さあ、読書だ、何十冊も読みたい本を積み上げています。
これからおもいきり読書し、オペラを聴き、と思っていたら、父が面白くないのか、わめいていました。
「もう死にたい」って。これは昔からの口癖で自分のほうに注目させようという手。
「じゃあ、フグを買ってくるわ」と言うと「危ない!当たるじゃないか!」
ウナギは一匹のほとんどを食べ、牛肉は霜降りのしゃぶしゃぶを堪能、父はグルメで私には「食うなよ」と釘をさす、もう笑いが止まらない、≪たくさん食べてよ、かわいいんだから長生きしてよ(もう、している)≫と私も楽しくなります。
こんなごく普通?かな・・・こんな生活が幸せです。
この前の阪神淡路大震災のテレビ番組は、ほとんど見ていません。
思い出したくないから・・・。
でもあの時も、父を避難所に連れて行き、「生きててよかった、もう何もいらない!」と思うほど・・・でした。
ショッピングカーに父の布団や毛布を積んで、避難所に行き、もういちど私の布団など持っていく気力も体力もなく、無理して私が腰痛になったりしたら父の面倒をみれない、とあきらめ、夜は大勢の人がたき火をしている外に出て暖をとったけれど、背中が寒く、じっとしていられず、父の寝ているところへ引き返し、そこですわっていました。
そこで寝ていた人が「寒くて寝てられない」と起きだして、外のたき火にあたりにいったり。赤ちゃんのミルクがなくて、困っている若い母親、孫を失ったのに他の人の世話を一心にしている老人、夜中に懐中電灯を持って「○○を知りませんか」とひっきりなしにききにくる人たち・・・。
私は前の日にご飯を5合も炊いていたので(サボろうと思ってこの日だけ5合炊いていた)父には3日間、冷めたご飯と果物、豆腐を食べさせることができました。
みんな3日間はほとんど食べていなかったように思います。
さきがけ、という党からリンゴを配られたけれど、「私らもまだ貰ってないよ」とえらそうに言われ、お互い被災者なんだけど・・・情けなかったです。
停電でテレビも映らず、水もなく、これがいつまで続くのか・・・多くの命が奪われ、みんなで支えあったこと・・・。
空はヘリコプターが絶えず飛んでいるけれど、物資ではない、物資がきたのは3日たってから・・・バナナとチョコレートパンだった・・・。
思い出したくない、でも忘れてはいけない、そしてテレビの報道は見たくない、という先日の15周年でした。
近所の幼馴染らと子供時代のように心を通わせました。「○○ちゃん」て呼び合って。