★ 私の大切な友人のさらりんさまのお誕生日、心からお祝いを申し上げます。
麗しき淑女にふさわしい音楽を選びました。
私はどれほどさらりんさまに多くのことを教えて頂いたかわかりません。
音楽、みなさまもどうぞお楽しみください。
マーゴット・フォンテーン、名花の中の名花、1950年代から活躍していた最高のプリマバレリーナです。
バレエの技術を見せつけるのではなくて、まるで名優のようなあでやかさと気品、曲はチャイコフスキーの『眠れる森の美女』から「薔薇のアダージョ」
Margot Fonteyn Rose Adagio
そして、ドイツ語でしか歌わない(イタリアのナポレターナでもドイツ語で歌っている。もちろんイタリアオペラの名曲もドイツ語。それはフリッツ・ヴンダーリヒ。でもなぜかこの曲だけは英語で歌っています。
このyoutubeのコメントにも「英語!」って書き込みがありました。
曲は「ビーマイラヴ」
Fritz Wunderlich - Be my love (1965)
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11月は秋と冬の境目にあり、紅葉も美しい季節です。本日は11月30日。明日から12月です。
まもなくクリスマスの雰囲気になりますが、この日は秋の美しさを存分に味わいながら、秋の味覚も堪能したいものですね。キノコ、柿(塩分を取りすぎた時は、柿を食べるといいそうです。)、洋梨、もちろん日本の梨も美味しい。
チャイコフスキーは『四季』の中で「11月」という曲を書きました。
TCHAIKOWSKY "THE SEASONS" "NOVEMBER"
温かいお言葉と素敵な楽曲をお送りくださいまして、
有り難うございます。
『眠れる森の美女』はとても思い出深い作品です。
初めてこの作品を知ったのは
確かグリム童話の中の「いばら姫」だったと思います。
その後、ディズニー映画で観て大好きな一本になりました。
何が子供時分の心を捉えたのか定かではありませんが、
糸車や100年眠る、荊の道を越えていく王子…
世界地図や歴史も現実的でなかった幼い知識の中で、
遠く海の向こうに広がる西欧の国は夢のようであり、
これらの物語は古く美しいお伽話の頁を捲るようで、
胸の踊る瞬間だったことを覚えています。
『薔薇のアダージョ』はポワントでアティチュードの姿勢のまま、
踊り続けるプリマの一番の見せ処ですね。
御紹介下さったマーゴット・フォーティーンのオーロラ姫は、
本当に可憐で美しく成長した誕生日のお披露目に相応しく、
薔薇の花びらが零れていくようです。
彼女の得意にした演目であると読んだことがあります。
何故、100年眠ることになってしまったのか…
絶大な権威を持つ国王を父に美しい母、
何でも願えば手に入る環境に育ち、
美しく可憐な少女へ成長したオーロラ姫だからこそ、
人間としての熟成が最も必要だったのではないかと、
後々少し夢から覚めた私は考えたりしました(笑)
チャイコフスキーの四季の『11月』は、
雪原を駆け抜けていくトロイカが、
鈴の音を高らかに鳴らして雪煙りを上げていくようで、
この季節は割に暗いイメージで捉えられがちな中、
とても軽やかで明るく好きな曲です。
吹雪の中に覗く日差しに白く輝く冬の景色は
本当に美しいのです。
オーロラ姫の物語はフィルムは古くても、マーゴット・フォンティーンでと思っておりました。
ディズニーの映画、私も見ました。
チャイコフスキーの名曲が散りばめられ、心躍ったものでした。
でもさらりんさまから「なぜ100年眠ったのか」と・・・
ヨーロッパではその女性にふさわしい英雄が現れるまで、他の男には踏み込めない境地で試すという物語があります。たとえばモーツアルト「魔笛」、ワーグナー「ジークフリート」「神々のたそがれ」のブリュンヒルデなど、(このブリュンヒルデは女傑ですが)、日本では
「かぐや姫」は天子でも及ばぬ神秘の存在えした。
マーゴット・フォンティーンの美しさと気品は、薔薇のアダージョで最高に高まり、この動画に決定。
喜んで頂けて私も嬉しくて再び見ていました。
女性はいろんなことに耐え忍び、そして美しく、やがて
世の中を幸せに導いていくものという考えがあるのでしょう。
日々の家事は「シンデレラ」もあります。
苦労や重い家事労働、そしてやがてそれらが報われる
日と理解者。
ところでロッシーニのオペラ「シンデレラ」も、スペインの上演では王子はアラブのお金持ちになっていました。ロッシーニの「アルジェのイタリア女」はベルガンサの歌を昨年お贈りしましたが、アラブと土地を争った歴史をもつスペインならでは?なんて思いました。
同じくベルガンサの歌う「シンデレラ」のフィナーレ、
これはテレビで放映されたということですが、お時間のある時にでもどうぞご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=eguT7Z26GS8
聡明でお優しいお人柄のさらりんさまに巡り合えて
大変嬉しく幸せな私です。
シンデレラ…懐かしいです。
子供の頃に時を告げる鐘の音を思いながら
本当にどきどきしながら頁をめくったことを思い出します。
ベルガンサの華麗なアリアを有り難うございます。
ベッラさまもお書きになっておられていますが、
美貌は女性の財産だけれど、
心の美しさ、芯の強さはもっと大切だと言うこと。
そしてどんなに恵まれた天賦も活かすには、
深い愛情と導きが重要だと言うことと…
確かペローの童話にもそんな教訓があった記憶があります。
家事と言えば私の中では幸田露伴と娘の文です。
普通は家事は母から娘が教えられるものですが、
幼くして母を亡くした文は父からしつけられます。
『水とは恐ろしいものだから、
根性のぬるいやつには水は使えない』
水拭きするということも注意を払い渾身の思いでするものだと、
父の露伴は美しい所作を身を持って娘に見せて学ばせるのです。
父の教えてくれた家事は技ではなく渾身であったという文の言葉に、
便利に甘えている私は恥じ入るばかりになるのです。
ベルガンサがもうさすが・・・という名唱、
スペインの誇るプリマドンナで、その歌は芯がしっかり
いているように思えて憧れていました。
美しい声と容姿、きりっとした魅力、
ロッシーニ歌って彼女の右に出る歌手はいないでしょう。
シンデレラが辛い水仕事など耐え、やがて幸せになるという女の子にとって、夢のようなお話。
幸田露伴が厳しく娘の文さんに家事を躾けていたことは私も読んで知っていました。
良家の娘も他人のところで厳しく家事を躾けられた時代でしたし、その家事をするしぐさも美しいもので、
その振る舞い如何で≪お里が知れる≫などと、
言われたものです。
私などいいかげんで恥ずかしい。
さらりんさまの文章にその品格が読めます。
これは以前から思っていたことです。
そして「ビーマイラブ」ですが、この説明、古今の
名歌手(オペラ歌手)が歌ってきたのですが、
昔、マリオ・ランツァが映画で歌ってから名曲として
有名になりました。
歌詞は情熱的で、昔の映画そのものはよく知らないの
ですが、美声の限りを尽くして歌う、そして「ニューオリンズの世界一の美女」にあてた歌らしいのです。
ストーリーよりも「声の魅力」を美声の限りを尽くして
歌うものとなっています。
さらりんさまにあこがれ、その美しさをたたえる歌、
男性にとって手の届かない存在である美女への
賛歌、その美女はキリッとしていて手の届かない
存在であったと・・・。
さらりんさまは、その聡明さ、美麗さ、気品において
最高のヒロインと思います。
私はさらりんさまに学ぶことがいっぱいです。
フォンティーンもそうですが、総合的な美の魅力がありました。
今の婦人雑誌や化粧品メーカーの宣伝の
バカのような表情のモデルになったのは現代の
思想や文化の劣化でしょうか。
「女性を輝かせる」なんて・・・昔から女性は輝いていた、と♪
https://www.youtube.com/watch?v=uyrqeSXaKVs
この映画に出演しているオペラ歌手のマリオ・ランツァは
アメリカで成功したのですが、歌手としてはイタリアでは
もうひとつで、この曲はマリオ・デル・モナコ、ドミンゴ、
カレーラス、パヴァロッティ、そしてこのヴンダ―リヒらが
名曲として声を競ったものです。
私はヴンダ―リヒの歌う演奏が素朴で飾らず、純情で
好きです。(追加・・・でした。)
これも上手いですが、ヴンダーリヒの品格にはかないません。
『ビーマイラブ』をお送り頂いておりましたのに、
失念いたし失礼いたしました。
『ニューオリンズの世界一の美女』
英語だと『The Toast of Neworleans』なのですね。
Toastが乾杯の対象となる美しい婦人の意味もあるのだと、
今更ながら知りました。
婦人の名は酒に入れる香料入りのトーストと同じく
酒に風味をつけるという考えが語源になっているとか…
面白いですね。
ヴンダーリヒの歌声は圧倒的な声の張りと
弾力と感じるような伸びやかな声に感じられます。
ドイツ語訛りを残す歌声が、
切々と思いを綴るように聞こえるように思えました。
情熱的と言えば映画の場面でご紹介頂いた
マリオ・ランツァのラテン系の歌声の方がストレートに感じられますが、
ヴンダーリヒの方は溢れる情熱の中に
端正で叙情的のようなものを感じます。
それは天分のブリリアントのような歌声がそうさせるのでしょうか?
ドミンゴもドラマテックで華やかで素晴らしいです。
ベッラさまもやはり幸田露伴、文の父娘の本をお読みでしたね。
同じ本を手にしていたこと、とても嬉しく思います。
こんな言い方はお叱りを頂戴するかもしれませんが、
私は『男の子は男らしく、女の子は女らしく』ということ、
決して悪いことではないと思うのです。
それは私が中学生のときでした。
地区のスポーツ大会があり各中学校が集まる機会がありました。
当時学生の中で「やばい」という言葉が乱用され始めておりました。
何をするのも「やばい」と言いながら片付けしておりましたら、
何処かの先生が「女の子が何て粗野な言葉を使うのか」と
非常にきつく叱責されました。
あの頃は生意気にもそんなことと心で反発しておりましたが、
今になれば本当に有り難いことだったと思います。
身に余るお言葉を頂戴しておりますが、
ベッラさま褒めすぎです!!(笑)
没頭し、年末大掃除や日々のことなどで政治関係から
一時逃れていました。
Votre toast, je peux vous le rendreとはビゼーの「カルメン」で闘牛士エスカミーリオが歌う<闘牛士の歌>ですが、黒く美しい瞳に乾杯するイメージがあります。
アメリカのニューオリンズはスペルを見て「新しいオルレアン」ということで、元フランス領だったのか、この映画でもなぜかウエイターが「ウイ ムッシュー」と言っています。(そうだったかな~あやふやですが)
オルレアンと言うとあの聖女ジャンヌ・ダルクを思います。アメリカに移住したフランス人はそのことを思って名を付けたのでしょうか。
しかしマリオ・ランツァはアメリカでは花形でしたが、
イタリアの厳しいベルカントの伝統における凛々しくも
誇り高い歌唱とは違って、やはりイタリアではあまり評価されずです。
映画よりもこの歌がその後の名歌手によって単独で
歌われたこと、オクターヴを上下する声の輝きと力で
オペラのアリアのような美しさや気高さを、単独曲と
して歌われてきたようです。
ヴンダ―リヒはなぜかほとんどを祖国のドイツ語で
歌っています。ドイツ語なまりがひどいのも愛されて
いるようで、ドイツの歌手でありながら、ラテン系の
歌手以上に情熱と気品が感じられます。
そしてさらりんさまが仰るように「端正」で、決して
音楽を崩しません。
残念ながら階段の事故で30代で亡くなりましたが、
後世の歌い手は彼を超えることができるでしょうか。
仰るように「やばい」とかそのような表現しかできない、
以前にもNHKの番組で女性キャスターが
「すご~い!」の連発で、そんな表現で恥じ入ることもなく、時代の最先端のような気分でいるのか、
絶句でした。
どこかのホシュ・チャンネルも女性キャスターが
ふたりして「はじまりました。」「はじまりましたね~」と決まり文句で顔を見合わせて挨拶と思い込んでいるのが、辟易です。
自己本位(悪い意味で)で、仲間内の言葉で多数を
相手にしゃべる、それを注意も指導もできにくい状況は何でしょうか。
幸田露伴のお話、本当によくわかります。
反省しながら年末大掃除をして疲労困憊で、
ブログ更新ができずに困ってしまいました。
ヴンダーリヒのことですねているのではありません。(爆笑)
それどころでない疲れがあった(心身ともに・・・)のです。