Scriabin plays Scriabin
ずっとこの曲が心の中に響いて聴こえてきた。
スクリャービンが自作のエチュードを弾いている。
1910年、ぺテルブルグで。ロシア革命の7年前。
何という時代であろうか・・・作曲家スクリャービンの貴重な自作の名演奏。
まもなくロシアは革命を避けられなくなるのだ。
写真は彼のサロンで友人たちにピアノを聴かせるスクリャービン。
100年前のことである。
本日のエントリー
1、今、心に響いてくるのはこの曲、スクリャービンのエチュード
2、菅総理の浜岡原発運転停止要請について、「漂泊の旅人」様のエッセイ
3、そして本日、夜になりますが青山繁晴さんの「アンカー」
ずっとこの曲が心の中に響いて聴こえてきた。
スクリャービンが自作のエチュードを弾いている。
1910年、ぺテルブルグで。ロシア革命の7年前。
何という時代であろうか・・・作曲家スクリャービンの貴重な自作の名演奏。
まもなくロシアは革命を避けられなくなるのだ。
写真は彼のサロンで友人たちにピアノを聴かせるスクリャービン。
100年前のことである。
本日のエントリー
1、今、心に響いてくるのはこの曲、スクリャービンのエチュード
2、菅総理の浜岡原発運転停止要請について、「漂泊の旅人」様のエッセイ
3、そして本日、夜になりますが青山繁晴さんの「アンカー」
ベッラさんのこころにこの曲が響くのも、ベッラさんの芸術家的直感が国家の激動を予感するのでしょうか。
スクリャービンの演奏は現代的というか古さを感じないですね。
ロシア人特有の「吸い込むような」「自己にのめりこむような」演奏スタイルが大好きです。
動画でも聴きました。
そしてスクリャービンの演奏も動画にあって聴きました。
革命の血の予感、しかしピアノはあくまで美しく、耐えられない悲しさが響くようです。
音楽家はこうして時代に翻弄されながらも、音楽でその心理や抵抗を示していたのですね。
レーニンやスターリンは消えても、この曲は今も現役!です。
心の中で狂おしく響くのです。