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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

石破首相所信表明、裏金議員への対応は?/元日航社員が語る「日航機123便 墜落の真実」

2024年10月06日 | 政治

【ヨコスカ解説】石破首相所信表明 演説中には大量のヤジ 消えた“石破カラー”苦境のワケ 裏金議員への対応は?  新政権で暮らしは?
 

【タカオカ解説】「豹変した」野党から反発受ける自民党・石破茂“新”首相、13人が初入閣の新内閣発足へ 注目される5人の「元職」とアメリカの反応
トップになった途端、「豹変した」などと批判を受けている自民党の石破茂“新”首相。自身の主張を曲げたと言われているのは、石破氏が首相就任前という異例のタイミングで、「早期解散」の方針を示したことについてです。早期解散に慎重だった姿勢から一転。新政権発足の「ご祝儀」相場を狙う石破新首相に野党は反発しています。選挙に向けて裏金議員は公認するのか。解散の大義をどう説明するのか。石破内閣は解散総選挙に向けて一気に走り出すことになりますが、その前に待ち受ける「初仕事」と「心配事」とは…?徹底解説(動画の解説)

ここで大きなニュースが入ってきた。

【テルアビブ=佐藤貴生】イスラエル軍は4日から5日にかけて、レバノンの首都ベイルート近郊への爆撃を続けた。イスラエルのメディアは5日、レバノンの親イラン民兵組織ヒズボラの次期指導者候補の一人とされるサフィエディン師が死亡したと報じた。ロイター通信によるとイスラエル軍はレバノン北部でも爆撃を実施。攻撃の対象範囲を広げているもようだ。

レバノン政府は4日、イスラエルの攻撃による死者が1年間で2000人を超えたと発表した。ほとんどが直近2週間の攻撃で死亡したという。

一方、サフィエディン師はイスラエル軍が3日夜から4日未明にかけ行ったベイルート近郊への空爆で、安否不明になっていた。米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)によるとサフィエディン師は、ヒズボラ指導者のナスララ師のいとこで、長年ナスララ師と行動を共にし、ヒズボラの実質的なナンバー2とみられていた。
ヒズボラ指導者候補が爆撃で死亡か イスラエル報道、2000以上の目標を攻撃 (msn.com)



元日航社員が語る「日航機123便 墜落の真実」空花正人 × 山本優美子 × 深田萌絵 No.129 (続きは次回で)


元日航社員の空花氏、なでしこアクションの山本優美子氏、そして深田萌絵氏の3人で語る。これは以前にも深田萌絵氏の動画で語られたので話題になっている。

空花氏・・・相模湾は人目につくのでミサイル訓練はできない、ミサイルは否定される。
青山とう子さんの本で自衛隊が仕掛けたという話、もうひとつは外から仕掛けられたこと、
(図を示して)ここに黒い●がある、ここにミサイルが命中したという説、しかしここに力が加わったらどうなるのかという話、
事故にあった飛行機の映像を見ながら話す。「残っているのはこれです」外部から力が当たったというのは真っ向から否定される。機内から圧力というのは目や耳がダメになる、パイロットは酸素マスクなしに対応している。森永氏は特殊部隊が・・・というが、減圧があったが暴風雨に示されたようなものはない。長く寒さを感じる状態になったのではない。

深田氏・・・ボイスレコーダーが公開されていないということが国民が不信感を持つ、西田昌司氏が公開を否定したのでよけいに不信感が広まる。
ファントムと日航が交信されているので公開されていないのは事実。
事故なんだけれど本当は事故なのではないか?政府への不信を払拭するために公開したほうがいいではないか?

山本氏・・・公開されることは全くないです。

深田氏・・・公開されていると不信は納まったのでは?

空花氏・・・事件ではなく事故ですから。今年の羽田の事故を思い出すとどんどん火力が強くて燃えていきましたね。あえて「二度焼き」する必要がない。こうしてつじつまの合わないことをあえてあげるのはかえって不信感を広めていくのではないか。
富士山の写真を撮っているのは右側、これがオレンジ色のミサイルとしたらどうして回りこめるのですか? 外務省の職員がレーガンから中曽根に来たお悔やみの親書に、青山さんは「これをきっかけとして」というがレーガンが書いたのは普通のお悔やみの言葉である。これも論理の飛躍がある。(以上空花氏)


 山本優美子氏はここでは発言が一度だけだが、私は以前「なでしこアクション」のサイトで投稿された文を読んだ。ご参考になりますよう転載をします。

なでしこアクション代表山本優美子が、日本航空123便墜落事故について以前産経ウェブに書かせていただいた記事(2016.8.11付)をご紹介します。
産経ウェブ版: https://www.sankei.com/premium/news/160807/prm1608070004-n1.html
この事故については、今なお全く事実無根の馬鹿げた陰謀説が流れているのは大変残念なことです。
私の書いたこの記事は、航空自衛隊の現地指揮官だった父が保管していた資料を基に書きました。もちろん父にも内容を確認してもらった上で発表したものです。ここに書いてあることが真実です。
事故の起こった8月に多くの方に読んでいただきたくここに再掲します。

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日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たちの苦悩を忘れてはなりません (山本優美子氏)

8月になると、8月15日の終戦の日や靖国神社参拝が毎年話題になりますが、私が思い出すのは昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。ヘリコプターから吊るされた自衛隊員が通称・御巣鷹の尾根(群馬県上野村の高天原山)で生存者を引き揚げて救出している映像が印象に残っている方も多いでしょう。あれは陸上自衛隊の写真ですが、航空自衛隊もまた長野県川上村に救難指揮所を設置して活動をしていました。

犠牲者520名、生存者4名。史上最悪の航空機事故に、航空自衛隊は創設以来最大規模の災害派遣出動に踏み切りました。8月12日の事故発生から8月30日の撤収までの18日間は「勝利なき戦い」と呼ばれていました。私の父は当時、入間基地の副司令であり、現地指揮官を務めました。父の保管している当時の資料を見ると、空の守りから陸に降りた航空自衛官の「勝利なき戦い」の様子がよく分かります。

自衛隊のPKO派遣や阪神大震災、東日本大震災での活躍もあり、今では国民の間で自衛隊に対する理解がずいぶん広まりました。共産党幹部が「防衛費は人を殺すための予算」と発言すると非難されるまでになりました。

しかし、昭和60年当時は今のようなインターネットやSNSによる情報はなく、新聞・テレビなどの大手メディアによる情報がすべてでした。その大半は自衛隊バッシングがメディアの正義だと言わんばかりに、まともな防衛知識もないままに自衛隊批判が繰り広げられていました。

事件発生2日後には、ある大手新聞社が「自衛隊に抗議・疑問続々」という見出しで自衛隊の現地到着が遅かったと批判し、それに続いてデマ・放言のようなバッシングが始まったのです。

自衛隊バッシングに熱心な一部メディアは、救難活動の妨げにもなりました。特ダネを求めて軽装で山中に入った記者やカメラマンが脱水症状を起こして陸自のヘリに救助されたこともありました。着陸許可がないのに新聞社やテレビ局のヘリが、救出活動中の現場空域に進入し、2次災害が起きかねない事態も招きました。現場の記者が正確な記事を書いても、冷房の効いた本社にいるデスクに没にされたり、歪められたりして、現場の記者はその都度に自衛隊に弁解したという話も残っています。

では、メディアが批判したように、本当に自衛隊は現場到着が遅かったのでしょうか?

8月12日18時57分、JAL123便がレーダーから消えた4分後の19時01分に百里基地から戦闘機2機が緊急発進し、19時21分には上空から炎を確認しています。

20時33分に羽田空港から災害派遣要請があると、7分後の20時40分には航空自衛隊入間基地から先遣隊30名が出発しました。日付が変わった13日01時10分には同じ入間基地から548名の派遣隊が出発しています。

現地へ急ぐ派遣隊にとって、最初のハプニングは高速道路料金所で起きました。災害派遣で緊急な出動なのだと説明しても料金所の担当者は「料金を払わねば通せない」の一点張り。結局、自衛隊員が立て替え払いしました。急な出動だったので財布を携帯していない隊員も多く、大型車の通行料3200円の支払いに苦労したそうです。

御巣鷹山の事故現場までは40度近い急斜面を歩かねばなりません。背丈以上ある熊笹の藪を切り開き、ロープを伝いながらの移動で3時間以上かかりました。

現場のあまりに無残な様子におう吐する隊員もいましたが、隊員達はみな懸命に働き、「一刻も早く遺族のもとへ」と肉片となった遺体を丁寧に毛布にくるみました。

「遺品はそのままにしておくようにという指示が出されていましたが、熊笹の中に時計などが落ちてると、このまま永久に見つからなかったら遺族は悲しむと思い、目立つ場所まで動かしました」

「悲惨な現場でも尻込みする者はいなかった。作業終了、下山といっても『もっと残ってやりましょう』、『休憩だ』といっても『いや続けましょう』という」

「夜、宿営地に帰った時には、みな作業服が汗でズブ濡れで疲労でおし黙っている。それでも足を怪我した隊員に翌日は『休め』というと『どうしても行かせてください』と必死でいう」

このような現場報告が残っています。18日間の救難活動に派遣された航空自衛隊の隊員は入間・浜松・百里などの各基地から延べ約1万人。怪我で手当てを受けた隊員はいましたが、脱落者はゼロでした。

こうして厳しい任務を終えて戻ってきた隊員を待っていたのは、メディアによる一方的な自衛隊批判でした。隊員はさぞ驚き、落胆したことでしょう。

そんな中、隊員の励みになったのは派遣部隊の前線基地となった長野県南佐久郡川上村のみなさんの協力でした。到着早々、地元の農家の方々が「隊員のみなさんにビタミンを」と大量の高原野菜を差し入れてくれました。汗まみれで帰ってくる隊員に、村の健康センターのお風呂を提供してくれました。体育館を宿舎として提供した川上第二小学校は始業式を2日遅らせてくれ、児童たちは励ましのお手紙を送ってくれました。

「じえいたいのみなさん、とてもつかれたでしょう。じこげんばにいって、ぼろぼろのいたいをみつけて、たいへんでしたね。学校にとまって、毎朝そうじをしてくれてどうもありがとうございます」

「8月22日の昼食をじえいたいのみなさんといっしょにたべさせていただいて、どうもありがとうございます。カレーやサラダとてもおいしかったです。げんばなどにいっていたいをはこんだりしますか。ああいうところでは、しごともきつくてたいへんだと思います。まいにちあついなかごくろうさまです」

川上第二小学校の中澤弘之校長先生(当時)は学校の記録書にこう残しています。

「隊員と児童のふれあい、この大惨事の中で昼食会や激励会がごく自然の形でなされた。隊の救援活動や児童の学校生活に効果的であった。組織体としての自衛隊の規律ある行動、礼節をわきまえた奉仕の精神、子供たちへの思いやり等、児童に多くの教訓を与えた」

あれから31年。自衛隊創設以来の大規模な災害派遣となった日航機墜落事故が残した教訓は果たして生かされているのでしょうか。

救難活動を安全・円滑に実施するために不可欠となる救援機や取材ヘリなどの空中統制は、航空法で十分に規定されているでしょうか。災害派遣車両を料金所で止めるようなことはさすがになくなりましたが、大規模な災害など緊急事態に対応するための法律は、その後の2つの大震災を経て整備されたでしょうか。自治体と防衛省の役割分担・協力体制は充分構築されているのでしょうか。災害派遣された自衛隊員への手当ては充分でしょうか。不幸にも殉職した場合、残された家族に充分な賞じゅつ金は用意されているのでしょうか。

自衛隊の任務は、自衛隊法第3条にあるように「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」であり、災害派遣は主任務ではありません。災害時の自衛隊派遣は当たり前だと思われていますが、派遣中も限られた人員で通常の防衛業務も遂行しているのです。

政府は、もの言わぬ自衛官に「勝利なき戦い」を強いてはいませんか。自衛隊がその能力を充分に発揮できるよう、憲法改正とともに法整備を進め、装備や予算も充実させるべきです。それが、日航機事故で亡くなった520名の犠牲者の霊に報いることにもなると私は信じます。1985年8月12日 日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たち | なでしこアクション Japanese Women for Justice and Peace (nadesiko-action.org)

(写真もたくさんありますのでスクロールでご覧ください)

お知らせ・・・次回、この続きが発表されますので、それも次回にUPします。

ブログ主・・・ 私は山本優美子氏のお人柄もよく存じ上げています
丁寧で謙虚なお方です。

国連でも日本へのあまりにもひどい侮蔑にきっちりと英語で対応されていました。
東京外語大学の英文科出身で、英語は堪能です。上記の文もぜひお読みいただきたいと思っています。

また深田萌絵氏は理不尽な自民党議員にさんざん裏切られ、危険な目にもあわれた方で、この方も立派な愛国者です。それぞれ考えが異なるのは当然のこと。
それを一斉に「ひとつでも違うと責め立てる」ネトウヨらにはネットの良さが損なわれています。
国のことでそれぞれ考えはあり、コメントを見ると異論に対してひどく責め立てるのは大変残念です。
それにしても不思議なのは山本優美子氏の発言が「たったひとこと」ってなぜなのか、気になります。

西田昌司議員は、ご自身の立場で言える範囲で深田氏の疑問を否定されたのですね。
また、この話は続くと思います。深田氏の意見は自民党へは容赦なく、きちっと述べられ、萩生田氏などコテンパンですが、それは賛成ですが、そのほかで潔癖な方なのでちょっと心配することもあります。


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