michiaでいつも戴くハーブティ。
ちょこんと置いてくださるティーカップ。
センスがいいのはもちろんのことだけど、
もうひとつ、
いつも思うことがあります。
michicaを訪れるいろんな方の為のティーカップだけど、
この時間、ここに置いて頂くこのティーカップは
確かに私の為だけに出して戴くお茶という
「おもてなし」を感じて戴いています。
「おもてなし」は余計なものを何も添える必要が無い「心」のことだとしたら
ティーカップに注がれたハーブティを通して
受け取る側もその美味しい時間に感謝を奏でる。
それがお茶の世界でいう「卒意」ということでしょうか。
余計なものを何も持たない人は本当のおもてなしができるのだと思います。
これは経験値がないとだめです。
若い時、ボディコンでチャラチャラ揺れていたアクセサリーは
年月とともに一つずつ、ひとつずつ取れていく。
おばあちゃんになって、
全て取れた時に出逢えた自分をみて
女性として生まれてきて良かったなあって思えたら
素敵に歳を重ねた自分を褒めてあげていいんじゃないかなって思います。
私にいつかそんな日がやってきたら
大切な仲間におもてなしをするのは
シンプルな塩むすび。
ヨボヨボのおばあちゃんにはなりたくないので、
「塩を買い忘れちゃったあ~、ちくと~待っててね~」って
スキップしながら出かけるの。
最高の夢。