こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

オイカワ君!

2010-06-16 05:30:30 | いろいろ


 散歩の途中、川に二人その上の道に一人の人が立って話をしていた。川にいた人が1メー

トルほど上の道に、ポイっとなにかを投げ上げた。ピチピチ跳ねるので魚だとわかったのだ

けど、近寄って見てもいつも見る魚とは違っていたので「なに?この魚?」と聞くとその

三人は「わからんけど、ハイ瓶にいっぱい入ってるんや」と言います。そして川原には

何匹かの魚が放り出されていました。「この堰だけでなく下流にもいっぱいいるんや」と

言います。「まさかブラックバスとかじゃないよね?」と生態系を乱すヤツを思い出し

心配しながら帰り道、また別のところでハイを獲っている人とそれを見ている人に会い、

さっきの魚の話をしたら「それはオイカワと思う」「オイカワ?そんな魚子供の時から見た

ことないわ」・・・思えば先ほど出会った三人もこの土地の人で、川には子供時代から慣れ

親しんだ人、この二人も土地の人だ。私を入れて6人が昔はいなかった魚を見て、これは

一大事だと思ったのはたしかだ。どうやら誰かが放流したという話を、教えてくれた。

それは引っ越すので、観賞用に飼っていたものを川に放した・・という。その話は3年位

前に聞いたというので、それがこの川に多数のオイカワ繁殖させてしまったようだ。

 この魚のどこが観賞用なのか疑問に思ったんだけど、川原に捨てられたなかに薄緑と薄赤

の色を胴体にあるのがあった。ニジマス?のような魚とおもったんだけど調べてみたらオス

オイカワというのがわかった。



 しかし、このオイカワ、呼び名がたくさんあるようだけど、居合わせた6人が6人とも

呼んでいる「ハイ」とは違うのだ。オイカワのほかに「ハイ・ハエ・カワムツ・・・」と

各地で呼ばれ、調べたら食べることもできるみたいだけどこのあたりでは「ハイ」を食べた

なんて話は聞いたことがない。この辺では「ハイ」はあくまでも「ハイ」なのだ。

 この川にはいなかった魚なんだけど、このまま増えて「ハイ」がいなくなったりしたら

寂しいのだ。


ところで「オイカワ」と聞いて私は別の「オイカワ」を頭に描いていた。それは俳優であり

歌手かもしれない「及川光博」だ。

いまCS放送で昼ドラマの再放送をやっていて、コミカルな父親役が妙に似合っている。

このドラマは4年前に地上波のお昼、『花王愛の劇場』という、ホームドラマ主体の枠で

放送していた。その時も私は観ているんだけど、何度観ても面白いのだ。

というのも、脚本が 宮藤官九郎だ。いま役者が出たい脚本家は三谷幸喜か宮藤官九郎だろ

う。ヒットメーカーだし、飽きさせない。宮藤(クドカン)作品はコメディーが多いのかと

おもいきや、『ピンポン』や『GO』のような癖のあるのもそうらしい。そのドラマは

『吾輩は主婦である -名前はみどりー』、お昼のドラマにはもったいないと思う出演者陣

だ。このときの斎藤由貴は今放送している『同窓会』の役より断然いい。そうそう、オイカ

ワ君、魚のオイカワじゃないけど決して人に迷惑をかけたりしないでね。




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『はやぶさ』!

2010-06-15 05:30:00 | いろいろ
ここ数日、新聞やニュースでこの名前を聞くたびに私はウルウルしてしまいました。

打ち上げられた当初から、そんな宇宙の小さい星に辿り着き砂粒の採取なんて本当にできる

のか、できたらいいな・・・そして地球に戻ってくるなんてワクワクする気持ちを乗せて

宇宙空間にひとりで飛んでいる『はやぶさ』に 私の思いも届くように祈っていました。

当時は戻るときには『はやぶさ』機が燃え尽きてしまうことはあまり大きく取り上げられて

はいなかったと思う。通信が途絶えた・・というニュースの時には私も「やっぱりな」と

あきらめてしまった。そんな薄情な私なのに『はやぶさ』は数多くの試練を乗り越え、体を

燃え尽きさせ砂粒が採取されたと思われるカプセルを地球に還してくれた。長い長いひとり

旅、そして『はやぶさ』機が最後に見た地球の写真を送信して消えてしまった。

 私はときどき、感情をもたない無機物に自分で感情を移入してしまうことがある。自分で

もそれはまるで、幼児がおもちゃを手にひとりで喋っているようだと思うんだけどね。だか

ら モノに執着するのだ。だから『はやぶさ』は無機物だけど、こう思っているやろ・・と

か勝手に想像してしまう・・・。『はやぶさ』は日本人が思わず「還ってこいよ」と願って

しまうくらいの艱難辛苦を味わい、最後は夢を地球に還してくれたのだと思う、そんな姿を

みんながいつまでも覚えていたら『はやぶさ』自身、喜んでいると思う。私たちはどんな

小さな夢も希望ももって生きるのが本来の姿だと思う。それが叶うことも夢だし、希望だ。


この間、テレビで沖縄出身のコッコさんという女性歌手の人が「やっと おじぃやおばぁに

「なんくるないさぁ(なんとかなるさ)」とあきらめて、笑顔で歌って踊るしかなかったこ

とから解放させてあげられると思ったのに、またそう言わせてしまうことになってしまっ

た」というようなことを話していた。どれだけ基地の下で生活を余儀なくされた人たちを

いつまでもそのままにしておかなくてはいけないのか?同じ日本の国民なのだ。いつまでも

他国を頼りにして 世界に出ればいとも簡単に大国に言いくるめられ、言いなりになり、

強硬発言もできない。みんなに愛想よく・・みたいな。根性無しの日本に『はやぶさ』は

それでも還ってきてくれた。


 『はやぶさ』はそりゃぁ ここまでお金もかかったけど、これが『世界一』の技術の成果

だと思う。二番じゃできない。目標を高く持つ・・・それがここまで日本が成長してきた

原点なんだけど、仕分けで減らされた予算で二号機のめどがたたない・・・はずが、無事に

還ってきたら「次に繋げるものを」と、文科省の大臣が言いだしたそうだ。明らかに『はや

ぶさ』人気に、反対のことを言ったら選挙でヤバイという風に私はみている。仕分けで科学

者からブーイングだったもんね。「二番じゃだめなんですか?」と言った、今回大臣になっ

た彼女の夢は「日本を良くしたい」ではなく、なんだったんだろう。まさか隣国に特別ルー

トを作るためではないかと・・・これはワタクシ的意見だ。ワタクシは 口のたつ同性は苦

手で 今風にいうと「好きくない」のだな。

『はやぶさ』はこんな私の独り言を「そこまで言ってはいけません」と叫びながら消えてい

ったのか・・。君の後を行く二号機の誕生を一番待っているのは、君なんだろうね。
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驚きのイワシ漁!

2010-06-14 05:30:30 | いろいろ
先日、和深のおとうさんの実家に行ってきました。そこで、とてつもない話を聞いたのです


ある日、孫のMちゃんが「おじいちゃん、磯にマイギ(巻貝)を採りに連れてって」と電話

があり、おじいちゃんは留守なのでおばあちゃんが膝が痛いけど孫のためならと近くの磯に

ついていったのです。ここのところ、好天続きで磯遊びにはとてもいいのですがマイギも

たくさん採れて帰ろうと、先をあるいていたMちゃんが「おばあちゃん!これなに!」と

叫ぶので近寄ると波打ちぎわの岩場にキラキラ光るウロコがありその中にイワシが。

波に乗って岩場に打ち上げられたとみたおばあちゃんは、「M、はよはよ獲らんし」と

マイギの中に手づかみしたイワシを入れながら、二人のことならまぁキャーキャー言いなが

ら獲ったんだろうね。それを手にしてまた歩き出したところ 入江の狭まったところに

それ以上のイワシが岩場で ♪獲れ獲れピチピチ~状態でうごめいていたそうな。

 この二人がどれだけ興奮したか想像できますね。おばあちゃんは膝が痛かったのだけど

Mちゃんがズボンを濡らすと車に乗るのが嫌だというので、膝まで海に入ってまず被ってい

た帽子で海中のイワシの群れをすくって・・・としたところ、あまりの多さに帽子からフニ

ュ~っとこぼれていくんだそうだ。でもって、おばあちゃんは両手でかきすくったんだって

なぜ、海中に入ったかというと波打ちぎわをイワシの大群が黒くなって廻っていたんだと。

「まぁ、パニックやな」とおじいちゃんが声を入れたので「クジラに追われた?」と私。

「クジラじゃないけどカツオかなんかやの」・・・イワシは先頭の一匹について群れで泳ぐ

というからね。「その大群を見た時Mに「石をほらんし」といったんや。石ほったら岩場に

向かって飛び込んでくるやろ。で上にあがったら 今度は引き波に乗らんように石を並べて

の・・・。」イワシの群れは浅いところまで大きい魚に追い込まれ、パニックになったとき

Mちゃんから石を投げ込まれ岩場に乗り上げたようだね。最初のキラキラのところのイワシ

は、波に乗って岩に残ってしまったとみられるね。Mちゃんいわく「イベントのアユのつか

みどりや、ウナギのつかみどりよりやりがいがあったわ~」そりゃそうよね、次から次へと

打ちあがってくるんだもん。おばあちゃん帰ってみたら洗い桶いっぱいのイワシを持って帰

ったんだって。うす塩をふって干物にしたら新鮮でおいしかったそうだ。こんなことは

沖の漁師さんも気がつかないんだって。それにしても 何かの前兆ではないかと、ふと思っ

たんだけど。ほらよく「時期じゃないのにイカが大漁」とかしたら地震か!ってこの辺の

人はよく言うのだ。イワシも高級魚化してきたりするから たまにこんなこともありかな。









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ポスター

2010-06-11 05:30:00 | 和歌山県
     

 先日、愛知から帰省した次男君を送りに勝浦の駅に行きました。電車の時間がお昼過ぎ

と言うので、勝浦でお昼を食べ駅に行くと一階の待合所にこんなポスターが貼られていたの

です。ジャパン・ブルーというのかサッカー選手のユニフォームに使われているブルーは

目に清々しさを与えてくれます。『導け勝利へ!』描かれているユニフォームの真ん中には

黒いカラス、いわずとしれた三本足の八咫烏、熊野権現に仕える神の鳥として崇められてい

ます・・・と書かれています。と、そのまえに、この八咫の「やた」の「た」の字はすっと

変換されないのね。こんなに有名だと「た」と打てば出てくると思ったら大間違いで、

「し」の字、それも別枠に入ってる字なのね。読めないから電子辞書の『漢字源』の総画数

で探したわ!!。おまけに意味ときたら「単位:周代の小尺における長さの単位。一咫は

大尺の約八寸に当たり、約18センチメートル。▹小尺は、女子の指十本の幅を基準にした

尺度。大尺は、男子の指十本の幅を基準にした尺度で、その一尺は22.5センチメートル

とある。大尺の一寸は2.25センチ、小尺の一寸は1.8センチ。って中国では女ものの

寸と男ものの寸があったようです。日本の尺貫法では一寸は3.03センチひとつだから、

ややこしくないわね。一咫が八寸だから18センチで、八咫ならそれの八倍144センチ?

なにが144センチ・・三本足のカラスが全長144センチもあったのか?めっちゃこわい

やん。それが上空を舞っていたら子供なんかさらわれそうやん。でもそんなことはしないの

よね、神に仕えるんだから。本宮大社が有名なんだけど、ワールドカップも近いことだし

一緒に熊野三山に お願いしてぜひとも一勝・・できれば予選突破の祈願をとJRさんも

すがっているようです。そうこうしてるうちに、もう始まっちゃうというではないですか。

あまり、サッカーは詳しくないけど応援はするし代表メンバーの駒野選手は和歌山県出身な

のでピッチに出ると応援します。前のオシム監督は先発から使ってくれてたように思うけど

最近は・・・。駒野選手は走り方が「タラタラ」走っているようで、怠けてるように見える

かもしれないけどちゃんとやってるんだからね。ワールドカップの開かれる南アフリカでは

報道陣が強盗に襲われたりしてるみたいだけど、なんか無事に閉会までたどり着くのか心配

するよね・・・って、テレビ観てたら『南アフリカの通貨で使われるお札の絵柄はなんと動

物だ』というのをやっていた。額面が小さいお札にはサイが、その上がゾウ、その上がライ

オン、その上にバファロー(水牛)、そして一番高額紙幣にはヒョウが描かれていた。

 そのせいではないだろうけど、今大会のマスコットがヒョウなんだって。名前はザグミー

くんだって。日本やアメリカのお札の絵柄は人物なのに、南アフリカの動物柄はまるで子供

銀行みたいな感じにも思うけど、土地柄も出たものですね。動物園の園内通貨にすれば

うけそうやん。それぞれがどういう順位で決められたのかは聞かなかったけど、子どもに人

気ならライオンとかゾウだろうな、

 
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古座川魅力まっぷ(知図帳)④

2010-06-09 05:30:30 | 和歌山県
     

八つ折りを広げたら裏面はこんな大きな古座川町の地図が片面に現れました。桜スポットと

紅葉スポットが印され、ほかには私が聞いたこともない滝の名前や、地名がたくさん載って

います。しめしめ、この地図をたよりに各所に行って見て感じてくるのも、楽しみになりそ

うな地図です。まさに『古座川魅力まっぷ(知図帳)』です。魅力満載ですよ!もしかして

まだ知らないぼんくらさん!この冊子も手に入れてくださいね。古座観光協会にあるでしょ

う。右上にはそれぞれの滝の写真と桜、紅葉のスポットが。なかに「柿太郎の廻り」という

のがあって、写真ではそれがどうやら川のようなのだけど上空写真からだと道路のようにも

見えてるのが気になる・・・。古座川河口の神戸神社から七川ダムまでの大きな川沿いには

有名なところも多いけど、ダム上流や滝の拝より奥にも見所がたくさんあるのねぇ~。

     

裏面の左側には右面の地図に対応した「古座川の資源」と題され、≪自然・風景≫関連の写

真12、≪民族・生活≫関連の写真が11、≪産業≫関連の写真が7、≪伝承・史実≫関連

の写真が11と番号をつけて載っています。このマップを手に山に詳しいおじいちゃんと、

三尾川出身のおばあちゃんに「ここに載っている≪アバの跡≫ってなによ?」と尋ねたのだ

アバ・・・私の歳では「ダンシング・クィーン」とかディスコミュージックのグループしか

イメージが湧いてこないのだが。「アバかぁ・・・聞いたことあるなぁ」とおばあちゃん。

「「アバでフナ釣りにいこ」って子供の時に言うたなぁ。」フナしかよう釣らんかった」

「あれは木を川で流すときに、堰のように木を組んでとどめておいて、水が出た時に流して

いくところや」とおじいちゃん。そんなものかぁ・・と私がこのマップをよくよく見たら

まさにその説明と同じものが書かれ、当時のアバの写真が掲載されているじゃぁあ~りませ

んか!≪材木流しトンネル≫というのもあったようだ。おばあちゃんの三尾川には≪戦国時

代の城跡≫なるものもあるようだし前におばあちゃんが言っていた、≪牛の田掻き≫のこと

も載っている。これはこれはなかなかいいものを手に入れました!ヒャッホー

今回は、さきの三回があまりにも長く書いたので疲れて思うように書けません。来週末は

長男君が引っ越すので神戸に行くのだ。中央区から鉄人の長田区に・・・。鉄人、見に行け

たらいいけど・・・。雨かな・・・。
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古座川魅力まっぷ(知図帳)③

2010-06-08 05:30:00 | 和歌山県
     

見開いた左2ページには古座川流域の『稀少植物』と『稀少動物』のことが書かれています

私はこのマップを手にしたときに、最初興味を持ったのがこの『稀少植物』の写真でした。

写真はごく普通の観光パンフにみるような写真ですが、見なれた植物でもそこに古座川の

町をあげての守っていこう・・というそんな気持ちがみえたような気がしたのです。

 まず最初に≪岩壁植物群落≫とあります。そこに・・・岩壁は植物にとって苛酷なところ

ですが、一方普通の土地では成長が遅いなど、競争に負けるが岩壁では生きていける乾燥に

強い植物があり、いわば岩壁に逃げ込むようなかたちで生息しています・・とあります。

岩場に咲く花や植物を見てただ「何も好き好んでこんなところで咲かなくても」と思ってい

た私は、間違っていたのですね。その場所だから生きていける、生きてくることができた、

人間も同じだね、なんとなくそんなふうに思ったのでした。

 ここでは一枚岩を中心にそのあたりで見ることができる稀少植物を書いています。最近、

地方紙に古座川のどこそこに稀少植物がある・・という記事を目にすることがあるんだけど

あれはすごく反則だと思う。「稀少」なものをみんなで見守るのではなく、自分だけが持ち

自分だけで見守る・・という輩がどれだけ多いか。串本町の有田のお瀧さんのエビネがそう

でしょ。大切にするのは自分の家に持ちこんで大切にするんだからね。新聞記事がどれだけ

「稀少植物」を根絶させるのに協力的なのか・・・。紙面で「守っていきましょう」なんて

書いたって守られることはなく、その影響がどんだけ迷惑か・・・と私はいつも憤慨するの

だ。

≪古座川を特徴づける稀少植物≫非常に分布が狭く、当地独特といってよいような植物があ

ります。まずはキノクニスズカケ(写真下の右上)、私も一度お目にかかりたいのだが、

いまだみつけられない・・。近縁種は岐阜や、四国南部、九州にしかない当地独特の種類。

ほかにキイイトラッキョウ、キイジョウロウホトトギス、クルマギク、オオママコナなど

全国的に見て貴重な植物も多くみられる。・・・場所の特定がないのでホッとしたけど、

一枚岩前の道沿いに咲いていたシャガの花もめっきり少なくなったような気がするし、昨年

だったかキイジョウロウホトトギスだったか、新聞に載ったらごっそり盗られたという話も

聞いた。ササユリだって少なくなったのは、シカが食べるだけでなく人の手によるものも半

分はあるんじゃないかい?



≪稀少動物について≫ ・・・ルーミスシジミ(蝶)とハッチョウトンボは、当町では天然

記念物に指定しています。・・・いきなり自慢に聞こえるような書き出しでちょっと面食ら

いましたが、そこまでいうからには保存に力を入れている証拠でしょうね。ルーミスシジミ

というのは知らなかったけど、ハッチョウトンボは初夏になると必ずニュースネタになるト

ンボでたしか全長が2センチとかいう日本で最小のトンボなのだ。オスが写真のように鮮や

かな朱色をしているのだ。直見(ぬくみ)という地区にはハッチョウトンボの生息地があり

私はまだ見に行ったことがないのだけど、羽化のころは辺りに飛びかっているそうだ。

ルーミスシジミはどんなか検索したらなかなか、私好みの青色の羽をもつ蝶でした。

この蝶についての記述はこのマップにはなく、どうやら売りはハッチョウトンボのようで、

・・・またハッチョウトンボは日本最小のトンボで、水田の耕作放棄が広まるなか姿を現し

ました。現在の私達の暮らしの変化を如実に知ることができる貴重な種類の一つです。これ

を機に皆さんで、全体としての生態系に思いを巡らせてほしいものです・・・って、つい、

「アンタはだれよ?」と突っこんでしまったのですが、私の読み方では「たんぼを作らなく

なって、貴重なハッチョウトンボが目に見えて増えた(その前からも生息してたんだけ

ど)」これは、どうとらえたらいいのか?天然記念物を守るのに耕作放棄は◎だけど、そ

のほかのたんぼは荒らすなよ~、作らないのなら最近やたら地縁のない、農業ってファッシ

ョンよね!みたいなわけのわからん、自然派農業をする人に貸しなさい~みたいなこと?

ここだけの話、この間鶴川で「カンカンプー」(田畑の害虫を松明をもって、太鼓や鐘を

鳴らしながらあぜ道を歩く虫送り行事)があってね、テレビでやってたの。そこにはうちの

たんぼを作っている(今年はなんとか水田になってんだけど)女性が、声を高らかに松明を

手に、外国の腰巻みたいなものを腰に巻き歩いていた。最近、那智勝浦町の山の中のたんぼ

とかを区が、地縁のない都会からの人を受け入れて農業をやってるのね、噂じゃちょーっと

なんか変というか、変わった人たちばかりだって・・・。うちのたんぼの人もそっちにお友

達がいてるとか言ってたし、なんかそんな人ばっかり集まってきたら怖くない?考え方が?

だし。もともと私は借りに来た時から怪しいと思ってるのだ。うちがたんぼをもっていて、

休耕田ということを教えてもらった人の名を言おうとしないのだ。その人との約束だとかで

いきなりやってきてたんぼを貸してくれ、教えてくれた人の名前は明かさぬ・・って平気で

言う人だ。おじいちゃんたちが貸すって返事してるから貸すことにはなったけど、私の

「それはおかしい。こっちはいきなりやってきて、はいそうですかとはできないでしょう。

 教えた人の名前を言えないというのは、そっちの約束でこっちは勝手にあの家のたんぼは

 どうです?と売り込まれているようなもんでしょ」

で名前を明かしたわ。素性も何もわからん人にハイハイってできんでしょ。うちの年寄りは

そんな人に協力的で、田植えのときなんかうちのおとうさんの車庫前に堂々と車を止めるわ

よその車庫前にも止めるわ、なんかその仲間って人らがやって来ていた。そのうち、乗っ取

られるんじゃないかしら・・・・よその土地へ行ってくれ!といいたいわ。村が寂れるから

この際、来てくれる人は誰でもカモンじゃね、とあくまでもワタクシ的意見です。この人達

感覚がちょっと・・・。シカ除けのネットを張ったら。断りもなくこげのグランドの入り口

の杭にネットをくくりつけ、グランドに入れなく(私たちが)なり私は憤慨したんだけど

おじいちゃんが一歩譲って、別に入口を作りなおしたのだ。注意もせずに・・・。断りを

入れないというのが、大人としてのやりかたじゃないでしょ。他のたんぼを作っている3軒

は友好的にやってるようだけど、たんぼを貸した我が家はこのあとまた変な植物でも植えら

れたら・・・と、思うと心配だ。一年契約で契約書を作ってるけどどっかよそに行ってくれ

と、せつに願ってる。どうも田舎の人は自分たち都会から来た人にはすべて親切に対応して

くれると思っているらしい。図々しくない?これもワタクシ的意見だ。



・・・またオオサンショウウオは戦後間もなく地元の人が持ち込んだのが、いまやアユの天

敵として嫌われるくらい広く見られるようになったそうです。【古座川の魚類一覧】として

回遊性の種、七川貯水池の生息種、淵や沼地の種、純淡水種、河口・沿岸域・下流域内を移

動する種が載せられています。古座川のアユをいじめるアユカケの名前もありました。


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古座川魅力まっぷ(知図帳)②

2010-06-07 05:30:00 | 和歌山県


『風土とFOOD』『川漁法』を見開くと右に『歴史の成り立ち』『林業について』、

左には『稀少植物』『稀少動物』という4つの項目に分けられた面が現れました。どひゃ~

なかなか凝った作りになっていました。

『歴史の成り立ち』の中に4つの小見出しがあり≪人々の定着≫≪戦国時代の伝説≫≪雑賀

衆と藩の行政≫≪古座川町と那智山≫と分かれています。

私がまとめると、歴史文化の中心とならなかった地方の歴史は、周辺地域とかけ離れた独特

なものになるということはありえず、これを前提にすると縄文・弥生時代頃には周辺地域の

状況から考えて少なくとも下流域には人々が定着していたんだって。中世になって古座川中

上流部に人々が定着、江戸中後期の説話などに影響された平家落人伝説などが残っており、

実際のところはわかりません・・・って、わからんのかい。でも、戦国から徳川幕府が開か

れるまでの間の紀南地方の在地勢力で、古座川町に直接関係するのは西向の小山、古座川下

流左岸の高川原両氏で、それぞれが古座川上流部の在地勢力と友好関係を保っていたんじゃ

ないかなと推測され、それを知るには古座川奥地に残る様々な家系の伝承が参考になるかも

しれない。別枠に【家系の伝承について】永正年中(1504~1520)に信州から三尾

川に移り、その後大庄屋を務めて、医家となった日下(くさか)家、承久3年(1221)

官軍に属し破れた村上清重一行が古座川を遡上のの際、昼食を供したといわれる蔵土(くろ

ず)の山本家、遠祖が藤原鎌足で伊豆の伊東から移り住み、未開の土地を大桑と名付けたと

いわれる伊東家、原生林を開拓したのが西川の始まりであるとされる朝日一族や、近隣地域

を所有して西河荘司と称したといわれる村上家などの伝承が残されています。また熊野浅里

郷へ退避した御南朝皇族を名乗る山田宮融仁王(みちひとおう)は、嘉吉(かきつ)4年

(1444)寄留先の伊勢国山田村から退避をはかり、文明元年(1469)に没後、貴子

重親が樫山村の深山幽谷に移り、高山(鳥屋森山)を国王山、在所を大雲郷としたといわれ

ています。・・・・前半は解るけど後半は あ~さっぱり、さっぱり。問題の浅里氏の名前

が・・・。

 さてさて江戸時代に入って、徳川幕府の支配が確立してからは和歌山市を中心とするその

近辺の雑賀衆(浄土真宗)の流れを汲む人達が紀南地方に多く進出し、海運を中心に商業の

中核を担っていくように・・・。それ以前の戦国時代にもそのきざしはあった。それとは

別に、在地、あるいはその他の地方から進出した地方支配の中核を担う庄屋などの流れも

あった。藩の行政の中に当地方も組み込まれ、すさみに代官所が置かれて、紀州本藩の直轄

領地だったそうだ。古座には二歩口役所、高川原には御仕入方役所(おしいれかたやくし

ょ)などが置かれていた。●高川原御仕入方役所 高池(清水)元高池町役場(空地)

               ●滝の拝御仕入方役所 滝の拝橋北詰(現駐車場付近)

               ●西川御仕入方役所  西川(上地)斗ノ倉橋付近

この御仕入方役所は次の『林業について』でも書かれています。こう年号と歴史の中の制度

とかを書いていたら、なんか日本史のノートを綴っているような錯覚に陥ります。

≪林業のはじまり≫室町時代には市場経済が発達して京都近辺では造林が始まっていたけど

古座川流域には商品生産としての林業はほとんどなかったらしい。地質的にも似ている四国

南部、九州南部と比べて、山に生息する哺乳類・昆虫類の多様性、植物の多様性があること

から山林原野の開発が本格的になったのは、紀州藩による産業振興の政策、その中心が御仕

入方役所以来と考えられる・・・んだそうだ。山に生息する哺乳類の多様性、まさに現代も

シカ、イノシシ、カモシカ、サル、アナグマ、アライグマ、タヌキ、ウサギ、等々アライグ

マなんか洋物だもんね。そのまま生息してますね。

≪御仕入方役所の設置≫1702年に高河原(現、高池)に御仕入方役所が設置され、のち

に西川、滝の拝などにも設置。御仕入方役所は藩営だったけど商人に販売・仕入れを委託し

た商品生産統制制度であり、救貧対策としての生活資金貸付なども行っていたため市場経済

が遅れていた当地方は、紀北に比べ在地の商人からの反発もなく、むしろ地域住民からは

生活安定のために歓迎されていた制度。

≪林業生産物と輸送≫江戸時代、紀州南部では黒炭生産から備長炭の白炭生産が主流となり

古座川流域ではほとんど備長炭生産中心で、ほかには斧を用いた短い板材も生産し、その後

木挽きの導入で板、樽丸(樽用木材)、小割物、丸太、粗造りした角材、杉皮なども生産、

松煙も生産された。当時は、炭を人の肩で運び出し、滝の拝や真砂(まなご)などの集積地

から川舟で、古座川下流域では集落周辺の道路沿いでは人の肩から牛馬車に積み替えていた

とも考えられる。この炭は古座川河口から江戸や大坂に向けて出荷された。

 こうして林業が地域の産業として育つと、それを運ぶ輸送手段も人から舟、牛馬と進化し

道具も工夫され丸太が角材加工され、商品が増加するようになりいよいよ植林技術が導入さ

れ、1700年頃には植林が始まっていたようだ。

≪植林ブームと生産の合理化≫明治期以降、ドイツ流の林学の導入に伴って、国の指導もと

県が新しい林業知識の普及に努め、旧来の高度の技術があったことや補助金政策と相まって

植林ブームが起き材木生産も活発になり、製材品の生産も、伐採搬出の技術の革新、製材技

術の進歩によって飛躍的に増大し、戦前はなお海外に輸出まで行われていたらしい。(今か

ら思うと信じられないけどねぇ、前に今でも国産材の高級品は中国のお金持ちのところに行

ってる、とかなんとかってテレビで見たような・・・。国内で高値で買い取ってくれれば林

業も衰退しないですむものを・・。)でもって、国策の徹底、経営基盤の強化・合理化のた

めに山林所有者、木材生産者や製炭業者の同業組合なども組織された・・・。この頃が山林

を持つ者が儲かり、伐採しては50年先までも安泰と算段し植林をしたわけだ。まさか、

住宅事情がこうも変化し、外国材がバンバン輸入されるとは思わなかったんでしょうね。

木は儲かる・・なんて信じたのか、奥地の不便なたんぼを杉林にしたところや、川の土手ギ

リギリまで植えこみ、今やその根っこが護岸の下まで伸びているとか、でも木材不況で伐採

・搬出代を支払うと儲け思うほどなく50年前の植林の苦労が無駄に思えて、伐採のあとに

再び植林を行う気力も出ず、山はほったらかしで荒れてゆくばかりなのだね。

≪生活の変化と林業の盛衰≫古座川流域では、商品生産として備長炭の生産と柱角生産が

中心でしたが戦後、道路網が整備されると林業はますます活況を帯びました。その過程で

古座川源流域の貴重な自然林も伐採されましたが、地元への経済効果は抜群だった・・・

その当時、それが貴重な自然林とはたぶん誰も気がつかなかったと思います。わかっていた

のは【熊野の巨人 南方熊楠】くらいだったでしょうね。・・・その後、都市ガスの普及な

どで備長炭の需要は急速に低下し、まず製炭業が衰退した。その前に製紙産業も特に戦後の

高度成長下で活性化して、古座川流域でもパルプ材生産が増大したのだが、またここに海外

からの製紙用チップの輸入が本格化するとそれも衰退してしまった。そして今、古座川の

林産物の主流である製材品にしても、外材との競合、建築、建材に対する規制強化、建築様

式の変化などにより、材価が低迷し町の林産業も苦境にある・・・。まさに、そうなのだ。


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古座川魅力まっぷ(知図帳)①

2010-06-04 05:30:00 | 和歌山県
     

 お肉を買いに寄ったお肉屋さんで新しい古座川のパンフレットをみつけました。じつは

熊野新聞の記事で知ってはいたけど、しばらく古座川方面に出かけることがなかったので

手にするのはだいぶ先やなぁ~と思ってたんです。このお肉屋さん『樹々(じゅじゅ)』に

は古座川町役場発行の『古座川王国』というパンフが置かれているのは知っていました。

お店のお兄さんに「これもらっていいですか?」ときき、一冊もらいました。これがなかな

か短時間で読めなさそうなもので・・・。大きさは縦30センチ横21センチです。表紙に

は古座川に架かる古い、今は使われていないと思われる吊り橋や飾られた河内祭の御舟で

はない当舟という船?(祭りでは先頭を行く船のようです。別の冊子のイラストに書かれて

います。)

水蓮に滝の拝のトントン釣り、どこかの御神燈・・・タイトル横に知図帳とあるのは、これ

で古座川を知ってください・・という意味があるようです。



ページをめくると左に『川漁法』、右に『風土とFOOD』とあります。右には古座川町で

古くから食されるものが写真入りで説明されています。右の真ん中が平井地区で伝わる

『うずみ』という料理。もともとは法事の前日のもてなし料理として出されたとか。豆腐、

シイタケを入れたすまし汁を椀にいれ、そこに少なめのご飯をうずめます。薬味のねぎ、

切りごま、おろししょうが、みかんの皮を好みにより乗せます・・とあります。精進料理で

すね、さっぱりしすぎて私には物足りないような・・・、一枚岩の鹿鳴館でたしか『うずみ

膳』というのがあった。次回、トライしてみよう・・。その下の写真には『かしわずし』、

アカメガシワの葉でおまぜを包んだもので、葉の香りが移って一層おいしくなります。河内

祭りには欠かせない料理として作られます・・・。どこかで聞いたような・・以前記事にし

『河内祭』ガイドブックに載っていました。

左上二つはあゆ料理、清流古座川にはいろいろな産物があり、特に鮎は新鮮でなければでき

ないものや味わい深いものなど様々な料理が伝えられています・・・。三尾川の祖父母の家

に行くとよく、鮎の姿寿司が出され、それが子供心に金色に光ってみえました。小骨が気に

なったけど食べました。

左側のページには古座川での様々な川魚とその漁法が書かれています。左の上は、『鉄腕ダ

ッシュ』でもやっていたウナギ石漁、石を積んでそのすき間や岩に入るウナギの習性を利用

した漁法でしたね。アユの友釣り、滝の拝のトントン釣り、そして私には不評の笹立て漁、

ああまでして一網打尽にアユを獲ることはないやろ~、飽食の時代に・・・。夜は夜で

火振りされて驚かされ捕まり~の・・・。右には川エビの捕獲、そしてズガニの写真です。



次に畳んで裏表紙を・・・。紀伊半島のイラストには色分けされた断層が書かれています。

和歌山のグリーン色のところには中央構造線が和泉山脈との間をはしっています。断層は

書かれていないけど、和歌山県北部って地震が多いのです。大きいのはあんまりないけど

小さいのしょっちゅう揺っています。私の住むあたりは・・

・・・約3000~5000万年前に、古座川町の西半分が堆積し、中央部が膨れる形で

陸化した後、約1500万年前には東半分が海中で堆積していましたが、その頃、潮岬や

大島のあたりで海底火山が噴火し、同時に橋杭岩や、小川方面から大塔山にかけて岩脈を形

成したマグマの上昇がみられたようです。その後、100~200万年遅れて一枚岩など、

三尾川から浦神に至る火成岩脈(古座川弧状岩脈)、尾鷲から新宮さらに那智山に至る大火

成岩地帯が形成されました。それらが地上に現れ、浸食を受けた姿が今日の姿です・・・


 難しい話やなぁ・・・串本はもとは海で海底火山でできたのやね(えらい、簡単にまとめ

るなぁ)。でも最初のところに『日本列島はユーラシア大陸の外側に沿っていて、数億年前

から海洋プレートが大陸プレートにぶつかり、もぐり込む過程で陸になり、あるいはその際

の火山活動による火成岩(マグマが冷え固まってできる岩石)からなる陸地ができたと、お

おまかに考えられています・・とあるから、私の理解のしかたもまんざらではないのだな。

 話は長くなるけど、そのあとに≪古座川弧状岩脈≫・・・約1400万年前の大規模な火

山活動によって形成された火山性の岩山(流紋岩質火砕岩 りゅうもんがんしつかさいがん

と花崗斑岩 かこうはんがん)の連なりが、古座川町三尾川から那智勝浦町浦神まで、上か

ら見ると円弧状に分布しています。表面は滑らかな一枚岩状になっていて、虫喰い状の浸食

が見られるのも特徴です・・・とあります。以前読んだ『古座川王国』に岩を食べる魔物に

里の猟犬が飛びかかって追い払った、一枚岩の幻の犬に出てくる岩はこの事だったのね。

魔物が太地から浦神、古座川と虫喰い岩を食べ進んできたのはこんな地質学的根拠から来た

話のようだと気がつきました。

 「一枚岩」、「虫喰い岩」という二つの国指定天然記念物をはじめ、西の倉、ぼたん岩、

かもしか峡、飯盛岩、嶽の森のナメトコ岩、天柱岩など「日本のミニ桂林」といわれる古座

川を特徴づける名称としても知られています。・・・・そうかそうか・・。いいなぁ古座川

って。
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上田正樹 LIVE が・・・

2010-06-03 05:30:00 | 和歌山県


最近どうも目がすっきりしないせいか、ぼやけています。カメラのモードを『文字を撮影す

る』にしてもすっきり撮影できんわい!!ということで、見てのとおりの『上田正樹 LI

VE』のチケットであります。今年は日本とトルコ友好120周年の年であり、トルコ共和

国といえば、串本町が120年も前にその礎を築いたのであります。詳しい話はエルトゥー

ルル号の海難事故なのだが、町民がそう詳しく知らなかった話をトルコの人はとても長い時

代覚えていてくれて、語り継がれそしてイラク・イラン戦争の『テヘラン空港からの脱出』につ

ながったのであります。今年は120年という節目でもあり、いろいろなイベントが計画さ

れています。6月3日から5日まで海難事故のあった樫野埼灯台手前の広場をはじめ文化セ

ンター、トルコ記念館手前で地域物産展や高校生による吹奏楽演奏、トルコメフテル軍楽隊

行進や民族舞踊(トルコの踊りや串本節)、コーラス合唱、エルトゥールル号紙芝居などが

行われます。ということが別のチラシに書かれていました。私は軍楽隊の行進を見たいと

思ったのですが、一般見学用にシャトルバスで行くことになり、第一便が串本駅を朝7時半

出発・・となるのだな、確かに、樫野埼灯台前は一般車が入るとすぐいっぱいになるし、

第一便、二便は洋上追悼式典の人のもののようだが、それ以降の便も混みそうだし、戻って

くるのも折り返しのバスに乗らねば帰ってこれません。ちょこっと見たいだけなのに、軍楽

隊は10:15~行進、10:35~樫野埼灯台前となってるのにバスは大島小学校に着く

のが10:30・・これは見ることができない。ひとつ前のバスは大島小発が10:00、

樫野分岐で10:30だ。間に合うのか?このチラシは誤字があったりしてなんか判りにく

いので軍楽隊を見るのをあきらめたのだ。イベントの中の上田正樹のライブも行く気はなか

ったのだが、先週金曜日になって町内放送でライブが行われるとしきりに放送するので

「あぁ、これはチケットがはけてないんだなぁ」と思ったのだ。その夜、おとうさんが

「上田正樹見に行かん?残ってるらしい」と言うので「いいけど」と返事したのだ。





土日を挟んで町内放送も無かったのでチケットは取れなかったと思いきや、おとうさんは

この二枚を買って来た。よく見ると全席自由席だ。「全席自由やったら早く行かんとあかん

わ」・・・そう、十年ほど前南こうせつのコンサート、あれも町がやったのかな。チケット

は午後一時から文化センターで販売というので、朝十時に着くと並ぶ場もないくらいの人で

や~めた!と帰ってきた。あれも全席自由席だったのかは記憶にないのだけど、私はライブ

ときたら、席は指定・・・という頭しかないのだな。学生時代、行ったコンサートはすべて

そうだった。一度だけ学内で夜歌番組の生放送があって、それは早い者勝ちの自由席だった

ちなみにそれは ばんばひろふみの『SACHIKO』だった。町としたらチケット代の

何割かを町から出しているから、多くの人に平等に見に来てもらいたいというのはわかるけ

ど、まぁ2000円で上田正樹が見れるなら並べよ、と言われてる気がするでもない。

2000円で前列で見るか、同じ2000円で二階の端っこに座るかそりゃもう、当日の

朝から文化センター前で座り込まなければならない。ヘタしたら昼食も夕食もパスだ。

町民にそんな精神的負担を強いるこのチケット販売には文句いう奴は私ぐらいか?



これが歌う歌のリストって『悲しい色やね』しか知りません。あれ?『ヘルプ』と『ストロ

ベリー・フィールド・フォーエバー』はビートルズでしょ、『ホテル・カリフォルニア』も

イーグルスだな・・・。サービス、サービス・・・。上田正樹って『悲しい色やね』の時は

渋くおしゃれな人というイメージでした。家がお医者さんじゃなかったっけ、頭のいい人で

関西人でおもしろい・・という私の感想。トルコとどう関係してるのかわかりませんが、

この間は『飛んでイスタンブール』つながりだけではないけど庄野真代が串本に来たっけ。

それも町主催だったんじゃないかな。とにかく、この日はこげの散歩も早くすませ、会場に

行かねば・・・と相談していたところ、次男君がこの日に帰るというメール、就活のことで

相談とあるので、「上田正樹の日やん」と言ったらおとうさんは「そんなん券買っても行か

んかったらええ」と一言。こりゃ、おとうさんも余ったチケットをしぶしぶ買ったのか?

誰かに売ったらどうよ・・と提言したけど「みんな持ってるやろ」。みんな買わされたのか

どうかはわからんけど、払い戻ししてくれないのか?買ってくれる人いないかな?



でもチラシには『当日券あります』って・・・。当日券は何枚あるのか?それもまた行列の

できる文化センターであるのだな。串本人は並ぶことも平気なんだと痛感する。私は長時間

並ぶのは嫌だし、その上にご飯を抜くなんてことになるとすこぶる機嫌が悪い。若い時は

座席指定のチケットを握りしめ、会館の前で2,3時間並んでも自分の席が確保されてると

いう安心と、観たいアーティストだから待てたのだけどねぇ。体力、気力落ちた今はねぇ

佐藤浩市とか大沢たかおとか、小栗旬とかならおばさん!頑張るけど。

 最後にコンサートに行ったのは結婚前に和歌山で長渕剛を聴きに行ったのが最後か・・

あ~遠い昔だわ!!

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千鳥草

2010-06-02 05:45:00 | 花・植物など
     

なんやらボケてしまいましたが、先々週頃から千鳥草が満開になってきました。写真は

花壇に植えたものなんだけど、種から育てたから私自身の感慨もひとしお・・・。本当は

サザンカの下に十数本植えたのを見てもらいたかったんだけど、なぜかカメラを向けると

風が吹いて、何度も失敗したのだ。今年はこの色一色だけど来年は混合色を注文したから

来年もがんばろう・・・。花は八重でボリュームがあるけどちょっと色が薄めではっきりし

ないのがねぇ。おまけに雨にうたれると重みでフラフラしてしまうのが難点。

     

こっちは植えたわけではない、こぼれ種というか昨年植えたプランターの土を花壇に入れた

ら芽を出した千鳥草。昨年はなぜかピンクが三本しか咲かず、時期をはずしてこの色が咲い

たのを、遠い記憶のむこうに思い出した。それが咲いてくれたのだね。逆にピンク色のこぼ

れ種はなかったようだけど。一重だけど色の濃さが格別です。そしてなんというか頑張って

咲いた『ど根性千鳥草』が・・・。

     

なんとも背景がみすぼらしい(ここは納屋の外壁)けど、壁の隙間に昨年の種が落ちていた

のか、いつのまにか芽を出していました。板壁のため、水をかけることはできず水は雨に

頼るということで見守っていたけど、花のつき方が寂しいけどでも立派に咲いています。

(写真は咲きだす前)。昨年はこの前にプランターを置いていたからね。

5月は気温の変化が激しかったけど、お天気が続いたので花壇は青紫系の花がにぎやかで

楽しくなりました。



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