★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

昔の映像はモノクローム

2021年09月22日 13時45分06秒 | 徒然(つれづれ)
 歴史、あるいは単純に過去を伝える手段は、大昔は文字で、そこに絵が加わり、近代になると写真や映像に移行してきた。
 百聞は一見に如かずを、地で行っているようなものだ。

 特に第二次大戦後の昭和20年代の、駐留アメリカ人による日本の映像や、その後のニュース映像は、世相や風俗、町や村の風景などを巧みに取り込んでいて、当時の日本の状況がよくわかる。

 そんな昭和20年代の映像を見ながらふと思う。
 私が生まれたのが昭和29年だから、それらの映像が撮られた時には、私はまだこの世に存在していなかったということだ。

 その事実は厳然としている。
 変な気分になる。
 私の存在なしに世界は存在していたのだ。これは私の死後の未来についても言えることだろう。

 人間は主観の生き物だ。客観などは存在しない。
 自身の目を通して、自身の意識でしか物事を見られないのだ。
 人はそれぞれがそれぞれの主観で、自身以外の世界の存在を認識している。

 しかし、私が存在していなかった世の中の様子が、今、映像として見られるのだ。
 映像自体は現実から切り取られたもので、今の時間線とはシンクロしてはいない。

 厳密にいえば、その映像は当時の撮影者の視点、主観だ。
 だから私は実際に当時の様子を見ているのではない。

 故にそれが真実かどうかは定かではないのだ。
 もしかしたら、それは意識が作り出した虚像かもしれないのだ。
 

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