ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ヴィクトリア・デ・ロスアンへレス、忘れられない名ソプラノ、「私のいとしいお父さん」「鳥の歌」を聴く

2012年11月08日 | オペラ
Victoria de los Angeles "O mio babbino caro"


プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」~私のいとしいお父さん
ヴィクトリア・デ・ロスアンへレスは、スペイン出身の世界的な名ソプラノであり、カラスやテバルディ、ステッラと競った大プリマドンナだった。

その優雅なステージでの彼女を思い出す。
そして今あらためて聴くと、何て優しい声なんでしょう。

マリア・カラスが来た時、いつも満員だったデ・ロスアンへレスのリサイタルはガラガラだった。もう声のでないマリア・カラスに高い入場料を払って、がっかりしてロビーにいたら、ヴィクトリア・デ・ロスアンへレスが出てきた。
「カラスを聴きに来たの? もう今のマリア・カラスとは比べ物にならないですよ、素晴らしい!」とある人が言った。
私は今まで数回、デ・ロスアンへレスのコンサートに行ったが、今回はカラスにしょうと思い、申し訳ない思いで目の前のデ・ロスアンへレスに挨拶した。彼女は微笑んでエレベーターに。

今も悔やまれる・・・

そしてその後70歳になった彼女は、バルセロナオリンピックでカタロニアの民謡「鳥の歌」を歌っているのをテレビで見た。
閉会式だった。
老いた過去のプリマドンナが、どんなに素晴らしい歌を歌ったか、愕然としたものだった。その時の動画を見つけた。

Victoria de los Angeles at BARCELONA OLYMPICS Closing Ceremony.1992.'El cant dels ocells'.

もうとっくに引退ときいた70歳のもはや「往年の名ソプラノ」は、【鳥の歌】を歌い、
再び世界を魅了した。・・・その後まもなく亡くなったが、いつも心優しい名ソプラノの声が耳に残っている。

カタロニア民謡の『鳥の歌』は、カタロニア出身の偉大なチェリスト、カサルスが、フランコ独裁政権の侵略に対してこの曲を弾き「鳥はピース、ピースと啼く」と世界に訴えたことで有名である。

さらりんさまが、この曲のご感想をコメントで書いて下さった。

『鳥の歌』は本当に美しく切なく、
そして魂を揺さぶられる曲です。
何度聞いても涙が溢れて参ります。。。

長くカタロニア語を禁じられた背景を思うと、
このチェロの旋律が言葉にならない歌声のように聞こえてきます。

今年は奇しくも初めての都市への無差別爆撃と言われた
ゲルニカへの空爆から75年目であったと思います。
あの静謐な部屋にあるピカソの『ゲルニカ』
音のない部屋なのに声にならぬ泣き声、悲鳴、
動物たちの悲しい鳴き声など零れ落ちてくるように感じられました。

92年のバルセロナオリンピックの閉会式での『鳥の歌』も印象的でした。
カタロニア出身の方のカタロニア語での歌は、
歴史的背景とリンクし涙が溢れました。

ヴィクトリア・デ・ロスアンへレス…
すっかり名前を失念しておりました。
確か「スペインの花」と呼ばれていましたよね。
彼女にとっては「カタロニアの花」のほうが嬉しかったでしょか?

美しく切なく、そして打ちに秘めた情熱を感じる歌声と、
カタロニア語は分からないけれど美しい言葉だと思います。

カサルスの渾身の魂の演奏、
途絶えることなく歌い継がれてきた『鳥の歌』に、
民族の誇りや胆力を感じます。

個性的で多彩な才能を持った芸術家を輩出したカタロニア地方は、
豊かな自然と異質なものを取り込む柔軟性を持つ地域であり、
そこで受け継がれてきている文化の力も感じずにはいられません。

改めて征服や独裁などで多くマイノリティの文化が失われ、
言語を始め大切な文化が失われてきたことが思われます。
ベッラさまがご指摘されたように、
今、この時も苦しんでいる国々や民族がいることを
私達は忘れてはいけませんね。
それは日本に於いても対岸の火事ではありません。

さらりんさま、ありがとうございました。
コメント (6)
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