★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ガソリンスタンドの思い出

2015年07月11日 13時44分28秒 | 徒然(つれづれ)
 30数年前に大学を1年留年して卒業の年、世間は就職難だった。
 アルバイトでもしようと漠然と考えていたが、親が世間体を気にするので、とりあえず学生時代を過ごした京都で、オイルの添加剤の販売会社に3月末ギリギリに入社した。
 営業スキルとクルマの運転技術を会得できたらいいかという程度の軽い気持ちだった。

 仕事はガソリンスタンドやクルマのディーラーに添加剤をセールスするという内容だ。
 エアコンもついていない営業車に添加剤のケースを満載し、街道沿いのスタンドやディーラーを片っ端から訪問して、口八丁で売りつけるという営業形態だ。
 初めのうちは門前払い同然だったが、通っている内にだんだん売れるようになったものだ。
 キャンペーンと称して赤いツナギを着て、給油に来る車に添加剤を売りつけて、その方法をガソリンスタンドの若い社員やバイトの連中に伝授する。その見返りとして5ケース、10ケースと納品するのだ。

 そんな仕事を5年半ほど続けて、京都の主だったガソリンスタンドの社員とは顔見知りになった。
 ガソリンスタンドの若い社員やバイトは、例外なくクルマが好きで、劣悪な労働環境にも文句も言わず黙々と仕事をこなしていた。

 クルマが好きな彼らは整備士やメカに詳しい人間を尊敬していた。
 赤いツナギを着て、付け焼刃ながら添加剤がらみでメカの知識を披瀝する私も、一応一目置かれていた。
 中卒や高卒の彼らはまだ幼くて従順だった。
 教えたとおりに添加剤を販売して、私の営業成績アップに貢献してくれたものだ。

 そんな彼らの夜の顔を一度だけ見たことがある。
 夜の四条河原町で信号待ちをしていた時、たまたま通りかかった暴走族の一団の中から、こちらを見て笑顔で手を振る奴がいた。よく見るとガソリンスタンドの若者だった。族の中では結構偉いサンのようだった。
 昼間はスタンドで働き、夜は暴走族で街中をブッ飛ばすという連中も少なくなかったのだ。
 
 騒音を残して去っていく一団を見送り、これも青春かと思いながら、ハシゴ酒の次の店に向かった次第だ。
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プアマンズ・ミニ

2015年07月11日 12時59分31秒 | 徒然(つれづれ)
 昔、私が中学生の頃、ホンダN360がプアマンズ・ミニと呼ばれいた。
 本物のミニにもそれなりのステータスがあったのだ。
 ミニに憧れた田舎の貧乏青年はN360で我慢していた。
 チューンナップしたNコロで田舎道をブッ飛ばすお兄ちゃんたちは、それなりにカッコ良かったものだ。

 社会人になった私がミニを買った頃には、ミニはBMWやベンツを買えない奴が買う外車、ホンマもんのプアマンズ・ミニに成り下がっていた。
 でも私はミニが好きだった。
 
 当時はまだオースチン・ローバーという冠がついていた。
 デカイ外車やスポーツタイプのクルマには何の興味もなかった。
 英国製で右ハンドルということでミニ・スプライトを選んだが、ミニやフィアット500、ワーゲンビートルのような小さくて味のある車が好きだった。
 
 狭くて細い日本の路地を走るには、オモチャ感覚のミニはピッタリだった。
 マニュアル・トランスミッションというのも、市街地走行時の走りを実感させた。
 ミニは当たり外れがあり、故障が多いと聞いていたが、運よく当たりだったみたいで、15年間故障知らずだった。
 パワー不足を懸念して、エアコンもカーラジオもつけなかったので、家族は乗るのを嫌っていた。
 股関節の置換手術を機に売り払ってしまったが、十分に堪能し元は取れたと思っている。
 
 そんなミニも今やBMWの傘下に入り、大幅にモデルチェンジしてしまい、往時の面影はどこにもない。
 たまに昔のミニを街で見かけると、頑張ってるな、と頬が緩んでしまう今日この頃だ。
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