【感々学々】オリンピックの次の感動、『至高の音楽 クラシック永遠の名曲』[桜H26/2/28]
実はこの本は初版本を購入して、そのままになっていた。
私にとって読まねばならない本はあまりにも多く、(西田邁・佐伯啓思・月刊誌のWILL・正論、他に雑誌の表現者、申し込んでいる無料メルマガ、宮崎正弘氏の中国関係の本などなど)たまに料理本、掃除の本など)音楽については今更、という気持ちもあった。
作家の音楽評論は古くは「あらえびす」というペンネームで新聞記者であり、音楽評論家であり、そして作家として「銭形平次」を書いた野村胡堂、(これもペンネームで本名は野村長一、N女史が若き日、あらえびすこと野村胡堂に、シャリアピンやハイフェッツ、ガリ・クルチ、
などなど、実演に連れて行って頂いたり、当時貴重なレコードを聴くために、幼い娘(後の歴史文学作家)を野村胡堂氏のはな夫人にあずかってもらって、名演奏の数々に触れたと、生前N女史にお伺いしたことを思い出す。)文庫上下2巻の音楽評論の古い本を読み、1950年以前の巨匠たちの演奏について書かれたものを読んだりしていた。
そしてオペラ評論はあのドナルド・キーン氏の「音盤風刺花伝」「音楽の出会いと喜び」など1950~70年代の巨匠の時代ともいえる名演奏の実演を聴いたものやレコードなどを、素晴らしい内容で書かれたもの、他は雑誌の「レコード芸術」などの立ち読みで、聴きたい音楽を
想像したりしたもので、FM放送を待ちかねてトランジスタラジオで聴いたりしていた。
今回の百田尚樹氏のこの「至高の音楽 クラシック永遠の名曲」は、内容が充実していて、ハッとさせられる解説だった。
しかし、百田氏のこの本はドイツ・オーストリア音楽中心で、たまにロシア音楽、残念ながらイタリアオペラは「永遠のゼロ」を執筆中に聴いたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、そして他にはロッシーニ「ウイリアム・テル」の序曲・・・か。
ヴェルディの「ドン・カルロ」や「ナブッコ」「オテッロ」などなど、ぜひ百田氏がお聴きになって感想を書いて頂きたいと思うのだけれど、作家の百田氏はイタリア語は、ドイツ語や英語の歌詞のように親しみがないのかも知れない。
百田氏の名著『海賊と呼ばれた男』で日昇丸事件を書いたときに、お聴きになっていたという1944年、フルトヴェングラー指揮のウイーンフィルによる覚悟の演奏、敗戦が濃くなり、明日の命さえ知れぬという時の凄絶な演奏という。
フルトヴェングラーは、ドイツを愛していた。ユダヤ系の楽員を秘かに逃したり、ドイツ音楽のレヴェルを護り、(時には誤解を受けながらも)音楽一途な高貴な精神が音楽から溢れる。
百田氏はこう書いている。
「フルトヴェングラーはナチスと敵対しながらもドイツに踏みとどまり、自らの命を賭して、国民に音楽を通して勇気を与え続けた偉大な指揮者
だが、この演奏はドイツの敗色がもはや決定的となっていた1944年の12月に行われたものである。
ここに繰り広げられている演奏は「凄絶」としか言いようがない悲劇的な響きに満ちている。
当時はウイーンも連日にわたって空襲され、演奏家たちもいつ死ぬかわからない状況下に置かれていた。
今まさに滅びゆこうとしている祖国を前にして、この演奏が生涯最後になるかも知れないという中で、フルトヴェングラーとヴィーンフイルの団員たちが悲痛な覚悟で演奏しているのが聴き取れる。」
ではその演奏のyoutubeを。ベートーヴェン『エロイカ(英雄)』1944年演奏。
Furtwangler Beethoven "Eroica" Vienna 1944 Mvt. 1 #1/2#(+ 再生リスト)・・・ながら聴きしてください。後半は特に感動的です。
☆ 百田さんの本ではありませんが、コメント下さったrimrom789さまに。
アメリータ・ガリ・クルチです。
Amelita Galli-Curci - Home Sweet Home (Moore)
☆ 子供の時、サザーランドを聴いて圧倒されました。80代で先年亡くなりましたが、
天下の美声、サザーランド引退公演です。
(1989) 'Home Sweet Home' Joan Sutherland
ネットで見たけど元ネタは週刊現代で単なる噂の段階らしいですね。危うく信じるとこだった。
しかし田母神氏からコメントやTwitterでの発信が無いでしょう?
次の参院選か、もしくは憲法改正絡みでの内閣解散、衆院選になるか?
その際幸福の科学から出馬と言うのは考えにくいと思います。
石原さんや平沼先生と同じスタンスを取る筈。
しかし噂の段階でもダメージが出るので違うなら早く否定して貰いたい。
維新の会と石原氏の軋轢も強くなってきてますね。
分裂の時期が早まるのかな。
橋下さんはやはり政治の素人だった。
素人の良さだけで突っ走って行けばまだ魅力があったのに、最近の手法は幼稚でエゴイスティック。
ドナルド・キーン氏の本の名前、一瞬ベッラさんの記憶違いでは?と。
風姿だったし、と検索したら皮肉を込めた意味だったんですね。
ガリ・クルチ?初めて聞く名前です。
フルト・ベングラー氏、力強さの中に明るさも感じます。
http://www.youtube.com/watch?v=djBQxgdyIq4
実家で聞いてたカラヤン指揮、これは音質が良いですね。
羽生選手(ソチではありませんが)イタリア人の解説。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16400551
解説が段々ただの応援席の掛け声風になってるのが可愛い。
彼は金メダルの賞金を被災地(出身地)に寄付しました。
現代は小沢一郎や青山リカが大好き過ぎますね。
それにしてもややこしい世界ですね。
私にはわかりかねます。
ネットでは誹謗中傷がすごいですから、
水島さんも誹謗中傷は、かなりこたえていましたもの。
気味悪いですから。
ところでドナルド・キーンさん、文学者で、「源氏物語」を
はじめ、能の世阿弥も研究されていたのです。
「風姿花伝」は能の美学の世界を究めようとする
能役者のことを書かれているのですが、実際に今、
これを読むのは、N女史に啓蒙された芸術家です。
この中に出てくる「まことの華」「時分の華」の
記述には感動します。
芸術家も分野を問わず、ただ若くてフレッシュな
一時の華の美しさから芸を究めて「まことの華」に
なること、そしてそれはどんなものかを読むと
教えられます。
キーンさんらしい題名の付け方ですね。
文庫の原文でお読みになって下さい。感動します。
なぜか現代語訳ではピーンとこないのですよ。
この前、教育テレビで「100分で名著、世阿弥」を
していましたが、自動録画でとっているのですが、
まだ見ていません。テキストは買ったのですが、
それもまだ読んでいません。
Nj女史を思い出してしまうんですよ・・・。
アメリータ・ガリ・クルチは20世紀前半のレッジェーロ
(軽い声)のソプラノで、赤盤で評判、日本に来た時は
すでに全盛期を過ぎ、ガッカリしたそうです。
それに前後して来日した若いトテイ・ダル・モンテに
日本人は魅了され、せっかくのガリ・クルチは本来の
声を楽しめるどころか、痛々しかったといいます。
ガリ・クルチの歌を、アニメ映画「火垂るの墓」で
流したら、みんなその不思議な歌声に魅せられて
ラジオなどでリクエストが殺到したそうです。
ではその赤盤(優秀な演奏家だけが赤盤として売られた)から「埴生の宿」をどうぞ。
電気録音ではないので、不自然な感じがするのは
仕方がないのですが。雰囲気は味わえます。
カラヤンは晩年、オーケストラのピッチをあげて
スぺクタル効果を狙ったのです。
ベートーヴェンにはそれがどうも・・・。
イタリアオペラでもピッチを上げたので、デル・モナコが
激怒していました。
後輩のコレッリに「喉を潰すからカラヤンの指揮では
歌わない方がよい」と言っていました。
ですから晩年のカラヤンの指揮で歌うのは新人、
それがカラヤンにとっては曲の解釈も、文句を
言わず、思うように演奏できるので、了承したようです。
名歌手の時代から指揮者の時代へと移り変わった
瞬間でしょうか。
それは器楽の分野でもそうで、かつてはリヒテルや
ロストロポーヴィチとの共演は、お互いにものすごく
スリリングですごい演奏だったのですが、晩年は
あまり個性を出さない、無色透明な新人を登用、
カラヤンワールドになりました。
晩年は手勢だったはずのウイーンフィルやベルリンフイルと決裂・・・覇者の運命、でしたっけ。
トスカニーニは最後まで「王者」、フルトヴェングラーは
「友好的」でしたが。
しかし、カラヤンの才能はマルチで、メカにもくわしく
自家用飛行機も操縦し、何十歳も年下のファッションモデルだった美女と結婚、写真うつりもいいし、人気でした。
風姿花伝です。
ドナルド・キーンさんの「音盤風姿花伝」など音楽評論は
絶版と思います。そのうち再出版が有るかも知れませんが、百田さんのより専門的で20世紀前半の名演奏家
を書いていることもあります。
キーンさんの音楽評論について、少しですが
エントリしていました。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/8d1f30bc1251a580e85134ee3b3a374f