「これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか」
吉田拓郎の『イメージの詩』の一節だ。
人それぞれ、いろんな分野で、信じるものはあるだろう。
卑近なところでは競馬新聞の予想か。
それを信じて馬券を買い、それが外れても、予想家は「競馬は自己責任」と逃げ道を作っている。
信じるといえば、その最たるものは宗教だろう。
しかし諸外国に比べ日本人の信教率はかなり低いようだ。
「あなたは神を信じますか」と問われて、科学万能の現代において、イエスと答える日本人はほんの少数派だろう。
もはや神は「苦しい時の神頼み」とか「捨てる神あれば拾う神あり」など、揶揄の対象だ。
科学で説明できない分野が、宗教が活躍する領域だ。
科学が発達していなかった昔は、その領域は広くその力は絶大だった。
しかし科学の発達とともに信教は薄れ、真の宗教は廃れて、宗教ビジネスが幅を利かせてきた。
もちろん今でも科学で解明できないことはあるが、それは神や宗教の領域ではなく、単に未知の領域だ。
この世で信じられるものは自身の存在と、科学に裏付けされた事実だけだ。
それ以外で信じるものがあるという人間は、誤信や盲信、あるいは妄信の類いだろう。
まあ、しかし何事も自己責任、信じるか信じないかはあなた次第だ。
吉田拓郎の『イメージの詩』の一節だ。
人それぞれ、いろんな分野で、信じるものはあるだろう。
卑近なところでは競馬新聞の予想か。
それを信じて馬券を買い、それが外れても、予想家は「競馬は自己責任」と逃げ道を作っている。
信じるといえば、その最たるものは宗教だろう。
しかし諸外国に比べ日本人の信教率はかなり低いようだ。
「あなたは神を信じますか」と問われて、科学万能の現代において、イエスと答える日本人はほんの少数派だろう。
もはや神は「苦しい時の神頼み」とか「捨てる神あれば拾う神あり」など、揶揄の対象だ。
科学で説明できない分野が、宗教が活躍する領域だ。
科学が発達していなかった昔は、その領域は広くその力は絶大だった。
しかし科学の発達とともに信教は薄れ、真の宗教は廃れて、宗教ビジネスが幅を利かせてきた。
もちろん今でも科学で解明できないことはあるが、それは神や宗教の領域ではなく、単に未知の領域だ。
この世で信じられるものは自身の存在と、科学に裏付けされた事実だけだ。
それ以外で信じるものがあるという人間は、誤信や盲信、あるいは妄信の類いだろう。
まあ、しかし何事も自己責任、信じるか信じないかはあなた次第だ。
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