メールマガジンで読んだ記事だが、松林氏の記事を一部だけ転載。実は私は「税金で食べているくせに」という表現にあまり上質なものを感じなかったが、中には「その通りだ」と思うものまであり、一律に否定や肯定はできないと思っている。それを松林氏はわかりやすく書かれた。
【松林薫】自己責任論はどこから来たのか?
本来、自主独立の精神とは「支配されない」「従属しない」という気概です。もし自分を支配しようとする者があれば、闘わなければなりません。自分が非力な場合、その方法には面従腹背やサボタージュ、他者との連帯も含まれます。そうした精神を尊ぶのなら、誰かを支配したり、従属させたりする勢力には手を取り合って抵抗すべきでしょう。
しかし、自己責任論を振りかざして他人を批判する人の多くは、そうした支配・従属関係に鈍感です。生活保護の受給者に「国から金をもらっているのだから自由が制限されて当然だ」という態度をとるなら、自主独立の精神を尊重しているとは言えないはずです。そもそもセーフティーネットの多くは、不公正な支配・非支配関係を生まないために作られました。生活保護や健康保険の仕組みがなければ、生活に行き詰まった人は誰かに隷属するしかなくなるからです。近代国家自体も、理想的には個人の自由と独立を保障する仕組みです。
平成を通じて続いた新自由主義的な改革は、国家による「過保護」への反省から始まりました。その意味では明治の近代化を支えた「自主独立の精神」を取り戻そうとする試みだったのかもしれません。しかし、国家の役割を軍事などに限定する「小さな政府」へと舵を切った結果、皮肉にも真の自主独立精神は失われ、支配や従属を当然のものとして受け入れる風潮を生んでしまったように見えます。沖縄の基地問題への冷淡な態度や、米国への追従を当然とみなす風潮も、根っこには歪んだ自己責任論があるのではないでしょうか。
松林薫(ジャーナリスト・社会情報大学院大学客員教授)
全文は・・・ https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190420/
この文については、もしかしたら都合の良い面から都合よく読めてしまうのではないか、ということがあって、全面的に賛成はしにくいのですが・・・例えば「沖縄の基地問題への冷淡な態度や、米国への追従を当然とみなす風潮も、根っこには歪んだ自己責任論があるのではないでしょうか。」というところ、この松林氏の文の受け取り方は、各派から都合よく解釈されそうなので・・・
しかし、なるほどと思えるところなど、茶色のカラーの字にしています。
時々、「税金で食べているのだから」という言葉がネットで飛び交いますが、時と事情によりますし、誰でもそういう場面に遭遇せざるを得ない場合もあるでしょう。病気とか事故とか・・・これも、情け容赦ない言葉でまるで餌をもらっているような見下し方をネットで読むこともあり、その一方で実は働けるのに、社会保障でぬくぬくと生きているずるい人たちのことも浮かぶわけです。気になる文としてご紹介しました。
次はやはり気になる「討論」です。長いので時間を区切ってご覧になってください。
(本日は地方選の後半の選挙があるところもありますし、それも気になりますが)
本当に敗戦のあと、「本当の独立国ではない」というその思いを強く感じることばかり多いこの頃です。
【討論】日本に本当の国家主権はあるのか?[桜H31/4/20]
パネリスト:
加瀬英明(外交評論家)
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
浜崎洋介(文芸批評家) 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
室伏謙一(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント)
司会:水島総
毎日、日本の現状を思うと心痛めています。
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本日は今は亡きロシアの名バリトン、ホロストフスキーが歌う「鶴」です。
・・・ 戦死された兵士たちは空の鶴となって飛ぶ、という歌詞。 「戦さに命捨てても死んではいないあなたは、きっといる、きっと」と美しい歌は客席を泣かせた。 ああ、日本は・・・
Журавли Дмитрий Хворостовский