西部邁先生の動画や本で、遅ればせながら勉強をしているが、宮崎正弘先生の書評を読んで驚いた。
このごろ「西部先生、どうか長生きして」って願っていたから。
★ では、宮崎正弘先生の「辛口コラム」より
西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)
重症のガンに侵された西部夫人は余命幾ばくもない、と衝撃を率直に書き出される。
二人で歩んだ半世紀近い人生を西部さんは淡々と振り返りながら、この書は不思議な澄明さと静けさで全体が貫かれている。
看病を続けながら人生を夫婦を愛情を孤独を名誉を哲学し、思想家・西部遭の饒舌的思索は片時もやまない。
夫に先立たれた妻の回想録はこの世にあまたあって涙を誘う。石原裕次郎夫人、吉行淳之介「夫人」などなど。いかに愛されて幸福だったか。最後まで渾身の看病をして悲しみにひるまずに看取ったか。出色の例外は金美齢さんの夫(周英明)との台湾独立闘争記録。
妻に先立たれた夫のほうの回想録は少ないが、それでも江藤淳、城山三郎、田原総一郎らが書いた。いずれも率直に言って女々しくもあり、愛情物語の域を出ない。
だが、まだ妻に先立たれないうちに、死を思想的論争に位置づけて、夫婦の像をえがくのは西部氏がはじめてではないのか。
「身体の命運がぎりぎりまでくると、生き延び方といい死に方といい、自分で選び取るほかありません。人生は一回で、また人生は死の瞬間まで、つまるところは自分のものだからです。(抗ガン剤治療を忌避したのは)危機にあって心身を支えてくれるのは、根本主義だ、つまり自分の考え方の原則をつらぬくことだ、というのがM(妻のこと、作中ではMで登場)と僕との共通意見」だった。
そして夫婦に関してこんな風に西部さんは考える。
「男女関係は、なんと脆い基盤の上に、なんと儚い動機に基づいて、なんと粘り強い努力で作り上げられていく、なんと堅牢な構築物であることか、夫婦とはなんとみごとな砂上楼閣なのか、と笑い出したくなる」。
わたしが初めて西部遭氏と会ったのは二十年近く前だった。中川八洋氏が主宰する勉強会に西部氏が講師としてあらわれ、難しい講話が終わってから六本木のビアホールでビールを相当量飲んだ。中川氏はソフトドリンクを飲んでいた。
何を話したかは綺麗さっぱり忘れている。
それから「ラジオ日本」の南丘喜八郎氏が共通する番組を持っていて、その関わりで時折、飲み会があった。佐藤欣子さんらもメンバーだった。幼年時代の貧困について議論した。わたしが「吉野作造賞受賞にろくな作品はない」と酔った勢いで言うと、西部さんが「僕も受賞者だけど。。。」ときには『宝石』に氏が連載していた頃の編集担当の神戸さんが小生の担当でもあり、新宿へ一緒に出かけてカラオケに興じたり、もちろん『発言者』の創刊パーティには招かれ参じており、しばらく雑誌を購読していた。「宮崎さん、なにか書いて下さい」が口癖だった。
三島研究会の公開講座にも講師としてきて頂いた。その記録を調べると平成八年五月のことで、演題は「三島由紀夫の思想的可能性」。この頃の西部さんの三島評価は低かった。ということは自死に否定的ではなかったか。そのあと十五人ほど連れだって、六本木の中国飯店に行っておおいに騒いだ。
途中、七年ほどブランクがあった。
なぜなら、たとえば教科書をつくる会、救う会、靖国、台湾問題そのほか、多くの保守陣営の会合やパーティ、シンポジウムでまったく氏を見かけなくなったのである。
『発言者』の議論が難しくてついて行けなくなったこともあるが、氏の議論が浮世離れしていて、当時わたしの追求していた分野から離れつつあったという個人的理由もあった。
というわけで数年の不通期間があったが、ある冬の日、『表現者』の座談会に呼ばれた。
テーマは中国で、富岡幸一郎氏らも加わって久闊をあたためた。
レトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人
この間、教科書、米軍、安保そのほか、西部氏はやたらと仲間内に喧嘩を売っていたのだった。
この回想をこういう比喩で書いている。
「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」
西部氏はレトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人である。その後、偶然がいくつも重なって桜チャンネルの討論番組にでると、三回ほど連続してお目にかかり、録画の収録が終わってお茶をのんだりした。いや、氏はビールだった。直近は正論大賞の会がはねて「正論新風賞」受賞の新保裕司氏を囲む二次会。これは西部さんが事実上の主催者で三、四十人の編集者が中心だった。例によって新宿のピアノのおいてあるスナック。なぜか私と西部氏と二人して、「海ゆかば」を唱った。
西部さんの書いているモノは基底にニヒリズムがある。十年ほど前に産経新聞に連載された仏教と死生観をめぐる随筆を読んだときに、わたしは不思議な感傷と抱いた。ずばり自死へのさりげない決意が随所で示唆されていたからである。
そして本書は、このテーマが基底に沈んでいながらも、結局は自死にまつわる思考に収斂されていく。人生を締めくくる方法に関しての思索である。
こういう箇所が否応なく、わたしの目に飛び込んでくる。
「この『平和』の日本国家あるいは『安全と生存』の日本列島では、『死の選択』という最も人間らしい行為が精神の病理現象として片付けられはじめ、(中略)逆らって僕は、自然死への人生行路にあっても、自分の思想が必要だと考えてきました。簡略に言うと、『これ以上に延命すると、他者(とくに自分の家族たち)に与える損害が、その便益を、はっきりと上回る』と予想されるようになれば、自死を選ぶということです」。
そういえば、十年以上前だが、氏と会う毎に自死に関してつぶやくように言っていた。ピストルとか、麻薬とか物騒な話をさりげなく話のなかに挿入していて、わたしは全てをレトリックの魔術だろう、と憶測して本気に取らなかった。
本書はレトリックの魔術師が思う存分の哲学的修飾を施して、いざ本質をはぐらかしているかにも見えるが、現代日本へのアンチテーゼである。日本の政治家は死から逃亡し、まつりごとは自死と対極の補償とシステムだけを論じている。日本の衰弱の原因の大きな要素は、おそらくこれだろう。
自分の人生を自分の意思で終結させる。人間は本能によって生き延びる。だが、老醜をさらし周囲に迷惑を狼狽をかけるかもしれない自然死に対して、自死の思想があり得ると西部氏は語彙に力を籠めて現代日本人に問いかけているのである。 (以上、宮崎正弘氏)
★ 西部先生ご自身、ガンを患っておられることは知っていた。
私は「日本の知性」たる西部先生を西田昌司先生のお話で知った。
西田昌司先生の講演会で3冊の古い本を買って難しくて放置したままだった。
西部先生・佐伯啓思京大教授・西田昌司氏3人の討論だった。
私は別に読みやすいと思われる佐伯先生の本を何冊か買った。
ワーグナーやリヒアルト・シュトラウスを勉強した時、ドイツの哲人のことも少しは知っていたが、
佐伯先生の本は日本が軸になっていた。
そこで西部先生の本を読むことになった。難しくてわかりにくかったけれど動画で西部先生の声でお話をきくと
その驚異の表現・解釈にいつのまにか翻弄され、魅了されていた。
再び本を買うことにして、今はほとんどを持っている。
難しいので少しづつしか進まない。
動画は楽しみだった。
『西部ゼミナール』は古いのも見ることにしていた。ブログも自分の勉強と思ってUPしていた。
講演会の動画は感動的だった。
西部先生の本のあとがきに、可愛がっていらっしゃる中野剛司先生が見事な文をお書きになっていた。
沢村修治先生もあとがきをお書きになっていた。
また、西部先生は高校時代に知り合った夫人について、このようにおかきになっていた。
「少なくとも自分のかたわらですでに7年にわたって癌病と付き合って生き長らえてくれている妻のそれと比べると
私の死生の重みは語るに値しない」
3月に夫人がお亡くなりになってからも、西部先生は『西部ゼミナール』をはじめ、水島さんの「討論」にも先月出演。
しかし、その直後、水島さんは西部先生の名を挙げ「テロ」について、私には西部先生への誤解としか思えない発言を
され、西部先生が偶然に?次の「討論」を欠席されたのを大変残念に思っていた。
無知無学な私だけれど、西部先生の動画や本で、少しでも勉強したい。
ホロヴィッツが弾くショパン「ピアノ・ソナタ 第2番」
Vladimir Horowitz - Chopin Piano Sonata No. 2
・・・アメリカ、ホワイトハウスにて。第3楽章は「葬送」と言われているが、これは個人でなくてポーランド亡国という
「国家」の葬送であった。愛国者ショパンの最高作品のひとつである。
ホロヴィッツは旧ソ連からアメリカへ亡命、指揮者トスカニーニの娘はホロヴィッツ夫人。
こんばんは。
西田さんには健勝で居て欲しい。
愛妻に先立たれると落ち込むケースが多いそうですね。
みんなと会話する間は大丈夫でも帰宅されて家の中で一人で過ごすのは寂びしいんだろうなぁ。
作家の江藤淳さんがそうでした。
思い立ってルーツ探しに九州に頭の中で描いていた事とかけ離れていた現実にショックを受けた説もありますが。
昨夜のコメ、カステラートじゃなくカストラートが正しかったのですね。
NHKのはドラマタッチだったので実際に男性が歌ってたかどうかは疑問です。
あまりにも高音だと男女の声の区別がつきにくくなるし。
動画の演奏、力強くて年齢を感じさせないし厳しさが漂ってる。
この葬送行進曲、目を瞑って聞いていると目の前を葬列が粛々と歩いて行ってる光景が浮かびます。
ふと思ったのですが今ホワイトハウスでこのような演奏会が行われたとしてオバマ夫妻は心底楽しめるのかな?
小泉、安倍両氏なら喜んで聞き入ると思うけど(ポッポさえも、ですww)
その日本語の美的感覚にも感心しています。
西部先生の奥様は高校時代の友人で、ずっと小説を
読んでいたという文学大好き少女だったといいます。
ずっと西部先生を支えてこられた才女なんでしょう。
今は娘さんが西部先生のお世話をされているそうです。
ショパンの「葬送」というのは、人でなく「国家」なのです。
祖国ポーランドの亡国だったのです。
ショパンのピアノソナタはベートーヴェンやブラームス
のような強固な構成力があります。
先日、有名な和食の店に行ったのですが、食材は
国産、安心でしたがBGMがショパンの「スケルツオ」
第一番がエンドレスにかかり、あまりな場違いに
???な気持ちでした。
カストラートは二度と出てこないでしょう。
宦官がでてこないのと同じ理由です。
日本にはカストラートもいませんでした。
男性の肺活量で歌うのでかなり圧倒的な歌だった
そうですが、なんとも・・・。
西部先生の娘さん、偉大な先生をしっかり守って
ほしい・・・きっと親孝行な娘さんでしょうね。
また習近平氏はまたホワイトハウスにランランを
だなんて考えやしないでしょうか。
西部先生でした、すみません。
娘さんとご一緒なら安心ですね。
カストラートは去勢しないと高音は出なかったとか。
子供の頃はウィーン少年合唱団のコンサートに度々行きましたが変声期前の声は綺麗でうっとりしたものです。
パンフレットの少年たちの如何にも選りすぐりの美少年が多くて別世界の印象でした。
アンコールで日本の童謡を聞くと嬉しかった。
ヴェトナムの応援したいのに法律に縛られてても足も出ないですね。
資金面で手を回す位しか・・・。
ヴェトナム国民は親日的と言うし、事態が深刻になる前に国連が機能すればいいんですが。
あの役立たずで親中の総長ではどうにもならない。
中国人や華僑は世界中で嫌われてる事を自覚して欲しい。
ユダヤとどっこいどっこいでしょ。
今日は高円宮家の婚約発表の日でしたがお相手の男性の40歳にショック。
歳の差婚が皇室にも及んでるとは。
千家さんは見た目はお若いですが話が合うのかな?
国家の葬送、んー。
近いうちどこかの国で演奏されそうな気配ww
大丈夫でしょう。
え?男性?いつまでも子供、じゃなかった、ますらお
でしたね。
そして由緒ある家柄、お似合いと思います。
ウイーン少年合唱団にはあのシューベルトも在籍
していたのです。だから歌曲を書くのは得意でした。
喉のことをよく知っているからでしょう。
私はウイーン少年合唱団の演奏会は行っていません。
放送や映画で人気がありましたね。
「天使の声」もしばらくの間だけで、声変わりしたら
卒業。
ホロヴィッツは上手いなんてものじゃないですね。
真の芸術家、神様から与えられた才能でしょうね。
ルービンスタインもこの曲、素晴らしかった。
私はこの曲やピアノソナタ3番を初めて聴いたのは
(それまで聴いたかもしれないけれど)
ルービンスタインの怒涛のような演奏でした。
ホロヴィッツはまた違います。
言葉で説明ができないのがもどかしいです。
わんちゃんの写真をありがとうございます。
大切に育て?ます。
名前を付けなきゃ、今回は難しい、
しばらく考えます。