エジプト考古学者の吉村作治教授が紹介されていた作家の曽野綾子氏のコラムを探したが、もう消えていたのか読むことができなかったので「愛国画報」のYohkanさまのブログのコメントで伺ってみたら、ブログ「歩かない旅人」 http://ippeke.de-blog.jp/blog/ がそれを取り上げていらっしゃることを教えて頂きました。
Yohkanさま、ありがとうございました。そして「歩かない旅人」さま、感謝致します。ありがとうございました。
曽野綾子氏のコラムはこれです。
>《 小さな親切 大きなお世話 》
【 橋下氏のアキレス腱 】 作家 曽野綾子
「週刊朝日」は10月26日号に掲載した橋下徹大阪市長についての佐野眞一氏の記事を謝罪し、連載の中止を表明した。
品性の卑しい記事というものは他にもたくさんあるが、これほどのものは珍しかった。
私が一見して驚いたのは、問題の号の表紙にわざわざ、「ハシシタ」という字が躍っていたことだ。
私は60年近く書き続けているが、今でも時々ノイローゼになりそうになるのは、誤って人名を記載することだ。
そういう場合の後味の悪さは数日たっても消えることがない。ことに橋の下という日本語には悪い意味がある。
わざと相手の名を変えて記すということには、相当の悪意があると思われても仕方がない。
私は橋下氏にあったことこともなく、タレント弁護士だったと言う時代のテレビも見たことがない。
だから最近橋下氏のことについて意見を聞かれても、全く答えられなかった。
私がいまここで述べることは、報道によって、氏自信が言葉として述べられたものによる。
橋下氏に人気が出たのは、民衆が戦後の民主主義、平等主義、人道主義の偽りの部分にうんざりしてきたからだろう。
つまり人の心の中には、平等に生きたいという志向と、独裁者を期待する要素とがある。
穏やかな毎日に感謝する日と、闘ってでも自己主張したいときもある。
アフリカで会ったある白人は「この国には、よい独裁者が要る」と私に言った。
独裁者というものはすべて悪だというのが日本人の考え方だから、「良い独裁者」という言葉に私は衝撃を受けた。
しかしあり得ることなのだろう。
ただ今のところでは、橋下氏が、「良い独裁者になる」ことを期待するのはむずかしい。
「喧嘩だけは自信がある」というのはほんとうだろうが、その場でねじ伏せて勝つ喧嘩は、ほんとうの賢人のやることではない。自ら、「こんなチャーミングな独裁者がいますか?」と冗談を言ったらしいが「こんな幼稚な独裁者がいますか?」というべきだろう。
氏がチャーミングでない理由は、恐れを知らないからであり、謙虚さとも程遠いからだ。
この二つは、一つの叡智であるが氏の言動は突っ張っていて、まだそのようなものの気配が感じられない。
市長と党代表の掛け持ちをすることについて、「そんなことが出来ますか?」という質問を受けた氏は、「寝る時間を割けばいい」という意味の答えをしていた。たかが小説でも、眠らないで書けば駄作になる。
アメリカのアップル社の創業者の一人であるスティーブ・ジョブズ前会長は、ちょうど一年前、わずか56歳で死去した。
現世では世界的な富も評判も才能に対する称賛も、すべてを手に入れ、思うようにならなかったことなどなかったように見えるジョブズ氏も、死病を知らされた時には、こんな不法な運命が待っていたのかと思ったことだろう。
こうした横暴な運命に対する恐れを想像できないということは、つまり弱さであり、才能の限界なのである。
橋下氏と対立する勢力は誰地誰だか私はよく知らないが、
氏のこの不遜さこそ、氏を倒せるアキレスの腱だといえる。
橋下氏が自信満々でいる限り。失墜させる機会は十分すぎるほどある。
私はどちらの味方でもないから、氏の生き方を楽しみの眺めるつもりだ。(以上、作家、曽野綾子氏の産経新聞コラムより)
☆ 曽野綾子氏は素晴らしい、吉村作治氏が絶賛したのもよくわかります。
曽野女史に橋下氏はツイッター攻撃できないでしょうね。