さて、パラオの話です。
パラオに1カ月滞在したことがあります。
2週間は首都のコロール、あとの2週間はアンガウル島で。
アンガウル島はパラオの一番南にある小さな島で
日本の統治下にあったときにはリン鉱石の採掘が行われ、
第二次世界大戦では激戦地となりました。
いまでは200人足らずの島民がのんびり暮らしていますが、
島の自然を守りつつ、島を活性化させるため
島民と日本のOWSという団体が協力して自然公園をつくり、
ネイチャーツアーを始めようという話がまとまったのです。
アンガウル州立自然公園プロジェクトを始めるにあたって、
まずは小学校として使われていた校舎を改装して
ビジターセンターをつくろうということになりました。
その際、さまざまなボランティアを募集していて、
それに参加した、というわけです。
ビジターセンターの改装に実際かかわったのは
日本のベテラン大工さんと若者たち。みんなボランティアです。
わたしは通訳、運転手、飯炊きの3役。
3食作れば、あとは島探検をしていても
昼寝をしていても、読書をしていてもOK、
いたってのんびりしたものでした。
いま思えば、貴重な体験ばかり。
アンガウル島激戦の生き残りのひとりで
南洋暮らしが長いOWS副会長のK氏も一緒にいたので
その話を伺うだけでも大変興味深いものがありました。
で、日曜日に世田谷美術館へ行って
「パラオのおもひで」に浸っていたところ、
ところが!
ブログを書くのにパラオのことを調べていたら、
なんと、そのプロジェクトが2006年末で終わっていたことを発見!
そんな~~~。
コロールからアンガウル島へセスナを飛ばしていた
ベラウ・エアが閉業したためだそうです。
船は週1回程度の不定期便(行きはそれで行きました)、
となっては、いくら自然の宝庫が待っているとはいえ、
観光客はなかなか行けないでしょう。
あ~、悲しや悲し。悲しいではあ~りませんか。
諸行無常なり、ですな。
<街はぴ記事、UPしました。見てね!>
パラオに1カ月滞在したことがあります。
2週間は首都のコロール、あとの2週間はアンガウル島で。
アンガウル島はパラオの一番南にある小さな島で
日本の統治下にあったときにはリン鉱石の採掘が行われ、
第二次世界大戦では激戦地となりました。
いまでは200人足らずの島民がのんびり暮らしていますが、
島の自然を守りつつ、島を活性化させるため
島民と日本のOWSという団体が協力して自然公園をつくり、
ネイチャーツアーを始めようという話がまとまったのです。
アンガウル州立自然公園プロジェクトを始めるにあたって、
まずは小学校として使われていた校舎を改装して
ビジターセンターをつくろうということになりました。
その際、さまざまなボランティアを募集していて、
それに参加した、というわけです。
ビジターセンターの改装に実際かかわったのは
日本のベテラン大工さんと若者たち。みんなボランティアです。
わたしは通訳、運転手、飯炊きの3役。
3食作れば、あとは島探検をしていても
昼寝をしていても、読書をしていてもOK、
いたってのんびりしたものでした。
いま思えば、貴重な体験ばかり。
アンガウル島激戦の生き残りのひとりで
南洋暮らしが長いOWS副会長のK氏も一緒にいたので
その話を伺うだけでも大変興味深いものがありました。
で、日曜日に世田谷美術館へ行って
「パラオのおもひで」に浸っていたところ、
ところが!
ブログを書くのにパラオのことを調べていたら、
なんと、そのプロジェクトが2006年末で終わっていたことを発見!
そんな~~~。

コロールからアンガウル島へセスナを飛ばしていた
ベラウ・エアが閉業したためだそうです。
船は週1回程度の不定期便(行きはそれで行きました)、
となっては、いくら自然の宝庫が待っているとはいえ、
観光客はなかなか行けないでしょう。
あ~、悲しや悲し。悲しいではあ~りませんか。
諸行無常なり、ですな。
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