「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        お年寄りの確認 役人の怠慢

2010-08-04 04:57:56 | Weblog
今年はまさか猛暑のせいでもあるまい。これまで日本の社会ではありえなかった変な
事件が多い、大阪の母親の二児遺棄事件、東京・足立区の111歳のミイラ老人遺体発
見事件、そしてこれに触発されたのだろうか、100歳以上の所在不明の老人が杉並の
113歳の最高齢者を初め12名も出てきた。多分、もっと増えるだろう。

何が原因なもだろうか。やはり責任は地域自治体の怠慢である。朝日新聞の調査によれ
ば、東京23区のうち100歳以上の高齢者の確認が済んでいるのは、僅か6区にすぎない。
残りの17区は確認中か未確認である。信じられない。

自治体がこれほど確認に手をやいているのは「個人情報保護法」だという。お年寄りの安
全確認は民生委員の役割だが、この法律が壁になっていて、ボランティアの民生委員では
思う様に確認できないのだという。しかし、こういった大切な仕事を無給な民間人に任せる
のだろうか。

厚労省の調査によれば、全国の100歳以上の年寄りの数は4万人だという。全国的にみれば
それほど多い数とは僕には思えない。それなのに長妻厚労相は日本年金機構を通じて110歳
以上約100人についてのみ調査するのだという。ちょっと調べただけで老人が12人も所在不明
ということは大変な出来事だと思うのだが、110歳以上限定でよいのだろうか。

都会では核家族化が進み老人の独り暮らしが増え、隣り同士でも顔を知らないケースもあると
いう。昔、僕らが子どもだった時は「隣組」の歌ではないが”格子をあければ顔なじみ”だった。
「個人情報」の重要さもわかるが、お役人はもっと血の通う年寄りへの対応をしてもらいたい。

          「14歳からの靖国問題」

2010-08-03 05:16:40 | Weblog
「14歳からの靖国問題」(ちくまプリマー新書、2010年7月)を読んだ。大学教授
の著者、小菅信子さんが14歳のお嬢さんとの話し合いを通じて「靖国」をめぐる
いろいろな問題について著者の疑問、考え方をまとめた書である。

戦後生まれの著者だが、歴史学者として靖国神社の誕生から今までの歴史を
多角度から検証し、同時にかって著者が英国に滞在中体験した”戦争と和解”の
問題から入って、諸外国での戦死者への考え方、弔い方にもふれている。

著者は靖国問題の解決には戦死者ひとりひとりとの対話が必要であり、そのた
めには戦死者が生まれた時代の理解、歴史の学習が大切だと説く。総理が派手
に靖国神社に参拝したり、新しい追悼施設を造る問題ではないという。

興味深いのは、戦後昭和31年、自民党の第2代総裁として総理になったが、病気
のため2か月で辞任した石橋湛山氏が、敗戦直後の20年12月”靖国神社を廃止
奉れ”という論文を発表していることだ。石橋氏自身、息子の一人を戦死させている
が、氏の靖国廃止論の根拠は、かいつまんでいえば、神社を存続すれば、後世の
国民は、ただ屈辱と怨恨の記念として、永く陰惨の跡を留め、国家の将来にとって
歓迎すべきではない、というものだ。

65回目の敗戦記念日がやってくる。またぞろ政治家の参拝の是非をめぐって賛否
両論がマスコミを賑あわせるが、あの戦争時代を体験した僕としては、天皇家が一
日もはやく靖国神社を参拝できるような環境を整備すべきだと思うのだが。



         「政策コンテスト」の愚

2010-08-02 06:00:36 | Weblog
来年度の予算編成を前に今日から国会審議が始まったが、、今一つ僕が理解できない
のは、民主党がいう「政策コンテスト」である。自民党の谷垣総裁もいっていたが、税を
配分するのが政党の基本的な役割である。それをコンテストで決めるとは、すこしふざけ
すぎであり愚行である。

菅総理も先日の記者会見で、この「政策コンテスト」に触れていたが、その具体的な実施
方法については言っていない。が、その一方で地方の疲弊に関連して林業再生について、
かなり具体的提案をしていた。この提案は”消費税”とは違って思いつきではなく、総理の
前からの持論である。

総理によれば、日本の国土の7割は森林なのに8割も外国から材木を輸入している。自給
率20%という低さだ。林業従事者の高齢化で森は荒れている。ドイツのように林道を整備
して、ハーベスターを入れれば、雇用の創出にもなるーとかなり具体的だ。

民主党の「政策コンテスト」は、これによって選ばれた政策に対して、予算の特別枠を適用
しようと、いうものらしいが、総理がこれまで具体的に推奨している林業再生である。コンテ
ストのような芝居がっかったことなどせず、総理が一番に推奨するのならば、即実行すれば
よいと思うのだが。”事業仕分け”の二匹のドジョウを狙ったものと思うが、もう少し地に足を
つけた真面目な政治をやってもらいたいものだ。

          ”もらい風呂”があった時代

2010-08-01 05:17:40 | Weblog
          朝顔に釣瓶(つるべ)とられてもらい水 (千代女)
いま都会では釣瓶のある井戸などない。釣瓶どころか、朝顔さえみつけがたい。もらい
水などの習慣など、遠い昔になくなってしまった。でも、なんとなく、この句は体験もない
のに僕の心の中の原風景として残っている。不思議だ。

早や八月である。八月というと、僕らの世代は戦中から敗戦直後のあの時代を想い出す。
あの時代、焼け残った東京の街でも困ったことの一つは、銭湯が燃料不足から毎日開店
していなかったことだ。今と違って内風呂のある家が少なく、ほとんどの家庭は、お風呂
屋さんのお世話になっていた。僕の家も近所の銭湯がいつも休みなので、困って父親と
一緒に電車に乗り神奈川県の銭湯まで行ったことがある。

そんな中で嬉しかったのは、隣家から時々”残り湯だが、よろしかったら”ともらい湯の声
がかかったことだ。まだ、東京の区部でも都市ガスなどなかった時代である。燃料にする
薪もなかなか入手出来なかった。煮炊きする薪さえ手に入れるのが困難であった。

隣家の狭い洗い場で、父親の痩せてしまった背中を流したことが昨日のように想い出され
る。昭和20年11月22日の父の日記には体重12貫500(48㌔)と赤字で書いてある。戦前
元気が頃は18貫(68㌔)もあった父である。今は、どこの家庭も家の中に風呂があるが、
大人の親子が互いに背中を流しあうスペースはないし、そんな習慣も薄れてきた。