の広場で野球も。
将棋にも”軍隊将棋”って言うのが御座いました。
尋常小学校の唱歌の時間に、先生から”橘中佐の歌”と広瀬少佐の歌”の、どちらが好きかと聞かれたことを想い出しました(76年前の記憶ですね)。
それから四年後に南方戦線で、本物の戦争をやるとは、夢にも思いませんでした。。
つまらない想い出で失礼しました
m(__)m
先輩は僕より学年にして5年から6年上で、同じ荏原郡
生まれ(僕は大崎町)です。子供の時の遊びも。ほとんど同じだったですが、微妙に違いますね。ウマはナガウマと別にただウマとびというのがあって、ウマの注文に応じて”案山子”のマネなどしたのもありましたね。軍隊将棋(大崎では軍人将棋といった)は懐かしいですね、駒は廃材を使い確か黄色と橙色でした)支那事変が激化して、僕らの頃は、軍隊ごっこで負けると、服を後ろ前に着せられてチャンコロの捕虜にさせられました。何故か子供なのに”マ―ラカ.ピー”という言葉をまだ覚えています。時代ですね。
じゃんけんでは、軍艦、ハワイ、沈没なんてやっていました。
今は空き地ももありませんし、あったとしても物騒な世の中で、子供だけで外遊びが許されません。
親が付き添うか、または管理された場所(屋内遊技場、習い事など)、自宅が子供に許された場所です。
なので、時間をつぶすには家でゲーム(ゲーム機械で)をするようです。
最近のショッピングセンターには、大きなゲームセンターが設けられており、休日にはゲーム機に群がる子供と付き添う保護者で混雑しています。
子供もお金がないと遊べない時代になりました。
じゃんけんで、軍艦、ハワイ、沈没は初めて聞きました。多分、軍艦はグウ、ハワイはパア、沈没はチョキだとおもいますが、ハワイ攻撃を示唆していて面白いですね。戦争中の造語でしょうか。戦前昭和はパイナップル、グリコ。チョコレートでした。全部食べ物です。
僕の子供の時代には、多分江戸時代からの伝承でしょう。”ここは何処の細道じゃ、天神様の”とか”隣のボタンはよいボタン”といった里謡の遊びも残っていました。女の子のゴム飛びも姿をけしましたね。