★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

夏草や兵どもが夢の跡

2015年07月04日 11時48分38秒 | 徒然(つれづれ)
 情況、情景描写が筆を尽くしても物足りないのなら、逆転の発想で、いっそ文章を削るだけ削って、読み手のイマジネーションに委ねようというのが俳句だ。
 その手法だと、解釈がまちまちになってしまう恐れがあるので、私は俳句というものをあまり好きではない。
 
 140文字制限のツイッターでさえ、伝えたい思いをうまく表現できないのに、17文字の文章で何が伝えられるのだろう。
 作者の思いと受け手の感じ方が、ぴったりと一致することなどあるのだろうか。
 作者は受け取り方を相手に委ねる限りは、自身の思いが正確に伝わらなくても、一応、雰囲気だけでも感じてくれたらOK牧場よ、と達観しているのか。

 そんなんでええんか、松尾芭蕉よ。

 俳句は好きでなくとも、心に残る芭蕉の一句はある。もちろん自分なりの解釈をしての上だ。

  夏草や兵どもが夢の跡

 巷で解釈するところの、奥州平泉の藤原一族の栄華など、私は知らんし、この句からイメージもできない。
 夏草とか兵どもという圧倒的な強さが、単純にイメージされる。それが夢の跡と続けば、終わって久しい感じだ。
 中学生の夏の頃授業で習ったように記憶しているが、定かではない。
 
 高校の夏休みに、田舎の波止場から伝馬船で渡った無人島で、セイタカアワダチソウの生い茂る中を、小高い丘の頂上へ登ると、そこに小さな祠があった。
 その時に私の脳裏に去来したのが芭蕉の例の一句だ。(この辺のくだりは拙著「さらば夏の日1970」に収録<Amazon Kindle Storeにて発売中>)

 かつて、この無人島にも人が住んでいて、日々の営みが繰り返されていたのだろうと思い起こされた。
 そして今は風雨にさらされた祠が、ひっそりと往時を偲ぶように佇んでいる。
 この句にぴったりの情景だと思った次第だ。
 青春の入口のそんな思いも、遠い過去の話で、それこそ今にして思えば夢の跡だ。
 
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「雨ニモマケズ」に突っ込みを入れる

2015年07月04日 10時13分07秒 | 徒然(つれづれ)
雨にも負けず
(ゲリラ豪雨には負けるやろ)

風にも負けず
(竜巻には負けるやろ)

雪にも夏の暑さにも負けず
(同じく、大寒波や干ばつには負けるやろ)

丈夫なからだをもち
(ジムにでも行って鍛えとんのかい)

慾はなく
(人間、欲がなくなったら終わりやで)

決して怒らず
(たまには怒らんと舐められるで)

いつも静かに笑っている
(ヘラヘラしとったらあかんで)

一日に玄米四合と
(四合は多過ぎ、三合にしとき)

味噌と少しの野菜を食べ
(蛋白質摂れよ、それと塩分控ええよ)

あらゆることを
自分を勘定に入れずに
(飲み会で幹事割引適用か)

よく見聞きし分かり
(自己主張もせなあかんで)

そして忘れず
(嫌なことは忘れるに限るで)
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