虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

バブルの遺産?

2017-11-07 06:27:24 | メディア

ビッグサイトの東京モーターショーのあと、20分ほど歩いてお台場へ向かった。

ここへ来たのは12~13年ぶり。

あちこちをブラブラしたが、かつての印象とさほど変わらなかった。でも平日なのにそれなりに混んでいる。それと外国人の姿が目立つ。

写真はフジテレビ本社ビル。ここは球体展望台が有名で、ちょうどその球体の上に月が出る場面に出くわした。そこをパチリ。

お台場のランドマークの1つとして名所にもなっているが、この中の企業(フジテレビ)は何かと大変な状況で、なかなか低迷から脱することができないという。

いろいろ試行錯誤しているのだろうが、効果が見えてこない。そして次々とマイナスのニュースが報じられてしまう。案外、敵が多いのか?

この本社ビルもそうだが、バブルの遺産から脱せられないのが、根本にあるのではないだろうか?

テレビ全盛の時代ではなくなった現代、テレビが果たす役割は何だろうか?

答えを導き出すのは簡単ではないだろうが、知恵を絞っていくしかない。

でもこの企業(放送局)から「知恵」というイメージが出てこないのも事実。そこらの意識やイメージ改革から必要なのかも。

もう少し、お台場を歩いてみます。

 

 


浮間舟渡

2017-11-06 07:15:38 | 社会

JR埼京線に浮間舟渡(うきまふなど)という名の駅がある。

なんとも特徴的な名前であり、難読地名でもある。

東京都北区浮間と板橋区舟渡に跨がった位置にあり、両者を合わせた駅名となった経緯がある。

浮間は、湿地をあらわす「ウキ」の付く地名で、南北を川に囲まれた中島のような地形。突き出たような形が浮島に見えたことから名付けられたとか。かつては浮間ヶ原と呼ばれていたという。

安土桃山時代に中山道で戸田の渡しが始まる。その渡しが舟渡の地名の由来。17世紀になり、家康の命により中山道が整備、あわせて戸田の渡しも整備された。

ちなみに戸田の渡し、明治8年に橋が架けられるまで、この地で使われていたようだ。今では史跡が残されています。


TMS2017

2017-11-04 07:31:52 | 乗り物

2日の午後、東京ビッグサイトで開催中の東京モーターショーに出かけてきました。

東京モーターショーに来たのは、かれこれ10年ぶりくらい。ビッグサイトでの開催になってからは初めて。

平日の日中にしては、かなりの混み具合。昨今、日本人のクルマ離れが言われるが、にわかに信じがたい混雑ぶり。

昔とは違い、かなり現実的なプレゼンが目立つ。90年代までのようなドリームカーは少ない。時代を考えるとやむを得ないが、かつてのようなカットモデルもなく、演出も極めて現実的。

どのメーカーも、近い将来の市販を前提にしたモデルや、10年先を見据えた提案、そして電動化の流れが見て取れる。

また市街地を走るのに適したシティコミューター(スクーターの延長線上にあるもの)も多く展示され、かなり人工知能など電脳化が進むのが見えてくる。

こうなると既存の部品メーカーも生き残るために大変だろう。また違ったロジックでの展開も求められそうだ。

自動車メーカーも然りである。国内需要に限りがあるため、海外に活路を見いだすか、国内でウケそうな提案がより一層求められるはず。

その点でシティコミューターやロボットの分野で、築き上げたノウハウを活用しようとする姿勢が窺えた。

今後、家電メーカーやIT企業も、電動化に伴い自動車産業への進出が加速するだろう。15年もしたら、自動車のあり方が大きく変わっていそうな気もして、会場を出てきた。

この後、国内主要都市を巡回するモーターショー。

是非、変わり目に差し掛かった自動車業界を、目で見て確かめてください。


昨夜7時頃

2017-11-03 08:20:25 | 社会

日比谷にある日本を代表するホテルの前は、物々しい警備が敷かれ、数多くの報道関係者が集まっていた。

あれ、もしかしてトランプ大統領?でも、彼が日本へ来るのは5日のはず。

そこで、日比谷通り沿いで待ち構えていた、ある報道関係者に質問した。

「何があるんですか?」

すると「トランプ(大統領)の娘が来る」とのこと。

そうこうするうちに、それとおぼしき車列が。詳しく見ることはできなかったものの、10台以上の車列のいずれかに彼女(イバンカ氏)が乗っていたと思われる。

珍しいものが見られた。

だから何だと言われれば、それまでの話。単なる野次馬でしかない。


我が国の大学発祥地

2017-11-02 07:49:43 | 文化

先日、打ち合わせで神保町へ。

そこの近くに「学士会館」があります。

この建物正面玄関の前に前に「東京大学発祥の地」の石碑が建っています。隣接する説明版には「我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地)」と表示されています。東京大学の発祥=我が国の大学の発祥ということ。

江戸時代、五代将軍綱吉は、現在の神田錦町から一ツ橋のあたりに広大な密教の大寺院「筑波山護持院元禄寺」を建立しました。護持院が享保2年(1717)正月の大火で焼失した跡地が「火除地」となり、護持院ケ原と呼ばれました。この広大な空き地は将軍の猟場として使用されていましたが、一般にも解放され庶民の憩いの場になっていました。

その護持ケ原に文久2年(1862)蕃書調所が洋学調所と改称して当地に移り、翌3年開成所と改め、明治2年(1869)大学南校となりました。さらに6年開成学校、7年東京開成学校と改め、明治10年神田和泉町から本郷元富士町に移転していた 東京医学校が合併し東京大学が創立されました。

明治初頭、護持院ケ原は、東京大学のほか東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地になっています。
後に、こうした学生たちを相手に書店ができ、世界に類のない神保町書店街が形成されました。

また、それに関わる出版、印刷、製本業発展する一方、私立大学の集積も進み教育・文化の中心地となりました。

戦後、学生の街となった神保町・駿河台一帯の若者達をタ-ゲットにしてスポ-ツ用品店や楽器店も軒を並べるようになりました。

ちょうど、古本まつりの時期で多くの人たちで賑わっていました。


楽しい、気持ちいい!

2017-11-01 06:54:00 | 乗り物

10日ほど前のこと。

札幌近郊の某所で、国内屈指のコンパクトスポーツ「スズキ・スイフトスポーツ」に試乗してきました。

今回のモデルは4代目。一部メディアには3代目と記されていますが、初代は軽自動車Keiから派生したモデルだったから、それはカウントしないのかなぁ。

過去の3代はすべて試乗してみました。それも違う場所で複数回。また2代目・3代目は知人が所有しており、同乗も含めてそれなりに知っている(加えて走らせるのが楽しい)クルマである。

さて新型である4代目。

詳しいレポートは専門家に任せるとして、エンジンが1600㏄のNA(自然吸気)から1400㏄のターボになったこと。それに伴い、トルクが大きくなったことがエンジン面でのトピック。加えてトレッド(全幅)を広げ、3ナンバーサイズにしたこと(=欧州仕様のスイフトと同様)がシャシー面でのポイント。

早速、試乗開始。約25分の試乗で、アップダウンがあるワインディングを中心に楽しんでみた。

まずターボ化に伴うトルク増が明らかに感じられる。初期(低速から)の加速が鋭く・力強い。反面、NAのようなシャープな感じが薄れた。でもかつてのターボ車のようなレスポンスの鈍さは皆無に等しく、思いのままに加減速ができる。

6速マニュアル(6MT)も操作感が良く、扱いやすい。先代の6MTはやや引っかかり感があったから、どこかを改良してきたか?

ハンドリングは「スポーツ」の名に恥じないもので、とてもゴキゲンである。あっという間に50mile(時速)になってしまう。全幅の拡幅効果があるようだ。だからといって、見切りが悪くなってはいない。正直、気にするレベルではないと思う。

足回りの設定はややハードなものの、身体が揺すぶられて疲れることもなさそう。スポーツモデルとしては納得できる味付け。また標準のバケットシートのホールド性が良いのだろう。

気になったのはブレーキ。とくに初期タッチがかなり敏感で、俗にいうカックンブレーキになってしまう。スズキ車に共通するブレーキフィールなのだが、もう少し制御の方法はなかったか?できれば、低速時から踏力に対して効くタイプにしてもらいたい。

不満を感じる点はあるものの、このような高性能モデルが200万円弱で買えるのは素晴らしいし、スズキの頑張りには感服する。

スイフトスポーツは国内屈指のコンパクトスポーツモデルであるし、所有する喜びを得られるクルマだろう。ただイメージカラーのイエローは少し気恥ずかしいけどね。個人所有するなら別の色(シックなカラー)がいいかなぁ。

北海道など降雪地なら4WDがあれば、言うことなしですね。