ニンニクも、タマネギも大きい所しか皆さんに見せないという、この気持ちはよくないですね。今度から、まずい面も出さなくちゃ。でも、どうしても格好いいところをお見せしたくなっちゃうんですよね。
でも、そうなっちゃう理由はもう一つあるんです。言い訳がましいですけどね。それは、あんまりしょぼしょぼした所をお見せしても、つまらないのではないかと思いますからね。お互いにダメなところを見せ合って、互いにドボンと気持ちが沈んでしまったのではね。「あの人がこんなのを作ったんだ。おれも頑張らなくっちゃ。」ということも大切ですからね。
今日も梅雨の話からです。梅雨なのに雨が降らない。今日は降るのかも知れませんけど。曇りのち雨という予報で、今日から以後一週間の予報ではぐずつくということらしいです。
降らないので畑は砂漠のようになってきました。乾くと良くないと言うので、アスパラガスに水をかけています。水は掘った穴の中からくみ上げています。それも少なくなってきました。
くみ上げるといくつかメリットがあります。まず、水道料金がかからない。水道を使わない分、炭酸ガスの排出も抑えられる。水を掛ける野菜から近い。少しは運動になるので、体内の糖を燃やせる。普段と違うことをやるのだから面白みがある。この点は子供と同じ気持ちです。
思いついた範囲内で、まずい点も一つあります。運動になるのは良いのですが、腹が減りもっと食べたくなる。そして食べちゃう。ま、いろいろあるさ、と思っています。井戸から水をくみ上げるなんて、とても いーど(良いよ)。← すこし苦しい。
キヌサヤのようでキヌサヤでない。それは何かと訪ねれば、これはスオウという木の実なのです。食べられそうな感じですね。食べてみたいと思うのですが、飢えているわけでもないのでやめておきます。
こちらは本物のキヌサヤです。もう豆もほとんどが硬くなってきました。また豆ご飯が食べたいのだ。私のところでは、キヌサヤがいつもたくさん出来てしまうので、グリーンピースは作ったことがありません。味は違うと思うのですが、この上にグリーンピースを作ったら、それこそ大変です。腹の中は豆だらけになってしまうのです。豆っ腹なんて聞いたことがない。
レタスです。おかげさまで、健康に育っています。毎日食べられます。作ってよかった。
歩いてもあるいても松原が続きます。ずっと続く松原を歩いていったら、茶店がありました。そこで出会ったどてらを着ている人の世話で鉱山で働くことになりました。夏目漱石の「坑夫」という本の書き出しはこういう内容でしたっけ。
もう、何を言おうとしているか察しがついたのではないでしょうか。あのガラス窓のサッシではないですよ。先日は「利家とまつ」でした。そうです。今日は松原なんです。松とバラ。あ~あ、ただそれだけ。
畑は乾いていますが、心も乾かないように気をつけなければなりません。自分では気づかないことがありますからね。瞳にうるおいを。こころに潤いを。生活に潤いを。人に潤いを。世の中に潤いを。売る老い なんて甘えちゃぁいけない。
一日一茶
我汝を待つこと久し時鳥
川 流
我何時かわからなくなりお昼時 (畑に欲しい柱時計)
我難事うまくかわしてン十年
我難字すぐに忘れるお年頃