「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         "グルコサミン”か"フィットネス”か

2011-06-11 06:23:11 | Weblog
”グルコサミン”の新聞折込広告にこんなフレーズがあった。”60代だんだんと外出を避けている。買い物、犬の散歩、旅行、歩くたびに気になる”僕は60代ではなく80代だが、まさにこの症状になってきた。昨年、二度にわたる膀胱がんを手術した後、急速に体力が弱まってきた。今年は長年やってきたラジオ体操に参加する気力も失せた。

その結果はである。体重はあっとみるまに5キロも増えた。朝晩の布団の上げ下げも億劫になってきた。膝の痛みから上記の"グルコサミン”の広告の症状である。”これはいけない”と思い、老妻も心配し始めてきた。テレビのCMをみて"グルコサミン”を申し込もうとしたが、老妻のアドバイは”年寄りの冷や水”だが、近所のスポーツ・クラブへ行き、水中歩行をしたらどうかというものである。

昨日、僕はこのアドバイスにしたがって、初めて水中歩行のレッスンに参加した。ご婦人方に混じって80老の参加はてれくさかったが、30分プールの中を孫のような女性インストラクターの号令でひたすら歩いた。たいしたことはないと思っていたが、長年なまり通してきた老体には結構な運動量である。学生時代、神宮プールの関東選手権にも出て、水には自信があるのだがなさけい。歩くだけで息があがってしまった。

問題は長く続けられるかどうかである。スポーツ・クラブのフィットネス・レッスンにしたがって週に2回「脂肪バイバイ」コースなどに申し込んだ。このブログに書いた以上、三日天下では済まされない。頑張ることにしよう。インドネシア語の格言に”Sehat Bahagia Hidup Bahagia”(健康であれば人生は幸せ)とある。




           扇風機へのノスタルジア

2011-06-10 06:01:14 | Weblog
予想される電力不足に備えて節電用に扇風機が今売れているという。わが家でも天井裏から老妻が古い扇風機を引っ張り出してきた。ここ何年使ったことがなく、果たしてモーターが回転するかどうか心配したが、なんとか使えそうだ。しかし、昨夏のような猛暑ではとても扇風機だけではすまされそうもない。熱中症にかかっては大変だ。

戦前、わが家には扇風機はなかった。僕の記憶では、東京でもたいがいの家はなかった気がする。それでも子供だったせいか、あまり暑いとは感じなかった。しかし、母親が道路に打ち水をしたり、来客があると冷たいおしぼりを出したり、団扇を勧めたりする光景が脳裏にあるところを見ると、やはり大人には暑く感じたのであろう。

エアコンがまだ普及していなかった時代、僕はしばしば東南アジアへ旅行したが、南の国では扇風機が必需品であった。旅行者なので、一般家庭は知らないが、ホテルやデパートなどへ行くと、天井にプロペラの羽根のような扇風機が備えてあり、それがゆっくりと回転している情景がいかにも南国らしかった。英国の作家サマーセット・モームはシンガポールのラッフルズ・ホテルに長期滞在して作品を書いているが、彼の短編小説には扇風機がよく登場する。

今回の東日本大震災の変なおかげで、思わぬ昔の道具を目にする、テレビを見ていたら若い女性が、なれぬ手つきで洗濯板を使って洗いものをしていた。原発もそうだが、あまり効率性だけを追求するといけないのかもしれない。その意味では、天はわれわれによい反省の機会を与えてくれたのかも。

        "若い世代”の政治家に期待する

2011-06-09 06:19:06 | Weblog
"一定のメドがついた段階で若い世代へ引き継ぐ”と言いながら菅総理はいつ辞めるのかメドがまだついていない。見せかけの退陣という批判もあるが、ここまでくれば常識的なところで総理が辞任するのは間違いないだろう。これを受けて民主党内では、すでに"ポスト菅”をめぐってのレースが始まっているとのことだ。

”ポスト菅"候補の筆頭には前原誠司前外相(1962年生まれ)や枝野幸男官房長官(1964年)の名前が上っているが、世界の指導者の中には、二人と同じ60年代生まれが多い。最も若いのは英国のキャメロン首相(1966年生まれ)で、ついでロシアのメドベージェフ大統領(65年)で二人より若い。米国のオバマ大統領も1961年生まれ。60年代生まれではないが、サルコジ仏大統領(1955年生まれ)メルケル独首相(54年)も菅総理(1946生まれ)よりは若い。

菅総理は戦争を知らない世代なのに、僕からみると何か変に老成しきったところがある。国会答弁を聞いていると、いつも自分は政界30年のベテランだと誇示したがる。作家の三浦朱門(1926年生まれ)が先日ラジオの「深夜便」の中で、団塊世代を批判していたが、彼らが自分の子供と同じ年齢だと思えば仕方がない、とシニカルに言っていた。僕はとても三浦先生ほど寛容にはなれないが、団塊世代が政治の舞台から消えることには賛成だ。

先日国会で枝野官房長官に対して"今上陛下は何代目かの天皇か”と質問した自民党の女性議員がいたそうだが、彼女も菅総理よりは若いが団塊世代である。戦争中小学校で"ジンム、スイゼイ、アンネイ イトク”と代々の天皇の名前を暗記させられた僕でも今上陛下が125代目の天皇陛下であることは忘れていた。枝野長官が知らないのは当然だ。国会質疑である。もっと大事なことがるはずだ。超高齢化に答える必要はない。後期高齢者は政治家の若返りに期待している。

        近隣や友人関係が希薄になって行く高齢者

2011-06-08 06:46:15 | Weblog
2011年度の「高齢者白書」が昨日の閣議で政府決定された。これによると、日本の65歳以上の高齢者は昨年10月現在で2,950万人で総人口に占める割合(高齢化率)は前年比0・4%アップして23・1%。これは過去最高である。そして、この高齢化率は今後さらに上昇して2053年には40・5%となり、日本人の4人に1人は老人よいうことになる。

超高齢化時代である。自分のことで恐縮だが、約半世紀まえの1962(昭和37年)初めて英国に行った時、ロンドンの公園が老人ばかりなのに驚いた。当時の英国の高齢化率がいくらかなの判らないが、率直に言ってこれが”英国病”の原因なのかなと思った。それが半世紀後、まさかわが国が当時の英国以上に高齢化率が進むとは想像もしなかった。

この超高齢化に対処して厚労省の「雇用に関する研究会」は、厚生年金の支給開始年齢が引き上げられる2013年をメドに2015年には、希望者には例外なく65歳まで雇用を継続させることを検討しているという。この数年で、いわゆる団塊世代の全員が65歳を迎える時代がくるのだから当然である。僕ら昭和一桁初期の世代の定年は、55歳であったから隔世の感である。

ところで、今年の「高齢者白書」は、日本人の高齢者は隣近所や友人との関係が希薄で、これが老人の孤独化を深め、さらには”孤独死”に通ずると警告している。たしかに僕の周囲にも一人暮らしの老人が増えてきている。数年前にも我が家の隣のアパートでお年寄りが孤独死していた。家族がいるのに一人暮らしをしていて、隣近所との付き合いもなかった。こういった老人の孤独化の傾向は、僕らとは価値感が違う団塊の世代が後期高齢者になると、さらに深まるとみる専門家が多い。

        60年前の日本の”サマー・タイム”

2011-06-07 07:04:00 | Weblog
この夏の節電対策として東京都庁でも昨日から新宿本庁舎で職務時間をそれぞれの職務に応じて1時間出勤を早める”サマー・タイム”の実施に入った。民間企業や全国の自治体の中でも、すでに実施しているようで、この夏の一種の流行のようだが、果たしてその効果のほどはどうだろうかー。

わが国でも昭和23年(1948年)4月から4年間”サマー・タイム”(夏時間)を実施したことがある。まだ連合軍の占領下の時代で、おそらく連合軍の命令で行われたものであろう。昭和23年といえば、僕が大学予科に入学した年で、戦後の食糧難がピークだった。せっかく入学したのに大学は6月1日から長い夏休みに入った。学食などなく、教員も学生も弁当持参が不可能だったからだ。

学生だったので”サマー・タイム”の実感はあまりなかったが、夜遊びの時間が多かったのか、やたらに授業中居眠りすることが多く先生に注意されたのを覚えている。”サマー・タイム”が4年で中止になったのは、国民の間の評判がよくなかったからだ。理由の一つは当時の時代背景もあったのではないだろうか。節電などという大義名文があったわけではなく”進駐軍の命令”であった事への反発。また、何より、昼間の時間を有効に使えといっても当時の日本人は食べるのがいっぱいで、スポーツなど余暇を楽しむ余裕などなかった。理由の一つに、明るい時間から酔っ払いが多くなり治安上悪いーというのがあるが、たしかに、あの時代は街に泥酔者が多かった。

60余年を経て日本の社会も大きく変わった。テレビで”サマー・タイム”の評判を聞くと大方よいようである。”サマー・タイム”で過勤が増えるのではないかという懸念があるが、今はかっての”猛烈の時代”でもないようである。結果がどう出るか楽しみだ。

         大臣答弁もっと”しっかり”と!

2011-06-06 06:57:52 | Weblog
国会答弁には二つの言い方がある。一つは”個別の案件については答えられない”もう一つは”法の証拠に基づいて適切に行う”-といって法務大臣の職を棒にした男がいた。随分前の話に思えるが、昨年菅内閣に代わってからのことだ。3・11の東日本大震災と前と後では、なにか世の中が一変したような気がするから不思議だ。

大臣答弁といえば、毎日が”日曜日”の老人だから平日の昼間に放送されるテレビの国会中継を見る機会が多い。。昔から大臣答弁は”前向きに検討する”とか”善処する”といった紋きり型が多かったが、最近の答弁に多いのは”しっかり”とか”きちんと”である。この表現が多いのは枝野幸男官房長官だ。”しっかり”とが口ぐせみたいになっている。

東電の福島原発事故で答弁の機会が多いのが細川律夫厚労相、高木義明文科相、海江田万里経産相だが、三人が三人とも”放射能”問題については素人である。とくにひどいのは高木文科相である。ときどきトンチンカンな答弁がある。こんな素人に科学行政をまかせているから、郡山や福島の教育委員会は国の政策を信用せず自衛の手段をとることになるのだ。

細川厚労相の答弁はまったく”空虚”である。長々と答弁しているようだが、答弁の大半は質問者の質問の繰り返しにすぎない。先日の衆院予算委員会で中井委員長が細川大臣の答弁に対して皮肉なチャチをいれていたが、答弁にならない答弁が多い。こういった大臣を任命した総理大臣が総理大臣だから仕方がないのかもしれないが、もっと”しっかり””きちん”と答弁してもらいたい。

        "勤労報国” 学徒動員の時代

2011-06-05 07:06:50 | Weblog
敗戦の年の6月、東京の中学3年生だった僕らは、連合軍の九十九里浜上陸に備えて利根運河の江戸川口の改修工事に動員された。千葉県東葛飾郡梅郷村(現流山市)の農家に分宿して早朝から陽が暮れるまで、モッコを担ぎ川底の泥を搬出し、上陸用舟艇が自由に運河を往来できるようにする突貫工事であった。

66年前の6月5日、僕らは出発のため上野公園の西郷像の前に集合したが、今でも当時のことが鮮明に記憶にある。公園下一帯は焼け野原で、駅の地下道には度重なる空襲で家を失った人たちがあふれていた。中には泥まみれの顔の戦災孤児もいた。戦火で機能を失った政府は、被災者に救援の手を差しのべる余裕などなかったのだ。

農家に分宿したといってもただ寝るだけで、食事は江戸川べりに建てられた臨時の炊飯所まで食べに出かけた。食器は孟宗竹を輪切りにしたものが支給され、箸は自分で竹を削ったもを使った。一汁一飯でにらの味噌汁に塩ラッキョウであった。しかし、当時東京では雑炊を食べていた僕らにとって白米はなによりのご馳走であった。

ラジオも新聞もなく東京の家族がどうなっているのかも判らず不安の毎日であった。そんな中で監督官の軍人はムチを手にし、僕らが疲れて手をやすめると”沖縄のことを思え“とハッパをかけた。甘い物に飢えている年頃である。日曜の休みに野田の街に出かけ、糖衣剤の胃薬を買ってきて食べたところ便が真っ黒になって出て驚いた。

       ♯&♭ 「ああ紅の血はもえる」(学徒出陣の歌)
          花もつぼみの若桜 五尺の命引っさげて
          国の大事に殉ずるは 我ら学徒の面目ぞ
          ああ紅の血はもえる

すさまじい時代であったが、今になると「勤労報国」が過ぎ去った青春の一ページとして懐かしくもなる。

     ”坊ちゃん宰相”を手玉にとった”ペテン師宰相”

2011-06-04 06:46:12 | Weblog
鳩山由紀夫前総理は、どこまで”お坊ちゃん”で”おめでたい”のだろう。一昨日の菅内閣に対する決議案にからんだ菅総理との事前の「約束」について今になって”菅総理にだまされた。彼は約束を守らないペテン師まがいな男だ”と怒っている。早期退陣を約束したのに居座っているということのようだが、もしそうならば、菅総理は”お坊ちゃん”を手玉に取った”ペテン師”かもしれない。

一国の宰相に対して1年前まで宰相だった男の口汚い非難だ。国民はもううんざりし返す言葉もない。これに踊らされて、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている民主党の”先生”たちは、まさに烏合の衆だ。もともと今回、自民党など野党三党が菅総理に対する不信任案を突きつけたのは、菅総理の下では震災の復興も原発事故の収束もおぼつかない、ということだった。そして与党民主党の中にも決議案採決直前まで70人とも80人ともいわれる”先生”方は、野党案に同調していた。

昨日の参院決算委員会で自民党の山本一太議員や公明党の谷合正明議員が、居座りを続けるかに見える菅総理を追及したが、総理はかたくなに先日の民主党代議士会での発言”一定のメドがついたら、若い方に譲る”と繰り返すだけ。意識的に”辞任する”とか”退陣する”という言葉を避けていた。

”一定のメド”とはいつまでなのか?福島原発の”冷温停止”という説もある。もしそうだとすれば、来年まで菅総理は居座りを続けることになる。菅総理の早期退陣は鳩山由紀夫氏だけでなく、ほとんどの国民がそのように思い期待していた。菅総理が我欲を捨てなければ、復興復旧への道はさらに遠のくばかりだ。

     鳩山一郎の”天の声” 鳩山由紀夫の”変な声”

2011-06-03 07:21:53 | Weblog
”菅おろし”は”天の声”である、と僕は今でも思っている。”天の声”(お告げ)という言葉は1960年(昭和30年)時の総理、鳩山一郎が”衆院解散に際して使かい、当時の流行語になった。その後、くだって1978年、福田赳夫が自民党総裁選挙で大平正芳に敗れた時”天の声も時には変な声もある”といって話題になった。昨日の菅内閣に対する不信任案は、採決寸前、鳩山由紀夫の豹変によって否決された。”天の声”にさからった、孫の由紀夫の”変な声”で国難はさらに深まった。

自民党など野党が、この未曾有の国難ともいえる時期にあえて管内閣に対する不信任案を突きつけたのはよほどのことである。それは、菅総理の東日本大震災後の対応の失敗、福島原発事故の不手際など、この男を引き続き総理の座に置けば日本沈没にもなりかねないという決断からである。与党民主党の中にも小沢一郎元代表をはじめ今回裏切り行動にでた鳩山由紀夫も採決直前までは、同じ考えで同調していた。”菅おろし”は、まさに心ある国民の総意、”天の声”であり、今でもそうである。

鳩山の僅か30分の直前の説得で菅は”復興のメドがつけば退陣し、お遍路に出る”と採決1時間前の代議士会で言い、かろうじて、党内の造反をまぬかれ結果的には延命できた。これは国民にとっては最大の不幸である。大震災からすでに3か月近くになるというのに、まだ復興の構想さえ出てこない。果たしていつ復興のメドがつくのかさえ判らない。このまま”死に体”のまま居座るつもりか、あるいは途中で”やめた”と手をあげるつもりかも知れない。

造反派の一人といわれていた原口前総務大臣が”雨降って地固まる”としたり顔でコメントしていたが、それは党内部のことで、大雨が降れば被災地はどうなるのか。この無能な総理の居座りで復興復旧へのスピードはさらに遅れ、原発事故収束も工程表どおり行くかどうかさえ判らなくなってきた。鳩山由紀夫は自分では、党の危機を回避できたと自負しているようだが、国民にとっては”変な声”で”悪魔のささやき”であった。

             ”菅おろし”は天の声

2011-06-02 06:37:53 | Weblog
自民、公明、立ち上がれ野党三党が菅直人総理に対する不信任決議案を国会へ提出した。決議案が可決されるかどうか予断は許さないが、菅総理はもはや”死体”であり、この人の下での日本の将来はない。”菅おろし”は天の声のように、僕には聞こえてきた。

不信任決議案提出を前に昨日、僕はテレビ中継で管総理と自民党谷垣禎一総裁、公明党山口那津男代表との間の党首会談を見た。谷垣総裁、山口代表とも東日本大震災後の政府の復興復旧計画の遅れ、東電福島原発事故への対応の不手際を鋭く追及した。まったくそのとおりである。ところが、管総理は顔に訳のわからぬ含み笑いを浮かべ”これからだ”とか”いよいよ”とかいった言葉の連発である。

大震災からもう80日も経っているのに被災地には依然10万人をこす人たちが不安な避難生活を送っている。瓦礫の撤去はまだ15%の状態で山になっている。お盆までにと総理が約束した仮設住宅の建設も思うように進んでいない。国の内外から寄せられた義援金2389億円(5月末)のうち、被災者へ配分済みは僅か287億円で、全体の12%にすぎない。原発事故の被害者に対する補償金もまだ、東電からの僅かな仮払い金だけである。

一事が万事、大震災に対する政府の対応はスピード感がなく、後手後手である。こんな現状も直視できず”これからだ”とか”いよいよ”とかでは、復興復旧への将来像が見えない。もはや”菅おろし”は天の声である。不信任決議案は可決されるべきである。