大学入学というのは人生における最初の転機だ。
私の場合、九州の辺境の田舎町から、初めて親元を離れ、千年の都、京都に生活の拠点を移したわけで、大きな転機となった。
京都の街は、田舎育ちの私にとっては、十分すぎるほど都会だった。
マクドナルドもケンタッキーも、大丸も高島屋も日常の風景の中に鎮座し、教科書で見た寺社仏閣も普通に行ける範囲に存在していた。
高校時代には禁止事項だった、酒も煙草もポルノ映画も解禁となり、食事も自分の好きなものを自由に食べられるようになり、出来る範囲のやりたいことは何でも出来るようになって、まさに我が世の春だった。
高校時代は煙草を吸っただけで停学となっていたのが、ほんの数ヵ月の違いで、生活指導の先生の前で、大っぴらに吸えるようになったのである。
大学の講義も、最高学府だけあり、高校の授業とは比べものにならないくらい洗練されていた。
特に英文科の授業は大勢の女子学生の中で、外人教授よる本格的なものであった。
見るもの全てが刺激的で、こんな環境が4年間も続くのかと思うと、舞い上がるような気持ちを抑えることが出来なかった。
しかし、慣れというものは恐ろしいもので、ほんの半年も経たないうちに、都会の絵の具に染まった私は、その環境が普通になり、2年、3年が過ぎたころには飽きてきた。過ぎたるは及ばざるが如しだ。
人間なんてそんなものなんだろうな。
私の場合、九州の辺境の田舎町から、初めて親元を離れ、千年の都、京都に生活の拠点を移したわけで、大きな転機となった。
京都の街は、田舎育ちの私にとっては、十分すぎるほど都会だった。
マクドナルドもケンタッキーも、大丸も高島屋も日常の風景の中に鎮座し、教科書で見た寺社仏閣も普通に行ける範囲に存在していた。
高校時代には禁止事項だった、酒も煙草もポルノ映画も解禁となり、食事も自分の好きなものを自由に食べられるようになり、出来る範囲のやりたいことは何でも出来るようになって、まさに我が世の春だった。
高校時代は煙草を吸っただけで停学となっていたのが、ほんの数ヵ月の違いで、生活指導の先生の前で、大っぴらに吸えるようになったのである。
大学の講義も、最高学府だけあり、高校の授業とは比べものにならないくらい洗練されていた。
特に英文科の授業は大勢の女子学生の中で、外人教授よる本格的なものであった。
見るもの全てが刺激的で、こんな環境が4年間も続くのかと思うと、舞い上がるような気持ちを抑えることが出来なかった。
しかし、慣れというものは恐ろしいもので、ほんの半年も経たないうちに、都会の絵の具に染まった私は、その環境が普通になり、2年、3年が過ぎたころには飽きてきた。過ぎたるは及ばざるが如しだ。
人間なんてそんなものなんだろうな。