九州の辺境の村の高校生だった私は、漠然と都会の大学に行こうと決めていた。
当時の都会といえば、東京か大阪の二択だ。
そこまでは決めていたものの、肝心の大学はどの大学にするか、高校三年の初めまで決めていなかった、というか、どんな大学があるのかさえ知らなかったのだ。
その時点で、数学がからっきしダメだったので、国立は選択肢から外れ、私立に的を絞っていた。
しかし、その私立にしても早稲田、慶応の名前くらいしか知らなかった。
関西の私立など全く知らなかった。
高3の夏休みが終わり、志望校を決める時期になっても、まだどこにするか決めかねていた。
そんな時に担任から勧められたのが、京都の同志社大学の英文科だ。
そんな名前の大学があることさえ知らなかった。
物の本で調べると、東の早慶に匹敵する知名度で、所在地も大阪に近い、千年の都、京都だったので即決した。
英文科を選んだのは、英語の成績が他の教科より抜きん出ていたからだ。
高校の教科の中で、唯一、英語は当時の趣味である洋楽とリンクしていた。
その頃は、ビートルズやストーンズ、ディランやS&Gの歌詞を必死に訳していたものだ。
志望校を決めてからは、それに合わせた傾向と対策で受験勉強に突入した。
旺文社模試や他の模擬試験で、合格率は80%台だったので、受験勉強は深夜放送を聴きながらの、所謂、ながら勉強だった。
とりあえず入試に合格し、晴れて同志社大学に入学した。
女子率が高いと聞いて変に期待していたが、固定クラスの女子率が80%だったのには圧倒されて、ナンパな気分は萎えてしまった。
時を経ずして、講義中は男は教室の隅に固まっていた。
もうひとつの誤算は、英文科に入れば英会話がペラペラになると考えていたことだ。
英文科は、英会話を勉強するところではなく、原書で英文学を読み解くところだったのだ。
要は、高校でいうところの長文読解の延長だ。
そんなこんなで、英文科卒にもかかわらず、未だに英会話はできない私なのだ。
それは、日本の英語教育が間違っていることの何よりの証左だ。
当時の都会といえば、東京か大阪の二択だ。
そこまでは決めていたものの、肝心の大学はどの大学にするか、高校三年の初めまで決めていなかった、というか、どんな大学があるのかさえ知らなかったのだ。
その時点で、数学がからっきしダメだったので、国立は選択肢から外れ、私立に的を絞っていた。
しかし、その私立にしても早稲田、慶応の名前くらいしか知らなかった。
関西の私立など全く知らなかった。
高3の夏休みが終わり、志望校を決める時期になっても、まだどこにするか決めかねていた。
そんな時に担任から勧められたのが、京都の同志社大学の英文科だ。
そんな名前の大学があることさえ知らなかった。
物の本で調べると、東の早慶に匹敵する知名度で、所在地も大阪に近い、千年の都、京都だったので即決した。
英文科を選んだのは、英語の成績が他の教科より抜きん出ていたからだ。
高校の教科の中で、唯一、英語は当時の趣味である洋楽とリンクしていた。
その頃は、ビートルズやストーンズ、ディランやS&Gの歌詞を必死に訳していたものだ。
志望校を決めてからは、それに合わせた傾向と対策で受験勉強に突入した。
旺文社模試や他の模擬試験で、合格率は80%台だったので、受験勉強は深夜放送を聴きながらの、所謂、ながら勉強だった。
とりあえず入試に合格し、晴れて同志社大学に入学した。
女子率が高いと聞いて変に期待していたが、固定クラスの女子率が80%だったのには圧倒されて、ナンパな気分は萎えてしまった。
時を経ずして、講義中は男は教室の隅に固まっていた。
もうひとつの誤算は、英文科に入れば英会話がペラペラになると考えていたことだ。
英文科は、英会話を勉強するところではなく、原書で英文学を読み解くところだったのだ。
要は、高校でいうところの長文読解の延長だ。
そんなこんなで、英文科卒にもかかわらず、未だに英会話はできない私なのだ。
それは、日本の英語教育が間違っていることの何よりの証左だ。
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