★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

思い出の海外出張

2015年04月01日 20時45分48秒 | 徒然(つれづれ)
 インドア派といえば聞こえはいいが、根が出不精で旅行の類いはとんとご無沙汰だ。
 自分の意思で出かけた旅行は数えるくらいしかない。

 そんな私が、社用でどうしても行かざるを得なかった海外出張が、今から25年程前のイタリア、フランス出張だ。
 当時化粧品を担当していて、ボローニャで世界的な化粧品の展示会があるという情報を取引先が上司に持ち込んだ。
 当初は上司が行く予定だったが、どうしても都合がつかず、私にお鉢が回ってきた。

 しぶしぶ出かけた私だったが、気の置けない得意先の担当と輸入代理店の専務が一緒だったので、わりと快適な海外旅行もどきの出張だった。
 ビジネスクラスを予約してあったので、離陸してからすぐにアルコールメニューの端から端まで飲みまくった。
 旅程はミラノで一泊、ボローニャで2泊、パリで2泊に、機中泊が前後1泊づつ。
 ボローニャの展示会がメインで、ミラノとパリはオマケみたいなものだ。
 一応、出張申請書にはメーカー訪問、市場調査という名目にしていた。

 ミラノではドゥオーモ広場前のカフェでピザを食べながらビールを飲み、ブランドショップの立ち並ぶアーケードを散策した。
 ボローニャの展示会で印象に残っているのが、泥パックのデモンストレーションのモデルが全裸だったことだ。
 日本ではありえないことだ。
 存分に目の保養をさせてもらった。
 夜は中華レストランで酒を飲み、ボローニャ大学生のストリート・ミュージシャンにチョッカイを出して、ギターを借りて聴衆の前で日本のグループサウンズ・メドレーを披露した。

 パリではオフの日に、かのロンシャン競馬場へ乗り込んだ。
 馬券は取れなかったが、競馬友達に対しては自慢の種となった。
 夜はオペラ座の近くで、アフリカ系の女子大生をナンパして、ライブハウスに連れて行ってもらった。
 イタリアもフランスも英語が母国語ではないせいか、私たちのブロークンな英語で十分意思疎通ができた。

 今でも取引先の担当と久しぶりに会うと、あの時の思い出話に花が咲く。
コメント
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