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91年前の富士山頂付近の珍しい写真が亡父のアルバムにあった。裏面には「大正11年8月、伝書鳩による報知新聞の通信」と書いてある。報知新聞とは戦中読売新聞と企業合併するまで東京にあった新聞社だ。なんのために富士山頂から伝書鳩をとばしたのか理由はわからないが、金剛杖をつき、わらじ履きの時代を感じさせる写真である。(写真)
伝書鳩といっても今の若い世代には解からないかもしれない。しかし、戦前、戦中、戦後も暫らくの間は,鳩の帰巣本能を利用して遠隔地からの通信に利用されていた。普通は200㌔、時には1,000㌔の地点からも帰巣できる本能を利用して新聞社や軍隊でも利用されていた。昔新聞社が集結していた有楽町の新聞街の屋上にはどこにも鳩小屋があった。僕の子供だった頃には街中にも小さな鳩小屋があり、伝書鳩を飼っていた人もいた。
大正11年といえば、日本にアマチュア無線協会が出来る4年前のことで、世界的に、ようやくアマチュア無線に注目が集まった頃である。昔読んだ本の中に大正12年の関東大震災の関西地方への第一報は伝書鳩によるものだったそうだ。僅か90年前のことだが、時代は大きく変わってきたものだ。最近は鳩といえば、駅の近くでエサを求めているだけ。人間を見ても逃げようともしない。
伝書鳩といっても今の若い世代には解からないかもしれない。しかし、戦前、戦中、戦後も暫らくの間は,鳩の帰巣本能を利用して遠隔地からの通信に利用されていた。普通は200㌔、時には1,000㌔の地点からも帰巣できる本能を利用して新聞社や軍隊でも利用されていた。昔新聞社が集結していた有楽町の新聞街の屋上にはどこにも鳩小屋があった。僕の子供だった頃には街中にも小さな鳩小屋があり、伝書鳩を飼っていた人もいた。
大正11年といえば、日本にアマチュア無線協会が出来る4年前のことで、世界的に、ようやくアマチュア無線に注目が集まった頃である。昔読んだ本の中に大正12年の関東大震災の関西地方への第一報は伝書鳩によるものだったそうだ。僅か90年前のことだが、時代は大きく変わってきたものだ。最近は鳩といえば、駅の近くでエサを求めているだけ。人間を見ても逃げようともしない。
伝書鳩は、飼われている場所に戻ってきたとしても、決められた相手先に確実にいけるのでしょうか?
軍が使っていたとのことですが、わけのわからない場所に伝書したのでは情報漏洩になりそうですが。
今のように速い通信道具がないので、一番合理的だったのかもしれませんが、のんびりした時代だなとの印象です。
昔、まじめなサラリーマンで、会社の仕事を終えるとまっすぐ帰宅するのを伝書鳩みたいだと、言いましたが死語ですね。ただ今は、伝書鳩みたいな男性が増えているみたいですね。
わずか半世紀ちょっと前の話です。のんびりした時代だったですね。