先日来書き綴ってきた小説を一応ラストまで書き上げた。
こう書くと、芥川や太宰にでもなったような気分だ。
もちろん私は小説家ではない。
小説といっても素人の創作文章で、自己満足の手慰めだ。
今でこそブログやツイッターがあるが、昔から短い雑文を思いつくままに書き散らすのは嫌いではなかった。
それが短い文章では飽き足らず、長い文章を書きたいと思うようになったのが、会社でも先が見え出した40歳過ぎた頃からだ。ちょうどワープロを買ったこともあり、文書入力の練習も兼ねていた。
文章を書き溜めると、それを人に読んでもらいたいという、身の程知らずな欲求が頭をもたげてきた。
そのためには、小難しい面白味のない学術論文みたいな文章よりも、興味をそそる肩の凝らない創作文、すなわち、小説の形にしようと考えた次第だ。
小説家が書こうが、素人が書こうが創作した文章ならば、それを小説といっても差し支えないだろう。別に大説と言っている訳でもないのだから。
とはいっても、自分が書いたものを人に読んでもらうというのは簡単なことではない。
プリントアウトが必要だし、それも多くの部数は印刷できない。
また勧める人も気心の知れた関係者に限られる。見も知らない人に、読んでくださいと勧める厚顔は持ち合わせていない。
懸賞小説に応募して、誌面を飾る栄誉を勝ち取れるほどの実力など、もちろんない。自己出版するほどの金銭的余裕もない。
葛藤の月日は長らく続いた。
そんな時に出会ったのが、アマゾン・キンドルのダイレクト・パブリッシングだ。要は電子書籍の自己出版だ。
リアル書籍の出版と違い、すべて無料で自分の作品を出版し、アマゾンで販売できるのだ。
これは画期的だった。
すぐに手持ちの小説を加筆、手直し、校正してアップロードした。
少ないながらも、見ず知らずの人が購読してくれている。
カスタマーレビューまで記入してくれた心優しき人もいる。
今後、定年退職後も、体力勝負の仕事は無理なので、パソコンを入力する気力がある限りは、自分でも楽しみながら拙文を創作していこうと思う。
私は猫背だ。歩く時も座っている時にも猫背になっているみたいだ。同僚からも指摘される。
自分のことは棚に上げて、猫背の人を見ると、だらしなく見える。まるで覇気のない年寄りみたいだ。
自分もはたから見ると、そのように見えているのだろう。
身体はどのようなシチュエーションでも、無意識に楽な姿勢を取りたがるものだ。
猫背というのは楽な姿勢だ。その姿勢が身体に悪影響を与えるなどとも聞いた事がない。
人間も太古の昔は四足歩行をしていたはずだから、猫背はその名残りだろう。
スポーツ選手でも、ここ一番のシーンでは自ずと猫背で前傾に構えている。
ちゃんと背筋を伸ばしなさい、と言われたことは数知れない。
立つにせよ座るにせよ、その背筋を伸ばした状態が正しい姿勢というならば、なぜ、その姿勢を長い時間続けられないのだろうか。正しい姿勢なら一日中だって続けられるはずだ。
身体はその姿勢を持続することに拒否反応を示す。
それが正しいのなら、あるいは身体にいいのなら、そんなことはないはずだ。
試しに1時間でも正しい姿勢をとり続けたとしたら、身体は硬直し、筋肉は悲鳴を上げるだろう。
それはストレッチや運動に匹敵するかもしれない。
過ぎたるは及ばざるが如し、吾輩は猫背である。