「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

車窓から見た新緑の東北路

2018-04-21 07:59:32 | 2012・1・1

今年の東北路の春は例年より季節が1週間ほど進んでいる。毎年、郡山の城山公園の桜満開の時季に併せて開くOB会だが、今年は葉桜とかで僕も出かけなかった。東京から郡山までの4時間の高速バスの旅。新緑が映えて美しく、カメラに収めようとしが、難しいものだ。恥ずかしながらの駄作である。




米寿のお祝いの東北独り旅

2018-04-20 16:24:06 | 2012・1・1
48年前、開局を挟んで2年ほどお世話になった郡山のテレビ局のOB会に参加、米寿88歳のお祝いを頂いた。たった2年間の勤務だったが、僕にとっては忘れられない。学校を出て新聞社に16年記者として勤務したあと、同系列の民間テレビから話があり、営業職として赴任した。新聞社ではおもに国際ニュースを担当、べトナム戦争や中国の文化革命を追いかけていたが、テレビではがらりと変わるCMを売るセクション。同じマスコミでも仕事の内容はがらりと変わった。

僅か2年の勤務でOB会に出席するのは、おこがましいのだが、OB会㋨親切に甘えて桜の咲くこの時期に参加させて貰っている。半世紀前、新入社員として入社した”新人”が、役員にまで上りつめ、これも”卒業”している。当時、郡山の商店街にいは”セールスと獅子舞はお断り”と張り紙してあった。電波の広告代理店は一つもなく、営業の最初の仕事はUHF電波がみられるコンバーターの普及であった。

杖つき老人の東北一人旅について家人は反対だった。僕も正直言って不安がないわけではなかった。新幹線で行けば東京、郡山は僅か1時間半ほどの旅だが、時間があまりあるほどある老人の僕は往復、高速バスを利用している。新幹線以前は特急でも3時間かかった。高速バスは4時間、さして変わりがない。

今年の東北は季節が進んでいる。例年ならまだ車窓からみる遅咲きの桜は満開なのだが、今年はすでに葉桜に変り、新緑が目にまぶしく映えた。半世紀前の開局時は、まだ僕も若葉の新緑のように元気だったのだが。





福田次官はアラ「耳順」米山知事は「知命」の年齢なのだが

2018-04-19 04:40:31 | 2012・1・1
テレビ情報番組に格好の話題を提供していた財務省の福田淳一次官の”セクハラ”と米山隆一新潟県知事の”女性問題”が昨日、二人の辞任で一応ケリがついた格好だ。米山知事は1967年生まれの50歳、福田次官に至っては59年生まれでアラ60歳。いい年をした”大人”の世間騒がせの話である。特に福田次官の魂胆が悪い。”被害者”が名乗りでないと思ったのであろうか、最後までシラを切っていた。

孔子の言葉(論語為政)に志学、而立,知命、耳順、従心という教えがある。40歳にして惑わず、50歳にして天命を知り、60歳にしてして耳に順う(したがう)という意味である。三省堂の慣用句辞典によれば、50歳、知命になれば、天から与えらえた使命を知る年齢、60歳、耳順になれば、何を聞いてもすなおに理解できるようになる年齢である。どうも福田次官も米山知事も孔子の教えを知らなかったのか逆らたのか。

僕は数え年で88歳、米寿のお祝いだが、80歳時の孔子の教えは何なのかを調べたら、70歳、従心で終わっている。孔子の時代には80歳はいなかったのか。そこで、従心をそのまま延長ずると考えるならば、”自分ののしたいことをしても、人間の法則を超えることがない境地”だそうである。果たして,、どうかはわからないが。

米山知事の涙の辞任会見は幼いがなんとはなく人間として理解できる。これに反して福田次官の辞任の態度、手法は”耳を疑う”。あれだけ役所をあげて調査すると言っておきながら”被害者”が出てきそうだと判ると、手の裏を返したように辞任である。福田次官は60歳、耳順まで2年、耳順の境地にまで達していなかったのか。人騒がせの話だ。世をあまり甘くみるな。

開花の記録がない昭和20年空襲下の東京

2018-04-18 05:26:36 | 2012・1・1
昨日、近くのクリニックへ月一回の定期診断へ出かけたら、目黒通りの植栽の躑躅(つつじ)が盛りに近づいていた。この辺りは戦争のため、建設が中断され、戦後五輪近くまで湿地だったところだ。

昭和20年の亡父の日記を読み直してみたら、いつ桜が咲いたのか記録がない。戦時下のめ気象情報は一切なく桜の開花宣言などなかった。かわって警戒警報、空襲警報の発令、解除の時間が克明に記されている。4月15日、東京の城南地区は3月10日以来の大空襲に襲われ、841人が死亡した。当時、隣接の目黒区に住んでいた父は”初めて空襲の脅威を感ずる”と記している。

昭和20年は天候不順で東京でも豪雪を記録しているが、春の到来も遅く、12日の日記にやっと合服に替えると書いてある。15日の空襲で蒲田の動員先の軍需工場が焼け、電車も停まったため僕は片道7キロ歩いて通勤した。ちょうど、躑躅が咲く今頃の季節だが、まったく記憶がない。庭には防空壕が掘られ、空き地は家庭菜園になっていた。父の8日の日記”ラジオは久しぶりに軍艦行進曲の鳴り物入りで琉球沖の戦果を伝えるが、さほどの感銘を与えず、新内閣(鈴木貫太郎)の景気づけ”とある。

戦争中の家庭菜園のかぼちゃの黄色の花が記憶にあるが、やはり自然な躑躅の花のほうが平和でよい。

財務次官のセクハラ 新聞ニュースと週刊誌報道の信憑性

2018-04-17 05:45:26 | 2012・1・1
産経新聞が昨日(16日付首都圏版1面トップ)で”福田財務次官更迭へ セクハラ疑惑 後任次官を選定”と報道した。渡米前だし、やはり安倍総理も財務省のゴタゴタもあって事務方のトップを切らざるををえなかったのか、と産経の読者は思った。ところが、今日(17日付)㋨朝刊は、同じ1面ながら3段見出しで”財務次官 セクハラ否定 辞任論 与党でも拡大”と,次官の更迭は、どこかへやらである。よくある記者の判断ミスによる勇み足だ。

よりによって、財務省は昨日、福田次官の疑惑調査を発表、次官のセクハラを真っ向から否定し、セクハラ報道した週刊新潮を名誉棄損で提訴するという。さらに事実解明の信憑性を高めるため、女性記者らの話を聞きたいという。僕は週刊新潮のの記事を読んでいないが、次官が”胸をさわってもいいか”といった具体的なセクハラ発言の音声テープの証拠をもっており、さらに次号で続報をするという。

森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改竄が国会でもめている最中に派生してきた問題である。なぜ、週刊新潮がこの時期に、こんなくだらない記事を扱うのか。誰が見ても裏に安倍内閣つぶしの政治的な魂胆を感じる。一方、証拠とされる、福田次官の音声が、いつどこで録音されたのか不明だが、次官自身反省しているように緊張感にかけていたの事実である。

次官のセクハラ問題はこれで解決したとは思えない。話題としては面白く、部数が伸びて週刊誌側は大万歳かも知れないが、国民にとっては大迷惑である。新聞社がこれに結果的には踊らされ、一日を争うニュースでもない記事を大きく報道するのも、あまり意味がない。信憑性という点では、どちらもどちらだ。

ゴールドプリンセス

2018-04-16 10:53:38 | 2012・1・1

花好きな老妻が「ゴールドプリンス」という”高貴”な響きを持つ花を買ってきた。あまり名前を聞かないが、シクラメンの変種ではないだろうか。
”真綿色したシクラメンのかほりほど清しいものはない”。布施明が歌って1975年にリリーズされた。もう33年も前のことだ。当時50歳代だった僕にはとても新鮮な感じがした。今でも同じだが、すでに30年前も前の、懐メロである。今の若い人達には、どう聞こえるのだろうか。歳月の流れは早い。

クーパン和蘭軍事法廷(BC級裁判)の声なき声

2018-04-16 06:52:12 | 2012・1・1
スラウェシ研究会の先輩A氏からお貸しした本のお礼として「雲騰るる海」という元海軍軍医、佐藤衛氏が書かれた本をわざわざコピー装丁されて贈っていただいた。先日の関西の友人といい、研究者のはしくれにとってありがたいことだ。佐藤軍医のこの本は、佐藤氏が海軍軍医学校を卒業、中部南東太平洋各地を転戦した後、セレベス島(マカッサル)西チモール(クーパン)に軍医として勤務したときの記録である。

戦後、オランダは、バタビア(ジャカルタ)など旧蘭印地区12か所に軍事法廷を置き、448件1038人を裁判にかけている(死刑236人)。クーパンもその一つで、21件、24人が裁かれ6名の方が処刑されている。加賀百万石の前田家の分家の嫡子、前田利貴海軍大尉もその一人である。本家の前田家では利為将軍(大将)が戦争緒戦時、英領ボルネオ.ラブアン島で飛行機事故で戦死されており二人の戦争犠牲者が出ているわけだ。

クーパン法廷については死刑から減刑された、山口亘利氏の著書「南海の死刑囚房」(図書刊行会 昭和57年)に詳しいが、和蘭裁判は報復残酷きわまるものであった。犬や猫の真似をさせて、その鳴き声を真似させたりさせた。ポンチアナ刑務所では一晩中,鰐の鳴き声をさせられた例もある。

恥をさらすが、旧著「こだわりのインドネシア30年」(三省堂 1996年)の中で、僕は戦後昭和22年、インドネシア独立軍に加わり、クーパン法廷で二人が処刑されたと書いたが、調べると戦犯記録にはない。疑問に思っていたが、今回先輩から頂いた佐藤軍医の本によれば、死刑囚が脱獄して和蘭兵舎を襲撃した記述がある。それが混同していたようだ。70年前の出来事である。先日、小ブログは、矢野兼三氏の「スマトラ獄中記」を紹介したが、海外のBC級裁判で死刑が執行されたの70年前だる。戦争犠牲者の声なき声かも知れない。

座席分捕りを図った60歳代の若年寄り

2018-04-15 05:15:04 | 2012・1・1
JR東北本線の電車内で仙台の老人クラブのメンバーが花見に行く仲間16人の座席を「敬老会が乗車する」と書いた紙札を置いて事前に確保していたことが色々と波紋を投げている。老人といっても戦前修身教育を受けた僕らの世代は考えも及ばない行為だ。案の定といっては悪いが、とかく”自分勝手””わがまま”な人が多い"と批判が多い、60歳代の若年寄りの行為であった。朝9時のラッシュ時に、他の乗客に迷惑をかけることになるのを考えなかったのであろうか。

この話に関連してフジテレビ系列の情報番組の司会者、小倉智昭氏(70)が老人の”陣取り”弁護して、若い人が座席を譲らないからだといったとか。これに対してネット上で”年寄りは何様だ”との批判が強いそうだ。確かに、僕ら”杖突き老人”は、何度ともなく、電車の中の優先席で席を譲らない”人をみかけるが、その中には小倉氏と同じ年代の団塊の世代が多い。批判の中には、小倉氏は車運転で、席を譲ったことがないのではというのもあった。

僕らの世代は自分たちの集まりを「敬老会」呼ばわりしないと思う。集まりを持つにしても、現役世代に迷惑になるラッシュ時や昼食時は避ける。ラッシュ時で一番混みあう電車で「敬老席」を陣取りしたりしない。昔は、ご隠居さんは、ご隠居さんらしく、周りに迷惑をかけず、逆に若い人たちには敬老心があった。神奈川県の大和市では70歳代は年寄り呼ばわりしないことを決めたそうだ。超高齢化時代である。老人の特権を振り回す老人は敬老会から除名すべきだ。

聞け「昭和殉難者」の声なき声! 「スマトラ獄中記」

2018-04-14 05:27:04 | 2012・1・1
関西に住む友人から「スマトラ獄中記」(矢野兼三著 図書刊行会 昭和57年刊)の立派に装丁されなおされたコピーを頂戴した。矢野兼三氏(故人)は戦争中インドネシアのスマトラ西海岸州(州都パダン)の長官(知事)をされていたが、”インドネシア独立させず”とした大本営の「大東亜政略指導大綱」(昭和18年)に暗に反対して職を辞任している。その矢野知事が戦後,和蘭のBC級軍事法廷で8年の刑を言い渡され、メダン、バタビア(ジャカルタ)刑務所に服役させられた。本は矢野氏のその獄中での記録である。

矢野氏は内務官僚出身で富山県知事から西海岸州長官に転じた方だが、一方、蓬矢の俳号を持つホトトギス派の文人としても知られていた。現地人には、その温顔が人気で、帰任の際パダン市内は“チョウカン”“チョウカン“の歓声で埋まった(「ムルデカに喝采を」 菊池秀広 講談社)ほどだった。その矢野氏が戦後、昭和22年、和蘭から召喚されて、法廷のあるメダンの刑務所に収容された。刑務所にはすでに死刑を宣告されていた第25軍司令長官田辺盛武中将ら14人がが別棟の房に幽閉されていた。死刑囚の一人、杏翁の一句”裁かれて残る命を日向ぼこ”であった。

矢野氏は本の中で死刑囚が銃殺された旧日本人墓地に触れているが、今、その場所はカルフルという外資系の商業施設になっている。メダン法廷で犠牲になった「昭和殉難者」24柱の慰霊碑はメダン郊外のデイリ.トウアの新しい墓地に建てられおり、僕は数回参詣しているが、、ビンジェイ街道筋の処刑場跡は知らなかった。多分それを知る日本人も少ないのではないだろうか。今年はメダン法廷で24人の方が亡くなってから70年である。矢野兼三氏の「獄中記」を読む機会を得たのも「昭和殉難者」の声なき声かもしれない。

警官の殺人 校長の盗撮 「宰相の捏造」

2018-04-13 05:51:13 | 2012・1・1
治安を守るのが任務の警察官が交番内で同僚上司をピストルで射殺した。犯人の警察官はまだ19歳の少年、昨年滋賀県警に採用され今年1月この交番に配属されたばかりである。犯行動機など事件の詳細について県警本部は”分からない”そうだが、昔はこんな事件はなかったように思うのだが。なかったいえば、同じ日の新聞に「小学校入学式の後に校長が女子高生を盗撮」(産経新聞12日付首都圏版」が載っていた。埼玉県志木市の小学校の校長(58)が板橋区内のスーパーで女子高生のスカートの下を盗撮していたという。

僕が子供だった戦前昭和の時代には警察官といえば”怖い”存在と同時に"近い”存在でもあった。。なにか悪戯をすると、母親から”お巡りさんを呼んでくる”と叱られたものだ。一方、ドブネズミを捕まえて交番に届けると、謝礼と共にキャラメルをくれる親しい存在でもあった。それだけに、採用に当たっては事前の審査が厳しかったと聞く。

小学校の校長先生といえば、立派な校長宅に住み、地域の名士であった。四大節の式典には、教育勅語を有難く僕らに賜った。戦時中、国民服に戦闘帽をかぶり、立派な髭(ひげ)をはやした往時の校長先生からは、女子高生のスカートの盗撮の姿は想像もできない。

週刊誌の見出しに「捏造の宰相 安倍晋三」とあった。「森友」じゃら始まって「加計」それに自衛隊の日報問題など、安倍総理は、このところ野党の追及に応戦一方である。天下の宰相が捏造するとはとても思えないが、世の中どこか、タガが緩んでいるように見える昨今である。総理みずから範を垂れてもらいたい。