流れの先は海

2011年08月15日 | Weblog


 毎日、このブログを更新する際に、編集画面にしてログインをし直してから始めるのですが、その際に昨日の閲覧数が分かるようになっています。

 

 コメントを書いてくださる方々の大半は家庭菜園を持っている方ですが、最近はマンネリ気味なのか訪ねてみると頻繁には更新していないようです。

 

 昨夜の月です。やっとブレが少なく撮ることができました。

 しかし、私のブログを読んでいただいている方はかなりのいらっしゃるようで、ありがたく思っております。大変励みになっています。私もマンネリ化は免れず、そろそろ閉鎖しようかとも考えることもありますが、毎日同じようなことができるのも、一つの幸せなのかなと思うこともあり、だらだらとではありますが、特別な用事でもない限りは更新しようと思い直して続けております。

 

 私はボチッとボタンを押してもらって数を稼ぐというようなことはやっていません。やっても意味がないと思っています。見てみようかなと思う方が見ていただければそれで満足です。

 さて、今日も良い天気です。空に舞い上がりたい。最近は年のせいか、気持ちが舞い上がることが少なくなってきました。まあ、そういうものなんでしょうね。珍しいものもなくなってきたし。

 壇ノ浦の戦いの時に平 知盛 ( たいらののももり ) は 、「 見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん 」 と言って、碇 ( いかり ) を体に縛り付けて船から飛び降りたとか。私の場合は、見るべきほどのものは見つ、ほど見てきたわけではありませんが、今のところは一休みですね。暑いし。 食う方についてもそれほど食っていません。

 

 しかし、彼の言葉を誰が覚えていたんでしょうね。誰かメモしていたんでしょうか。それとも、どこかのテレビ局の取材班が・・・・。ああ、また馬鹿げたなことを言ってしまった。馬鹿下駄ですね。

 で、落花生は順調です。その向こうはカボチャですが、なにせカボチャもボリュームがあるものだし、次から次へといくらでもできるものですから、もううんざりです。この種類はねウンザリカボチャと言うのです。

 先端は刈り取っていますが、何せ元気なものですから別な蔓が伸びてくるんですよ。

 

 近くに遺跡があり発掘しています。このあたり一帯が遺跡です。いつもこちょこちょと少しずつしかやりません。お金がないんでしょうね。まあ、急ぎの仕事でもないでしょうし、儲かるわけでもないし。

 土器のかけらや、石の鏃 ( やじり ) が出ます。金貨でも出ればいいんですけどね。夜中にこっそりシャベルでも持っていって・・・、と また妄想が始まった。この妄想があるから 「 我が人生に退屈 なし 」 なのです。

 


      廃 句

      おい蝉よ暑さに暑さを重ねるな     アブラゼミの声は暑さを誘う
      アブラゼミ小さな声で鳴いとくれ
      お日様よカラスの羽根を焼いとくれ
      ガリガリ君食べ終わったらまた暑い
      つれづれに日暮らしいたずら年を取り
      行く川の流れの先は海となり
      いずれのおほんときか暑い夏がありにけり