父がレイテ出征の時、当時のみなさまから寄せ書き頂いた国旗です。絹でできています。
この国旗はまっさらのように美しいままです。
父は両親を護りたいために、この寄せ書き国旗を家に置いて出たのです。
そして父の両親は空襲の時もこの国旗を持って逃げたそうです。
祖父は当時70歳という高齢で(前妻と死別の為、再婚)大学生だった父が頼りでしたが、家には用心の木刀を置き、いざとなれば戦うつもりだったそうです。
祖母(父が戦地にいる間に結核で死去)は、優しい人だったといいます。
私はこの国旗をなびかせ「尖閣」デモに参加・・・しかし、方向音痴の私は迷子になるという情けないありさま。
ブログのみなさまは、なぐさめて下さいましたが、親友のパンダ夫人と「円卓」のアプリさま(izanagiさま)は
大笑いでした。爆笑でした・・・(私は半泣きでしたが)
尖閣デモは、海からの風が強くて寒く、私は風よけにブカブカのジャンパーとスカーフ、そして大きな帽子をかぶって参加。
しかし、デモ隊がどこにいるのかわからず、ルミナリエの見物旅行客に教えてもらうという恥さらし。
介護で絶対に行けないはずの日曜日に、ヘルパーさんの息子さんが部活動の試合だからと偶然に家に来て下さることになったのに。
国旗と同時に、父が両親にあてた葉書をここに転載させてください。
なつかしい故郷の街を後に 遠く旅立たんとする自分の心は不思議にも冷静である。
自分の生命も総て『運命』と云ふものに委し切っているからだと思ふ。
突然の命令であったが遂に来るべき時が来たと思ったのみであった。
悧巧にやれば一目お逢いできたかも知れない。
しかし、今更そのやうなことはしたくなかった。
総ては『再び帰る日』に預けて行こうと思ふ。
時日の過ぐるは早いもので、やがてその日がくるのだと思ふと非常に愉快になる。
唯、皆様の明朗に暮されんことを祈るのみです。 二十六日夜