『絵で読み解く夏目漱石』(NHK教育)を視聴した。
NHKはこのような良い番組もある。
私は美術にはくわしくないが、漱石というと明治の文豪、小説よりもエッセイが好きで愛読してきた。
漱石は小説・エッセイ以外にも、漢詩を書き、山水画もたしなむ。
この番組を見て、漱石の美術への愛情や深い洞察を感じた。
漱石は音楽はあまり関わっていないようだ。
エッセイの中にベートーヴェンを聴いたことは書いてあったが、当時のライヴァルとされた森鴎外のように
ワーグナーのオペラ、楽劇を全編観賞し、口ずさみ、作曲家としてのワーグナーとオペラ脚本家としての文学の天才ワーグナーに
はまり、ヨーロッパで医学研修を終えて帰国の船の中で、白人がインド人その他有色人種を顎で使う様子を見て、祖国日本を案じたこと、
などを短編で読んでいて、また鴎外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』でソプラノ歌手アヌンチャータの栄光とその美声の凋落・・・
まだ小学生だったが(もちろん少年少女文庫だった)鴎外を身近に感じたものだった。
鴎外を音楽から近付き、漱石は・・・ただ難しく、その生きかたもあまり音楽と関係なくて、ただ「賢人」としてエッセイを読むだけだったが。
今回の美術からの漱石は、音楽から入る鴎外とは似たような入りやすさであった。
NHKの番組案内を検索した。
絵で読み解く夏目漱石
出演者:古田亮さん(東京芸術大学准教授)
小説朗読:國村隼さん(俳優)
夏目漱石ほど小説の中に絵のイメージを取り込んだ作家はいない。
古今東西の有名無名の絵が、ある時は小道具や舞台回しとして、ある時は小説の重要な鍵として登場する。
西洋絵画では、ダ・ヴィンチの「モナリザ」をはじめ、イギリス19世紀の巨匠・ターナーやミレイ。
日本画では、江戸時代の奇想画家、伊藤若冲や琳派の巨匠・酒井抱一など。 漱石は生涯にわたり絵のとりこだった。
孤独な少年の頃、漱石は蔵の中でびょうぶや掛け軸を見て長い時間を過ごした。
留学時代の慰めはロンドンの美術館を巡り西欧画を見ることだった。
そして、胃潰瘍に冒された晩年は、みずから筆をとり山水画を描き続けた。
番組では、多くの絵画が登場し、絵を描き上げるまでが一つの筋になっていることから“絵画小説”と言われる、『三四郎』と『草枕』を中心に、漱石作品の重要なイメージ源となった絵画を紹介。絵から漱石作品を読み解いていく。
また再放送が有るかも知れません・・・。
番組とは別に東京芸術大学美術館でこのような催しがあるのでご紹介します。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2013/soseki/soseki_ja.htm
その番組、見逃してしまいました…
9日が再放送だったようなので暫くは放送はないかもしれませんね。
『草枕』に若冲の水墨画が描かれていたとは…
すっかり失念しておりました。
過日、プライスコレクションで若冲を始め、
江戸の絵画の素晴らしい作品を観たばかりでした。
若冲の『動植綵絵』に代表される細密極まる筆致と
鮮やかで美しい彩色で描かれる動植物は見事ですが、
水墨画の魅力も甲乙を付けがたいものがあります。
水墨画で描かれる線は本当に美しく、
動植物は濃淡の中で生き生きで描かれています。
敢えて滲みやすい紙を選び、
描いているときには分からないが乾くと共に
濃淡が浮かびあがるような画法であったそうです。
若冲は独創的な絵画を描くことを信念としていたと・・・
自分の絵を正当に評価してくれる人が出るまで、
1000年でも待つと言ったと伝えられますが、
漱石は若冲の絵画とどんな風に出会ったのか、
そんなことを想像するだけで楽しくなりますね。
漱石と絵画・・・・。
意外な組み合わせ・・・の様ですが、何となく理解できるような気がします。
実は、私も・・・って、そりゃあ漱石とは比べようもないんですけどね…絵を描くことが好きで…齢60にして日々の暮らしの中心に絵に親しむこと…にしてきているのですが、実はもっと子供のころから好きだったのが、文を作ることでした。
ベッラさんのブログを見てふつふつとそんな欲望が頭をもたげてきた?・・・冗談です!
でも、再放送があるかもしれない・・・との最後の一文、何か私へのメッセージかな?と一人勝手に感じています。
アンカー見終えました。
日和見主義のアメリカなんか信用なんかしてはいませんけど!
内に潜む敵が何とも穢らわしい・・・老醜どもは政界に口を挟まず、隠居しとれっ!って!!
「漂泊の旅人」さまが解説してくださいました。
文庫本で買ったのですが、どれひとつとしてわからない、
李白や蘇軾のほうがずっとわかりやすいなんて。
漱石は美術から入ることもできたのですね。
作品の中に出てくる絵画を番組でじかに見て、今度こそ
後期の小説を読んでみようと思いました。
漱石は家柄の良い鴎外と違って、お金がなく、英国で
うつ病になったり、苦労していますね。
晩年の山水画は、家の中にたったひとり隠者のように
住む漱石の心境(実際は家族と住んでいるのですが)
を見て、孤高の文豪を思いましたが、凡人の私には
わかるようなわからないような・・・。
再々放送、必ずあると思います。
教育テレビがそれとも衛星放送か・・・
しばらく調べておきます。
私は漱石が漢詩を書いたのを読んで、もうさっぱり
理解できなくて、ただ、漱石は素晴らしい芸術家というだけでなく、明治の誇る賢人と思いました。
美術のほうはちょっとした美人の友人が(パンダ夫人ではない)くわしく、
漢詩も美術もそっと教えて頂き、
日本の美術の素晴らしさを味わったのです。
山水画は乾いてから濃淡がわかるように描いていたのですね。
鴎外はワーグナーから入っていったというと大笑い
されそうですが、「トリスタンとイゾルデ」の<愛の死>
を歌いながら歩いたそうです。
「死」で浄化するワーグナーの<愛の死>から
逃れるのは帰国の船に乗り、停泊しているインドで、
白人が有色人種にとんでもない扱いをしていて、
日本人としていたたまれなくなったのは読みました。
でも、貧しい漱石は英国で病気になってしまう、
二人の文豪をどちらも尊敬しながら、今のように感じたのでした。
さらりんさまのおっしゃる絵をもう一度見ます。
この時代の文豪は偉大で憧れましたが、美術のことは
少しづつです。
横山大観や平山郁夫画伯の絵の本物を見て
ヨーロッパに負けない、と強く感じました。
まだまだ知らないことばかりです。
漱石の美術の理解は尋常ではないと思いました。
さらりんさまの解説で、日本の美術が身近になりました。
これほど深く芸術至上主義に深く入り込みつつ、芸術至上主義の持つ「暗いデモーニッシュな」面がまったくない夏目漱石の草枕はすごい。
夏目漱石は個人主義者だが、ニーチェのような個人英雄主義のほうへはいかない。
なんかすごく大人な作家だな、、、と昔から思ってました。
◆
「どこへ行っても住みにくいと悟ったとき画が出来る」と書いてましたね。
そうかもしれない。
モーツァルトの器楽曲やヴェルディのオペラにしても何か現実のはかなさ・むなしさが自覚された先に始めて表現できる何ものかがこめられてる。
◆
ヴァ-グナーは「ゲーテを目の人」と位置づけた上でじぶんを「耳の人」だといってました。世界を把握するのに目で把握した意味では、漱石はゲーテ型なのでしょうか。
「ゲーテは目の人」というのは知っていますが
ワーグナーが言ったのですね。
「芸術至上主義に深く入り込みつつ、芸術至上主義の持つ暗いデモーニッシュな面が全くない」
本当にそうです。
Kenさま、その通りですね。
それに昔、中国の賢者は世捨て人、隠者の生活を
よしとしていました。
漱石は大自然の中の粗末な家にたったひとり
住んでいる姿を山水画に描き、その表情は
緊張感から解き放れたほっとした雰囲気、
今日は、10代のころに愛読した「私の個人主義」を
出してきて読んでいました。
漱石の言う「私の個人主義」というのは西欧の中に
いてその「」とはならない日本人としての自分、
という大きな自我、ですね。
これが日本人を救った、鴎外もそうですが。
ヴェルディの「アイーダ」「ドン・カルロ」をはじめ、
もうどうにもならない宿命を知りつつ、イデアを
歌うところは、現実の世界がどうあろうとも、
本当に美しい・・・。そう感じます。