競馬を始めたのは大学3年の頃だったと思う。
友達に連れられて行った、京都祇園の場外馬券売り場で、新聞の印の通り枠連3点買いで4、5倍の配当が当たった。
いわゆるビギナーズラックだ。
それに味をしめて、金の余裕がある時にちょこちょこ買っていたが当たった記憶はない。
社会人になった1978年の暮れのボーナス後に、有馬記念で枠連5点各1,000円で買ったうちの1点が大当たりで、73倍の配当がつき、73,000円也が懐に入ってきた。
当時の給料が10万円弱の時にこの臨時収入はデカかった。
このレースは馬の名前もしっかり覚えている。カネミノブ→インターグロリアだ。
この頃から、週末は京都競馬場や祇園の場外へ通うようになった。
しかし、のめり込んだわけではない。
月々の生活費を考慮しながら、軍資金がなければやめていた。
節度ある競馬との付き合いだ。
結婚後は電話投票に切り替え、競馬場や場外へ行く頻度は激減した。
別に馬そのものやレースの臨場感が好きなわけでもなく、競馬新聞を前に予想に耽ることが好きなのだ。
レース自体はテレビ観戦で十分だ。
そんなスタンスが15、6年続き、1995年のマイルチャンピオンシップで、馬連10点各300円のうちの1点が10万馬券の大当たりで31万円をゲット。
この金額も当時の給料に近かった。
トロットサンダー→メイショウテゾロの組み合わせだ。
JRAの顧客拡大戦略で、馬連、三連複、三連単と馬券のバリエーションが増え、1点あたりの賭け金は小さく、配当は大きいローリスク・ハイリターンの風潮が定着した2009年、奇跡は起こる。
スランプでハズレ馬券ばかり掴まされていた時、5月のNHKマイルカップで、自棄のヤンパチで人気のない馬の組み合わせばかり、三連単各100円の100点買いのうちの1点が大当たり。
配当は238万円のダブルミリオン馬券。
当時の給料の5倍程だ。
ジョーカプチーノ→レッドスパーダ→グランプリエンゼルの組み合わせだ。
普通のサラリーマン競馬で、10万馬券を取ることさえ至難のワザで、100万馬券など一生に一度あるかないかの確率だ。
それをゲットしたということは、私が「持っている」という証左に他ならない。
どデカイ配当は10数年に一度の割合だが、確実に次もあると信じて、私は生涯、馬券を買い続けるだろう。
もちろん節度を持ってね。
友達に連れられて行った、京都祇園の場外馬券売り場で、新聞の印の通り枠連3点買いで4、5倍の配当が当たった。
いわゆるビギナーズラックだ。
それに味をしめて、金の余裕がある時にちょこちょこ買っていたが当たった記憶はない。
社会人になった1978年の暮れのボーナス後に、有馬記念で枠連5点各1,000円で買ったうちの1点が大当たりで、73倍の配当がつき、73,000円也が懐に入ってきた。
当時の給料が10万円弱の時にこの臨時収入はデカかった。
このレースは馬の名前もしっかり覚えている。カネミノブ→インターグロリアだ。
この頃から、週末は京都競馬場や祇園の場外へ通うようになった。
しかし、のめり込んだわけではない。
月々の生活費を考慮しながら、軍資金がなければやめていた。
節度ある競馬との付き合いだ。
結婚後は電話投票に切り替え、競馬場や場外へ行く頻度は激減した。
別に馬そのものやレースの臨場感が好きなわけでもなく、競馬新聞を前に予想に耽ることが好きなのだ。
レース自体はテレビ観戦で十分だ。
そんなスタンスが15、6年続き、1995年のマイルチャンピオンシップで、馬連10点各300円のうちの1点が10万馬券の大当たりで31万円をゲット。
この金額も当時の給料に近かった。
トロットサンダー→メイショウテゾロの組み合わせだ。
JRAの顧客拡大戦略で、馬連、三連複、三連単と馬券のバリエーションが増え、1点あたりの賭け金は小さく、配当は大きいローリスク・ハイリターンの風潮が定着した2009年、奇跡は起こる。
スランプでハズレ馬券ばかり掴まされていた時、5月のNHKマイルカップで、自棄のヤンパチで人気のない馬の組み合わせばかり、三連単各100円の100点買いのうちの1点が大当たり。
配当は238万円のダブルミリオン馬券。
当時の給料の5倍程だ。
ジョーカプチーノ→レッドスパーダ→グランプリエンゼルの組み合わせだ。
普通のサラリーマン競馬で、10万馬券を取ることさえ至難のワザで、100万馬券など一生に一度あるかないかの確率だ。
それをゲットしたということは、私が「持っている」という証左に他ならない。
どデカイ配当は10数年に一度の割合だが、確実に次もあると信じて、私は生涯、馬券を買い続けるだろう。
もちろん節度を持ってね。