無限ではなくなった時間

2018年09月02日 | Weblog


きのう書いたように、何かが壊れた時には出来ることは自分で修理しなければなりません。それは誰もやっていることでしょうが。
今回は直しようがないので、そのままにして使わないことにしました。

  

外壁からパイプ類を屋内に入れるのに、直径5cmくらいの穴が開いています。そこが雨水がはいらないようにとパテで固めてあったのですが、そのパテはカラカラに乾いてセメントのようになっていましたが、年を経て風化に絶えられず、ひび割れしていました。

それなので、パテを買ってきて塞ぎました。小学生が使う粘土のような感じです。

こういう程度のを職人を頼んでいたら、財布が空になります。

 

  (財布が空になる歌です)

幸い、屋外に出て作業をしても屋根が滑り落っこちないように傾斜が緩かったので、そういう作業は楽に出来ました。

  

古いバスタブの水槽はとっくに雨水が溢れています。雨樋から下ろしている青いホースの縁を赤い←で目印付けておきましたが、そこのところが水の最高位であることが分かると思います。

溢れた分はもったいないのですが、なんとももう一つバスタブがあるわけではないので仕方ないです。まあ、欲張らないことですかね。

  
   ハクサイ

先ほどの修理の話ですが、時間があればですが、手間暇かけて直すのも楽しいものです。
特に若い頃は時間は無限にあるような気持ちでいますから、苦にはなりませんでした。
今は違います。あっと言う間に一日が終わってしまいますから、何をやって何をやらないか選ばなくてはなりません。

昔は、文庫本を一冊もって何処かに旅したいな、などと考えたものでした。懐かしいです。

  

そろそろ夏の終わりかなと感じたのでしょうか。屋根のあるところにやって来たようです。
この棒を利用したかったのですが、そっとしておいてやることにしました。

外では、蝉が盛んに鳴いています。彼らも、もう時間が残り少ないですね。