★1955年、このころがマリア・カラスの全盛期といわれる。
気性が激しく、音楽的な解釈の違いからカラヤンやセラフィンとも遠ざかり、カラスはアメリカの若き指揮者で作曲家、
レナード・バーンスタインと共演。
バーンスタインはマリア・カラスの天才的才能を尊敬し、ミラノスカラでベッリーニのオペラ「夢遊病の女」を公演する。
この場面はヒロインが幸福な結婚をする「ハッピーエンド」であり、100キロを超える大柄なマリア・カラスが
バレリーナのようなほっそりしたスタイルに変身、聴衆をあっと驚かせ、さらにこの強烈な情熱と繊細な表現と兼ね合わせた歌は
前代未聞の名唱とされた。
同じ旋律が2度目には華麗な装飾が加えられて歌われているが、今までのソプラノ歌手は「装飾音符」は、技術の限りを尽くした花火の
ようなものだったが、カラスはそれを劇的な強い表現で歌った。
聴衆は狂喜し、カラスの激しい気性に辟易していた「敵」までが、一斉に「味方」にかわるという奇跡、
カラスは敵も多く、会場には「野次り倒してやろう」と目論むのも大勢その機を待っていたが、逆に「圧倒させられ、カラスの歌の虜に」
されるという有様だった。
★バーンスタインとは他に「メデア」も共演、これは古代ギリシャ悲劇のエウリピデスの戯曲をケルビーニがオペラにしたものだが、
あまりにも強烈な歌は歌い手が引き受けないで、埋もれた名作であった。
カラスによって「異常なまでの成功」とまで言われ、その実演の録音が遺されている。