ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

本日5月30日は「明治の日」です。 日露戦争当時のロシア側の歌や映画も付けています。

2015年05月30日 | 政治

★ 本日は「明治の日」です。

西村眞悟前衆議院議員が基調講演をされた大阪の護国神社での行事は、動画を待つことにしましょう。

そして西村眞悟氏の五月二十八日の「時事通信」http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1104には次のような言葉があります。

その中で『対馬沖海戦百十周年慰霊祭』でかつての敵味方とも日露の国歌・国旗、そして神事、ロシア正教の祈り・・・
次のように西村眞悟氏はお書きになりました。(一部転載)


小茂田浜から山岳だらけの対馬の島を北上し、比田勝の民宿で泊まり、
 翌朝、五月二十七日、
 日露戦争における日本の運命を分けたロシアのバルチック艦隊と我が連合艦隊が激突した
 日本海海戦の海戦海域を遙か望める上対馬西泊の丘に行った。

 その丘には、連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が揮毫した「恩海義嶠」と刻まれた大きな石碑があり。
 日露両国国旗が掲げられるポールのもとに
 日本海海戦における総ての戦死者、
 ロシア軍四千八百三十人、日本軍百十七人
 の名を刻んだ慰霊碑が建てられている。

 この丘の下の海岸近くには清水のわき出る井戸がある。
 バルチック艦隊の沈没した艦船ウラジミール・モノマフ号の水兵百四十三人は、四隻のボートに乗ってこの北対馬の海岸に上陸した。
 疲労困憊して上陸してきた彼らを見た近所の二人の農婦が、水を欲しがる彼らをこの井戸に案内した。
 そして、この地区の人びとは、彼らに食料を与え傷の手当てをし宿を提供した。
 彼らは元気になり祖国ロシアに帰ることができた。
 この義挙を知った東郷平八郎元帥が、西泊に「恩海義嶠」の文字を揮毫した。

 世界が注目した日本海海戦(地元では対馬沖海戦という)は、百十年前の五月二十七日に行われ、
 連合艦隊が偉大な勝利を得た。そして、その後の世界史を変えた。

 「対馬沖海戦百十周年慰霊祭」は、午前十時半から慰霊碑の前で行われた。

 式には対馬駐留の陸海空自衛隊員が指揮官とともに出席し、
 ロシア連邦のエブゲニー・V・アファナシエフ駐日大使も出席した。

 式は、日露の国歌が流れるなか、両国の国旗が掲げられ、その下で黙祷をして始まった。

 神道による神事が行われ、次ぎにロシア正教のロシア人の坊さんの祈祷があった。
 香を焚き、それを慰霊碑にかけながら朗々と流れるロシアの祈祷を聞いていると、
 この海域で百十年前に亡くなったロシア人の魂が安らいでいるのを感じた。

 この五月二十七日の対馬沖海戦慰霊祭は、十年前の百周年を期して始まった。
 比田勝の武末裕雄氏をはじめ地元対馬の有志が力を合わせて資金を出して百周年祭を実現させた。
 私は、その時から参加させてもらっている。
 その時は、海上自衛隊が掃海艇を出して海戦海域近くを航行し、私は靖国神社の御神酒を海に注いだ。

 その同年、イギリスでは、トラガルファー海戦勝利二百周年に当たり、
 エリザベス女王陛下がお召し艦に乗船してイギリス艦隊を観閲した。
 私は、イギリスのトラガルファー海戦よりも、
 なお大きく世界史を変えた日本海海戦百周年を、
 日本国政府が主催し、自衛艦隊を出して勝利を祝うべきだと主張したが、政界の関心は高まらなかった。

 上対馬での式典の後、夜六時半から「日本を取り戻す」という課題で講演をすることになっている博多に戻った。同じ飛行機にロシアのアファナシェフ大使とロシア正教の坊さんが乗っていたので博多でお互いに、
「スパシーバー(ありがとう)」と言い合って分かれた。
 
 上対馬での式が終わってから、アファナシェフ大使には、
「百六十年前にロシアはクリミヤ戦争でくたくたになってアラスカをアメリカに売り渡した。
 今度もクリミアでくたくたになりそうだ。
 その時は、日本はロシアをサポートする。
 またクリミアでロシアが疲れている隙に、
 シベリアにシナ人(キターイ)がイナゴのように雪崩れ込んできて、
 事実上シベリアはキターイの土地になる可能性大である。
 何れにしても、ロシアをサポートできるのは日本である。
 従って、ロシアは、然るべき時に、
 樺太と千島を日本に返還するべきである。」
 と言っておいた。



 
★ オペラ歌手で並びなきロシアの至宝、バリトンのホロストフスキーが『満州の丘』を歌っている動画があります。
もちろんロシア語ですが、歌詞は繰り返しを省略し、主な言葉だけ書き出しました。

 
"Mandshurian kummut" - Dmitri Hvorostovsky - Na sopkah Manchzhurii (3分45秒)



「満州の丘」

輝く月、満州の丘に英雄が眠っています。
母は泣き、妻も泣き、そして私もひとりの男として泣くのです。

霧がなくなった満州の丘に兵士が眠る
国を想う兵士が眠っています。
母も妻も、そして私も男として涙を流す。


★ 日本側でホロストフスキーに実力の上で対抗できるのは、今イタリアやフランス、ドイツ、そしてエストニアでも歌う予定の日本の若きバリトン歌手のKenさまですが、ぜひ「海ゆかば」「赤とんぼ」をはじめ、多くの曲を歌って頂きたいと思っています。(「サイパンの赤とんぼ」のことhttp://www.n-shingo.com/jiji/?page=1022&view= )

★ ロシアの古い映画より・・・「満州の丘」が歌われています。

"Mandshurian kukkuloilla" - Na sopkah Manchzhurii #1905# - Ludmila Zykina (3分36秒の動画)

・・・1分30秒頃に日本の軍艦と旭日旗が映ります。



東郷平八郎元帥の名言集

★ 毎週土曜日の「討論」は後日UPします。しばらくこの思いに浸りたい。「討論」はUPしていましたが「保留」にしました。



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