夜行列車、またの名をブルートレインなど、今や郷愁の彼方の存在だ。
現在、定期的に走っている夜行列車は、東京から出雲市・高松間の「サンライズ出雲・瀬戸」のみだ。
私が大学2回生から3回生になる春休みに、ようやく山陽新幹線の、岡山・博多間が開通した。
それまでは、下宿していた京都から九州の実家へ帰省するのに、夜行列車を利用していた。
それも寝台列車などではなく、ボックス席の夜行急行だ。
うろ覚えだが、その夜行急行は確か「阿蘇」だったように思う。
貧乏学生ゆえに、帰省する際は、列車代のほかには数千円しか余分な金はなかった。
その金で駅弁とコーラ、当時流行ったサブカル雑誌「宝島」を買い、夜の長旅に備えたものだ。
夏休みや冬休みの時期だったが、列車は閑散としていた。
当時でさえも、京都から博多まで夜行列車を利用するもの好きは少なかったようだ。
客の誰かが持ち込んだトランジスタ・ラジオから、当時の流行歌が物悲しく流れていた。
気分は都落ち、夜の車窓に流れる景色は、眠りについた村落の侘しい佇まいだった。
明かりといえば、夜道を照らす電柱の灯りや、時折見える自販機の明かりだけだ。
駅弁を食べ終えると、あとは宝島を読み耽るか、短いうたた寝を繰り返すのみだ。
夜の8時過ぎに京都を出た列車は、朝の8時前頃に博多に着いた。
そこから在来線やバスで3時間弱をかけて、ようやく実家に辿り着いた。
現在、定期的に走っている夜行列車は、東京から出雲市・高松間の「サンライズ出雲・瀬戸」のみだ。
私が大学2回生から3回生になる春休みに、ようやく山陽新幹線の、岡山・博多間が開通した。
それまでは、下宿していた京都から九州の実家へ帰省するのに、夜行列車を利用していた。
それも寝台列車などではなく、ボックス席の夜行急行だ。
うろ覚えだが、その夜行急行は確か「阿蘇」だったように思う。
貧乏学生ゆえに、帰省する際は、列車代のほかには数千円しか余分な金はなかった。
その金で駅弁とコーラ、当時流行ったサブカル雑誌「宝島」を買い、夜の長旅に備えたものだ。
夏休みや冬休みの時期だったが、列車は閑散としていた。
当時でさえも、京都から博多まで夜行列車を利用するもの好きは少なかったようだ。
客の誰かが持ち込んだトランジスタ・ラジオから、当時の流行歌が物悲しく流れていた。
気分は都落ち、夜の車窓に流れる景色は、眠りについた村落の侘しい佇まいだった。
明かりといえば、夜道を照らす電柱の灯りや、時折見える自販機の明かりだけだ。
駅弁を食べ終えると、あとは宝島を読み耽るか、短いうたた寝を繰り返すのみだ。
夜の8時過ぎに京都を出た列車は、朝の8時前頃に博多に着いた。
そこから在来線やバスで3時間弱をかけて、ようやく実家に辿り着いた。
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