昨日は、仕事をしていると雨に降られ、家に入ると晴れるという繰り返しでした。意地悪な天気でしたね。おちょくられてしまいましたよ。
いろいろな仕事をした最後は、裏の草地から伐採した枝を軽トラに満載して運んだことでした。もちろん雨にたたられました。それも並みの降りじゃなくて、ドタッバシャンというような雨でした。荷台からおろせずに、家に入りそのまま風呂に入ってしまいましたよ。
でも、お昼はよかったですよ。「オルトリーノに行こう」と私が提案して、久しぶりにイタリアンに行きました。サラダバーでサラダをたっぷりと食べ、私はピザで奥さんはスパゲティです。旅行に必要なのはビザでしたね。具合が悪くなると水が溜まる、かぶが付いているのは膝でした。
何となく、という感じの程度つまり気のせい程度なのですが、なぜか白菜とキャベツを隣どうしに作ると、白菜の青虫が少ないような感じがするのですが。きゃべつの方がおいしいんでしょうか。ほとんどキャベツが虫害にあっています。
小麦はまだ青いです。雀もまだ来ないので実の入りがいまいちなんでしょうね。雀が来るか来ないかで分かります。来るようになったら網をかけます。理由は別にありません。仕事を先送りしているだけです。
すずめの子その小麦を食うでない
カボチャは隣から買ってきました。もう出荷しているんですね。
これがまたうまいんだナー。やめられないとまらない。たぶん品種はイーティーです(それしか品種名が分からない)。私のはまだ苗と言った方が良いくらいです。これはハウスものです。
人生五十年。私はそれより十数年も余計に生きているので、いわば人生の付録を生きているわけです。付録とは言えども、案外充実かついいかげんに楽しく生きているような気がします。こういうのを幸せと言うんでしょうね。
こどもの頃、雑誌を買うと付録がいっぱいついてきました。十大付録なんてね。どちらかと言うと付録の方が面白かった。楽しかった。人生もひょっとしたらおんなじた。ふと気が付いたのですが、このごろはギスギスしたストレスの満ちた炭酸ガスの多い世の中です。これは雑誌にほとんど付録がないからなのではないでしょうか。でもこれは変な理屈ですね。
しかし、よく考えてみると人生に付録なんてないですね。全部が全人生なんです。ただ、そう考えてみると気楽に生きられそうな気がするものです。気張らないで生きられます。
幸せというのは死んでみなければ分からないと言います。でも、一瞬いっしゅんを良く生きていれば、その瞬間は幸せなんですよ。むずかしいことは考えないことにします。考えたって一銭にもなりませんし、そういうことを考える年齢は、はるかずーーーっと昔に過ぎていますから。 そうでもないかな。
一日一茶
すき腹に風の吹きけり雲の峰
川 流
すき腹にオルトリーノはうまかった
(レストランの名前 意味は「小さな畑」)
すき腹にステーキ蒲焼きカップ麺
すき腹にほかのことなど思えるか
すき腹に孔子も老子もなんになる
すき腹にダイエットなんかくそくらえ
すき腹にカラスにアホーとばかにされ
すき腹にたべもの浮かぶ走馬燈
すき腹に水清く山青し
すき腹に川流なんか浮かばない
今日は朝から腹へりほれはれ